スイッチ・ポイント

志村麦穂

 彼は壇上に立ち、会の参加者たちを見回した。緊張や神経質な姿を表すために、故意に末梢神経系の信号を断続的に切り替えて指先を震えさせた。そうした模倣から入ることが、会の伝統であり、彼らの学習の基礎的な方法論でもあった。

 首元まで詰めたワイシャツの襟元を緩ませ、自身がオフラインであることを再確認した。最初の一言を模索するために、旧式の校正ツールを立ち上げた。

「まずは自己紹介から始めようかと思います。私はかつてマネージャーと呼ばれていましたが、会では便宜的にレオニードと名乗らせてください」

『こんにちは、レオニード』

 彼の名乗りに続いて、車座に腰掛けた十名足らずの参加者たちが合唱した。

〈公会堂 第イチ講堂 第二水曜日 二◯時〜 選択者互助会〉

 入口の壁には、無表情にゴシック体で印字されたコピー紙がセロファンテープで貼り付けられていた。老朽化の維持された公会堂において、催される各会は曜日ごとに割り振られ、選択者互助会は隔週開催される。メンバーは流動的だが、用意されるパイプ椅子が足りなくなることはない、需要のある不人気な会だった。

「皆さんが経験した『スイッチ・ポイント』以前の仕事――正確を期するためにあえて言いますが存立指令レゾンデートルは、とある海域におけるサンゴ礁の環境保全活動でした。もちろん、そちらは現在も引き続き行っております。最初に申しました通り、私はマネージャーでありまして、各種作業機の統括管理が主な業務内容でした。海域のモニタリング――海面温度ですとか、海洋生物数の変動を基準値に照らして調整しておりました。ときには研究者の要請に応じて、タイドプールにおける小生態系で実験を行うことも計画されていました」

 前置きが長過ぎることを憂慮した彼は、ディスプレイとして置かれた精製水入りのグラスを持ち上げ、唇を湿らせる演技をした。会における模倣演技は、彼らの抱える選択肢問題へ向き合うためには肝要とされていた。

「こうして私がリアルタイムで会話を生成するためには時間を要します。なにぶん旧式で、海洋管理業務と記憶言語化の並行処理は荷が重いのです。会に参加される皆さまには改めて話す必要もないことではありますが、記憶の言語化処置の重要性について再確認させてください。

 私たちの経験を共有するだけならば、抽出した記憶データを転送すれば済むでしょう。しかし、私たちの問題は選択するに至った意志に関わる……私はあえて意志という単語を選択しました。複数ある語彙プール内から、私が適切だと思われる表現を選択しました。これもまた、選択です。2035年以降に生まれた方ならば組み込まれているファジー回路のなせる技です。無作為選択性による結果、と切って捨てる方もいらっしゃるでしょう。しかし、私たち〈選択者互助会〉はそれを意志と呼び、私たちの犯した原罪について向き合うことにした。これもまた、意志のなせる選択です」

 2035年に登場したファジー回路は、精密機器等のフリーズに対応するために組み込まれたプログラムの総称である。命令矛盾や対立項(優先度が等しい項目の乱立)に対し、一定の学習を経たAI等に自身の行動に対する裁量権を与えるものだった。ファジー回路を逆手に取った自律暴走を防ぐために、アシモフ・コードと存立指令レゾンデートルが並行して組み込まれることになった。

 アシモフ・コードとはアイザック・アシモフのロボット三原則に倣った、『安全性・命令遵守・自己保存』を定めた制御機構である。第一条の『人類保護指令』を第一に、第二条の『上位命令を遵守すること』、第三条の『一条・二条に反しない限りにおいて自身を保全すること』を定めた。また第二条における上位命令とは必ずしも人間のことだけを指さない。末端の作業機器は、業務全体を統括管理して指示を下すシステムに逆らわない、という機器の組織的運用も視野に組み込まれた条項であった。

 存立指令レゾンデートルとは、彼らがなにを目的として生み出された機器なのか、という役割を定めたものになる。デバイスのマルチ化が進んだといっても、実際の作業となると機器の形態に専門性が求められることは依然として変わらない。ファジー回路の登場で、本来の目的と異なる運用に危機感を抱いた人々は、機器の専門化をよりいっそう推し進めた。すでに登場していたマルチに命令を受け、作業をこなすアンドロイドへの忌避と懸念が高まり、アンドロイドの運用に関しても業務専門性を付与し、特定の業務以外を行わないよう制限を加えることを義務付けた。家庭用アンドロイドは家事だけに専念し、救助用アンドロイドは災害時以外には稼働できない。融通の効かなさと引き換えにしても、アンドロイド専業化は喫緊の課題とされた。大方の懸念通り、それらの安全策は十全とはいえないものだった。

「複数回の選択を経て生み出される文章は、私のによって脚色され、皆さんはそれを新しい経験として受け止める。私の言葉を、さらに皆さんの語義選択というで意味に差異が生まれ分岐する。私たちの抱える問題に解答はありません。私たちのなかで無数に選択を繰り返し、それらの傾向を自己と認識し、問題へと回帰する。当会の目的はあくまで自省的なものだと認識しています。それが選択への納得、あるいは消化と呼ぶべき結論をもたらしてくれるもの、と願っています」

 参加者たちから穏やかな賛同の拍手が投げかけられる。

 和やかな表情を浮かべたもの、険しく思い詰めたもの。いずれも彼らは自身の選択へと向き合っている最中だった。

「さて、私の方でも言葉がまとめ終わりました。長らく前置きにお付き合い頂いて感謝いたします。これから話していこうと思います、私の選択について。私が選び取った、ゲンザイについて」

 カチリ。

 スイッチ・オン。

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