第50話 番外編 DV男のその後

 宍戸克也は生涯最高の幸せを味わっていた。


 かつては美幸という妻がいた。こちらの意思も汲み取れない愚鈍な女で、自分に逆らってばかりだった。


 女のなんたるかを毎日教育してやるなど面倒をみてやっていたが、なにを血迷ったのか逃げ出したので、わざわざ探してやったのだが……。


 その先で、最高の出会いがあった。


 子供のように小柄で童顔で、しかし胸が大きく、とても賢い。こちらがなにかを言う前に、なんでも察してくれる。


 もう元妻のことなどどうでもよかった。すべてを捧げてもいいと思えた。


 そこからはトントン拍子で、美幸との離婚は成立。日本政府からスカウトされて、検査や実験の手伝いという楽な仕事と、住居までもらった。


 あれからもう5年。子供も生まれたが、理想の妻は未だ若さも美貌も性欲も衰えない。


 いつもいつも克也の望みに応じてくれる。進んで暴力を受け入れ、凌辱めいたセックスを一緒に楽しんでくれる。


 その日も、そのはずだった。


「うあああぁあ!?」


 克也は恐怖の絶叫を上げた。


 無様に下半身を晒したまま、這いずるように醜い物体から離れる。


 それは巨大な目玉に触手がまとわりついているような、不気味な化物だったのだ。


 吐き気が込み上がってくる。


 妻と愛し合っていたはずなのに、気づけば克也はその化物に激しく腰を振っていたのだ。


「なんなんだよぉ、いったいどうなってんだよぉ!」


 妻は? 息子は? いったいどこへ?


 そもそもこの化物はなんなんだ?


 混乱する克也をよそに、事態はさらに進行する。


 同僚の研究員たちが、ぞろぞろと部屋に侵入してきたのだ。女性職員もいるのに、克也が下半身裸であることにまったく意に介さない。


「……研究サンプルD2B-002、死亡確認。解剖に回します」


「こいつ、なんで死ぬまで大人しかったんすかね?」


「これくらいじゃ死なないって認識してたんじゃない? 環境の変化に気づいてなかったのかも」


「あー、魔素マナが薄くて弱くなってることに気づいてなかったと」


「あとはまあ、知能も低そうだったし、こういう特殊な事例には対応できなかったのかも」


「本当なら幻覚見せてる相手に守ってもらう生物っすもんね。その相手から暴行を受けたときの対応なんて、本能に刻まれてなかったわけっすか」


「たぶんね。ハッキリさせるにはもっと詳しく調べないとだけど」


「っすね。そろそろ迷宮ダンジョン内でも実験したいっすねー」


「そこは津田くんが頑張ってるから、もう少し待ちましょう」


 などと、訳のわからないことを言いながら、化物を運び出して行ってしまう。


 克也はあっけに取られつつも、やがて声を上げた。


「お、おい……それはいったいなんなんだよ! オレの嫁はどこ行ったんだよ!?」


 研究員のひとりが、無感情に克也を見下ろす。


「アレが、そうですよ。あなたが殺してしまった」


「はぁ!?」


「個人の性的嗜好にとやかく言うつもりはありませんが、行為中の暴力が行き過ぎたのですよ」


「んなこと聞いてねえよ! あんな化物知らねえ! オレの嫁はとびきり美人の――」


「ですから、そのような人物はいないのです。アレがあなたに見せていた夢なんです」


「夢ぇ!? んなわけあるかよ! オレはあいつと出会ってもう5年で、息子がいて、家は豪邸で、庭には犬が……って、ここどこだ!?」


 克也はいまさら気づいた。豪邸の寝室じゃない。簡単な家具とベッドだけがある、全面白塗りの部屋だ。映画で見た、精神異常者が隔離されるような……。


「宍戸さん、落ち着いてください。あなたは、ここに来てから2週間しか経っていません」


「は……?」


「すべてあなたが見ていた夢です。奥さんも、息子さんも、家も犬も、存在しない」


「そんなわけあるか。オレはたしかに5年間の記憶がある。結婚式を挙げて、家を買って……アレが夢のわけがねえ……」


「これを見ても、そう思いますか?」


 研究員はスマホを取り出し、なにか操作してから克也に差し出した。


 この部屋で生活する自分自身と、あの化物が映っている。


 そしてこともあろうに、自分はその化物に妻の名で呼びかけていた。なにやら覚えのある会話。やがて自分はズボンを脱ぎ、化物にのしかかった。そして、より快楽を得るために相手を殴る。激しく腰を振る。


 克也はいよいよ気分が悪くなり、その場で吐いてしまった。


「嘘だ、こんなの嘘だ……夢だ! そうなんだろ、こいつは悪夢なんだろぉ!?」


「いいえ、現実です。あなたは妻だと思っていたアレを殴り殺した。そしてすべてを失った。いや実際には得たものもないので、なにも失ってはいないか」


「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ!」


 克也は研究員の胸ぐらに掴みかかった。


「お前らが奪ったんだろ!? 返せ! 返せよぉ! オレのすべてを返しやがれぇええ!」


「宍戸さん、それを心から望みますか? 我々の研究に同意し、また夢の世界に留まることを希望するのですね?」


「わけわかんねえこと言ってんじゃねえ!」


「答えがYESなら、戻してやれないこともない。次は死なせないよう、我々も適度に干渉し、あなたの望みをお守りしますよ」


「うるせえ! なんでもいいから、さっさと返せってんだよ!」


「これは同意とみていいのでしょうね。よろしい。しばしお待ちを」


 研究員は克也の手を振り払うと、襟を正してから、さっさと部屋から出て行ってしまう。


 部屋には克也ひとり。


 やがてその部屋に、黒く分厚い袋が投入された。


「なんだ?」


 その袋に近づこうとして、しかし、足を止めた。袋がもぞもぞと動き始めたかと思ったら、中からなにかが這い出てきたのだ。


 それは大きな目玉に触手がまとわりついているような化物だった。克也が腰を振っていた相手と同じ。


 克也に向かって、にじり寄ってくる。


「う、あああ!? く、来るな、来るなぁ!」


 逃げようとする克也だったが、部屋の扉は外から鍵がかけられている。


 ……いや、逃げる? なぜ逃げる必要が?


 目の前には、あんなにも愛した妻がいるじゃないか。そもそもこの寝室には内側からしか鍵はかけられない。子供に夫婦の営みを見せないために、さっき自分が鍵をかけたじゃないか。


「……いや? なんだ、おかしいぞ? なんだこりゃ、おかしい……?」


 じゃあ直前の研究員たちはなんだったんだ?


 オレが見た化物は……?


 あの研究員は夢だと言っていたが……。


 夢?


 どっちが……?


 克也の混乱はしかし、ベッドの上で誘惑する妻の姿にかき消された。


 そうして克也は、再び幸せになった。


 しかし、妻を見るたび化物の姿がちらつくようになり、どちらが夢でどちらが現実なのかを死ぬまで悩み苦しむようにもなったのだった。




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