第26話 胸を盛るなッ!

 おれは戦闘を回避しつつ、第1階層最深部までやってきた。


 グリフィンの巣はまだ残っているが、放置された冒険者の遺体は他の魔物モンスターの餌食となっている。遺骨くらいは回収してやりたいが、それはまた今度だ。


 第2階層に続くであろう下り坂を前に、おれはスマホを準備した。頑丈なスマホケースには、専用のホルダーが付属していた。そのホルダーはバックパックの肩紐に装着できる。そこにケースをセットすることで、胸元でスマホを保持できるものだ。


 おれはスマホカメラで録画を開始してから、肩紐のホルダーにセットした。これで第2階層の様子を撮影しながら進むことができる。


 警戒しながら坂を下っていく。


「……やっぱり、深層のほうが魔素マナが濃いな」


 坂を下るほどに、体に魔素マナが満ちていくのを感じる。第1階層よりもずっと濃い。2、3倍はあるだろうか。


 その分、おれの魔力も身体能力の強化率も跳ね上がる。今なら、グリフィン程度なら毒で弱体化させずとも仕留められそうだ。


 しばらくは第1階層同様の岩と土の洞窟だったが、坂が終わって道が平らになると、やがて石造りの壁がちらほら見えてくる。


 全面が石造りというわけではなく、崩れた壁に土や岩が流れ込んできたという印象だ。異世界では何度か見たことがある。古い地下遺跡が崩壊した跡地だ。


 おれの足元をエッジラビットが駆け抜けていく。不快な音を出さないよう歩いているから襲ってこないのだ。その行く先を目で追ってみると、光がある。


 わずかな眩しさが目を細めながら遺跡跡を抜けると、ドーム状の広い空間があった。正確な広さはわからないが、異世界基準でなら町のひとつやふたつは入るだろう。


「空間が歪んでるのか……」


 ドームの天井は、第1階層を貫いて地上に届いてもおかしくない高さだ。


 魔法的、あるいは未知の超常的な力が働いている。異世界リンガブルームでも珍しい事象だが、まったく無いわけではない。


 むしろ、次元を貫いて別世界に現れてきているのだ。空間が歪んでいるくらい、大したことではない。


 しかもこの空間には、光が降り注いでいる。日光ほどではないが、多少の温かさもある。これも空間の歪みによるものだろう。


「そうか、お前たちはここで食事していたんだな」


 光があれば植物は育つ。エッジラビットは、あちこちに群生する草を食べていた。


 異世界では地上に出てきて食事するが、魔素マナの無いところへは行きたくないのだろう。わざわざ第2階層に来て食事していたわけだ。


 餌場である第2階層に留まらず第1階層に戻っていくのは、ここにはより強い――天敵となるような魔物モンスターがいるからだろう。


「一条様? 良かった! 無事だったのですね!」


 声に振り向くと、フィリアの姿があった。安心したように笑み、駆け寄ってくる。


「フィリアさん? 紗夜ちゃんと美幸さんはどうしたの?」


「おふたりは、わたくしが護衛して迷宮ダンジョンから帰しておきました」


「なにかあったの? いくら君でもあそこからこんな短時間で往復してくるなんて、相当無茶したはずだ。緊急事態かい?」


「なにを仰っているのですか、一条様? 貴方が行ってしまってから、どれだけ時間が経っていると思っているのです?」


「時間……?」


 そんなバカな、と思いつつ腕時計を確認する。あれから、数時間が経過していた。


「おかしいな、さっき確認したときはまだ1時間も経ってなかったはずなのに」


「夢中になっていらしたのですね」


 空間の歪みが時間にまで影響を与えている? 第1階層と時間の流れが違うのか? いや、それなら時計がズレているのは変だ。一緒に影響を受けているなら、おれの体感時間とさほど変わらない時刻を示すはずだ。


「そんなことより、一条様」


「フィリアさん?」


 フィリアは頬を染めて、大胆にもおれに身を寄せてきた。


「ふたりきりです。なかなか機会がなかったので、嬉しいです」


「ちょ、ちょっと待ってくれないか」


 フィリアの柔らかい胸の感触に、鼓動が早まる。見上げてくる潤んだ黄色い瞳に心が奪われる。


「一条様は、先ほどわたくしがヤキモチを妬いていると冗談を仰いましたが……実は、本当にそうなのです。一条様の視線を釘付けにする末柄様に嫉妬してしまいました。なぜだと思いますか?」


「えぇと、それは……」


 熱っぽい声に、顔が熱くなっていく。鼓動がドキドキと強くなる。


「わたくし、一条様が美人で可愛いと褒めてくださって、とても胸が躍っていたのですよ。なぜだと思いますか?」


 意を決したようにフィリアは口にする。


「それはわたくしが貴方を、お慕いしているからです……」


 飛び上がりたくなるほど嬉しくなるが、なにか違和感がある。


「一条様は……? わたくしを、どうお思いですか?」


 まず時計がおかしい。フィリアがここまで来たのも、理屈は通っているがどこか妙だ。


「パーティを組もうと提案してくださったとき、本当はわたくし、プロポーズをしてくださると思って期待していたのですよ?」


 フィリアがおれを想ってくれているのなら、本当に嬉しいのだ。


 受け入れたくてたまらない。


 でも変だ。どこかが変なんだ。


 おれを心配して来てくれたフィリアが、こんなことを言うだろうか?


 ……言うかもしれない。


 だめだ、流されるな! こんな、おれに都合のいいことが急に起こるはずが……。


 いや……起こるかもしれない。起こって欲しい。


 くそ、信じるな! 違和感の正体を見極めろ。確信を得るんだ。


 でないと、受け入れたくても受け入れられない。


 おれは必死に、全身が鉛にでもなったかのような気持ちで、一歩二歩と後ずさる。


「一条様……?」


 追いすがるフィリア。不思議そうな顔をしながら胸元で手を合わせる。その豊かな膨らみを、押し潰すように。


 違和感。そして確信。


「消えろ偽物め!」


 おれは誘惑を振り払い、剣を振るった。


「フィリアさんの胸を盛るなッ!」




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