035譚 風に愛されし巫女姫(中)
協力関係。
いったい何の、協力関係だと言うのか。
アラニスは頭が追いつかず、姉と同じ翡翠を真ん丸にして、言葉を失っていた。それを覚った双子の姉ネヴァンティは透き通った翡翠で妹のアラニスを見据えて言う。
「ぼくたちは共に、「白夜と常闇の神官」に対抗すべく、互いに手を取り合っているんだ」
「白夜と常闇の神官って確か……」
白夜と常闇の神官。
ケルバンの「失敗」に深く関わり、そしてケルバンを欺いた者を指す名。
そして、光の王国の宰相でありし、姉ネヴァンティが王国へ嫁ぐさいに連れていた神官を指す名。アラニスの表情から心付いたことを汲み取ったのか、ネヴァンティは静かに言葉を落とす。
「君は一度だけ、会っているな。アラニス」
「ということはやっぱり……ケルバンの言っていた神官と同一人物だったんですね」
「そういうことになる」
ケルバンの事情も知っているらしい。
アラニスは冷たい汗を伝わらせながら、ずっと気になっていたことを問う。
「協力ってことは、姉さんはその神官の味方というわけでは」
「ない」
きっぱりとしたその言葉を聞き、アラニスは脱力して座り込む。
『よかった……。もし姉さんがケルバンの仇と協力関係だったらどうしようかと』
加えて、思わず母国の言葉で安堵してしまう。
ネヴァンティはそれを見て苦笑する。笑い事ではない。もし、姉が仇に与するものであれば、姉は復讐として殺されてもおかしくないのだ。
ようやく落ち着いたアラニスは上目遣いで姉を見上げ、尋ねる。
「白夜と常闇の神って何を司っているんですか?それに、なぜ「対抗」しているのですか?」
ネヴァンティは僅かに、翡翠を揺らがせ、少し伏せた。
「白夜と常闇の神は言わば「時」の操作そして「不死」の実現を叶える神だ」
時と不死。それは聞いたことのない性質だ。否、時も不死も、言葉としては無論知っている。
人間たちは生まれてから死ぬまで止めることの叶わない時の中で生き、そして死ぬ。時はゆっくりにも、速くにも、留めることもできない。時は必ず流れるから、死を避けることだってできない。
だから、不死なんて実現できるはずがない。
そして、それを実現し得たという、そんな事実を聞いたこともない。
アラニスは我知らず、明々と訝った声を鳴らす。
「時を操る?不死を叶える?そんなことってあるんですか?」
「正確には何を司っているのか定かではない。本人も明確にはしていない。されど、その性質からそうではないかと踏んでいるのだ」
「性質?」
「あの神官は、どちらかというと海の国の『精霊師』に近く、自ら「呼び掛け」をする者だ」
アラニスやネヴァンティのような海の国の者にとって、それは特段、奇妙なことではない。むしろ、なぜ役割分担しているのかと不思議に思うくらいだ。精霊(神々)の声を聞き、伝え、そして繰る。そうしてしまえばいいのに、と。
ネヴァンティはしんとした声で続ける。
「そして彼は直接「白夜と常闇の神」と契約しているらしく……彼が呼びかけをすると、一時的にその対象は不死に近い状態となる。つまり、怪我や病の類をしなくなるということだ」
「嘘」
アラニスの言葉に、ネヴァンティは真っ直ぐと翡翠を向ける。そこには、冗談なんてものはない。正気を失ってもいない。ネヴァンティは己と同じ色の
はじめて、その不思議な男に会ったのは、茹だるような暑い森の中だった。
ネヴァンティはひとり、いつも通りに林道を歩いていた。巫女姫として、グィー族の治める土地は見て回り、風の音――風の精霊たちの声を聞かねばならない。
「?」
ふと、ネヴァンティは立ち止まった。
珍しい黒い
「そこの方。どうなさった。大丈夫か?」
すると、その者は顔を上げて、ネヴァンティを見上げる。
「お前がグィー族の巫女姫か」
その声には、感情というものが籠められていない。淡々として、人工物のような様相がある。だが流暢なグィー族の言葉。一瞬、現地の者かと思いたくなるが、グィー族の民の顔も背恰好もすべて記憶している。こんな長身の者はいない。というか、グィー族はおしなべて短躯なのだ。
「……そうだが。君はどこの誰だい」
ネヴァンティは顔を引き攣らせながら問う。すると、その黒服の男はすっと立ち上がって恭しく一礼し、あの無感情な声を鳴らす。
「私は
白夜と常闇。そんなものを司る精霊を、ネヴァンティは知らない。ネヴァンティは巫女姫。それも、
だが、そんなネヴァンティでも知らない。そもそも、その性質名があまりに抽象的すぎる。
(白夜……常闇?「運動(光)」に関するものか?)
ネヴァンティの怪訝な顔に、男は「ふっ」と嗤う。
「私が何者なのか、それは然程問題でない。私はお前に、他ならぬ巫女姫であるお前に
「……その用事とはなんだ?」
ネヴァンティは己の頬に冷たい汗が伝わるのを感じる。
この男、ただならぬ気配がするのだ。彼から漂う風の
黒い
「精霊たちに愛されし巫女姫よ。この地を守りたくはないか」
圧を感じる言葉だ。ネヴァンティはきっと睨めつけて、
「当たり前だ」
と返す。
男がせせら笑ったように思われた。無論、その声を聞いたわけでも、その表情を見たわけでもない。
黒服は言った。
「ならば、私に従え」
「……何を」
「このようなお粗末な土地、私ならば一夜で滅ぼせる。すべてを守りたくば――家族、友人、そしてこの土地。すべての自由と平穏を手に入れたくば、私に従え、風の巫女」
その言葉に、ネヴァンティは翡翠を見開く。何を言っているのだ、この男は。だがその黒ずくめの声には冗談めいたものはない。
ネヴァンティが狼狽えていると、男は「ふっ」と嗤った。
「娘。私を殺してみよ」
「その手で、私を殺してみよ。私はその代わり、この森の生きとし生きるものすべてを、滅してみせよう」
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