034譚 風に愛されし巫女姫(上)
「え?ケルバン。どうしてここに?」
驚きのあまり、アラニスは翡翠を見開いて声を裏返す。
ケルバンとはサラスの関門で別れたきりだ。まさかこんなところで再会するとは。それに、顔に包帯を巻いているものの、外套で隠したりはしていない状態で、なぜか衛兵たちと普通に言葉を交わしている。彼はお尋ね者であるがゆえ、人前では常に外套ですっぽり顔を隠していたはず。ならば顔の形を変えているのかというと、そうではなく、本当に包帯を巻いているだけ。
アラニスがさらに疑問を重ねようとすると、矢庭に何か重たい布のようなものを頭の上から被せられた。
「それを羽織れ」
下ろして見ればモスグリーンの
すると突然に、ティララがぷうっと頬を膨らませ、ケルバンの背をポカポカと軽い拳で叩いた。
「もう、遅いじゃない。ケル。大変だったのよ」
「これでも急いで来たほうだ」
きっぱりと返す男。この淡々と感情を感じさせない声音で話す感じ。間違えなく、そしてやはり自分の知っているケルバンだ。
アラニスはおずおずと、ふたりの会話を遮るようにして尋ねた。
「ええと……おふたりはどうして、ここにいらっしゃるんですか?」
「そういう話は後だ。行くぞ」
あっさりと一瞬で拒否される。少しくらい説明をくれてもいいのに。
ケルバンはついとアラニスから離れると、すたすたと廊下を歩き始めた。そんなケルバンを見て思わず、
「え?」
と声が上がる。そんな堂々と歩いて問題ないのだろうか。また追い回されたりしないだろうか。だが困惑するアラニスをよそに、早く来い、とばかりにケルバンが振り返っている。
ええい、儘よ!
アラニスはケルバンのすぐ後ろへ走り寄ると、ちょうどその時、その横を数人の衛兵たちが通り過ぎて行った。心臓が飛び出そうな気分になったが、その当の兵士たちは当然のように、「お疲れさま」等とケルバンへ声を掛けた。そのうちのひとりは、後方にいるアラニスを目に留めて、
「そちらは?」
と尋ねる。
だからなぜ、普通に言葉を交わしている!アラニスはドキドキしながら、ケルバンの返答を見守った。だが緊張をするアラニスをよそに、ケルバンは迷うこと無く答えた。
「お客人」
「へ、へえ?」
その衛兵は不思議そうに、まじまじとアラニスへ視線を向ける。気不味さと緊張で、アラニスは真っすぐに見つめ返せない。
それを
「侵入者、探すんじゃなかったのか?」
「そうだった!また後で!」
我に返ったようにそう言って、ようやくその衛兵は走り去っていく。アラニスのすぐ横を。
まったく状況が読めない。だがケルバンは構うことなく歩き始めた。仕方なしに、アラニスは思考停止をしたままケルバンに連れられて、廊下を渡り、階段を上がり、さらに奥へと進んでいく。
ケルバンは一室の前へ立ち止まると、低く声を鳴らした。「入るぞ」
「――どうぞ」
アラニスはその声に、瞠目した。
(うそ)
黒い縁取りのなされた木製の扉がギイイと音を立てて開かれる。
それと同時に、室内の暖かな空気が流れ込んでくる。それは一種の執務室のような部屋で、壁の所々に取り付けられた燭台の蝋燭の火が照らし上げている。両側を書棚が聳え立ち、無数の文献が並べられている。中央には書斎机。重厚感のあり、細やかな草花の文様が刻まれている。
そしてそこに、彼女はいた。
彫像に息を吹き込んだような美女だ。
白いリネンのチュニックドレスの下に曇りなく透き通った赤銅の肌を覗かせ、ヴェールの下で艶やかな長い黒髪をシニヨンに結っている。こちらを見据えているのは、きらきらと光輝く、翡翠の宝石。
アラニスは母国語で愛する彼女を呼びかけずにはいられない。
『姉さん?』
それは、海の国グィー族の娘で、巫女姫。そしてアラニスの双子の姉ネヴァンティだ。ネヴァンティはアラニスを認めるや、椅子から立ち上がって、
『よかった。無事そうで何よりだ』
にっこりと満面の笑みだ。最後に見た、やけに大人びた微笑と同じ笑み。そして、懐かしい雄々しい話し方。アラニスは困惑しながらも美しい姉に尋ねる。
『姉さんがどうしてケルバンと一緒にいるの?』
『ケルバン。あれは、ぼくの直属の護衛だ』
『……え?』
姉の言葉に耳を疑い、思わず間の抜けた声を上げてしまった。
当の姉ネヴァンティはそんな妹へ駆け寄って、愛おしそうによしよしと頭を撫でる。あんまり身長差ないのに。というか同い年なのに。
そして今度はついっとケルバンへ向き直って、
「それよりもケルバン。無事に、
外国語なので仕方がないが、姉の口調はやはり奇妙だ。……自分も言えないけれど。おそらく、丁重に、と言いたかったのだろう。
というか、連れてくる?連れてくるって言ったのか、今。
アラニスは怪訝な顔をして、ケルバンを見る。
「待って。わたしのこと、知ってたんですか」
「……まあ。人相書き渡されていたし」
つまりは知らないフリをして、さらには叩き返すフリまでしていたということ。姉へ引き渡す約束なら、どうせ連れて行くのに。アラニスは唖然として開いた口が塞がらない。
「身の安全を確保して連れて参るように何度も伝えたが?」
今度はネヴァンティ。冷ややかに翡翠を向けている対してケルバンはけろりとして、言い返す。
「怪我はしていない」
嘘だ。仕方ないが一度、顔を思いっきり焼いた。だがネヴァンティはそれを知らず、別のことで嘆く。
「ぼくの妹を囮に使うだなんて、信じられん!」
「まあそれは……死なない程度に守るようにティララに言っておいたから大丈夫だろ」
「……ん?」
アラニスはまたしても変な声を出す。待てよ。ティララは風を司る神だ。そして、アラニスが使えなくなったのも、風に付随する力だ。
「もしかして上書いたのって」
「それ、ケルよ。ちなみに実行犯は私」
あっさりと白状するティララ。そりゃあ、上書けるわけだ。ティララは高位の神。小さな神々など、彼女のひと声で押し黙る。
すると突然にバタンッ!とせ締めかけの扉が開け放たれる。
「おい、ケルバン!騒動を起こしたなら自分で収拾をつけたまえ!」
「え!?エイルビーさま?」
現れたのは神経質そうな顔の聖騎士だ。エイルビーはアラニスを認めると、拍子抜けをした様子で言う。
「なんだ。この小娘、無事に回収したのか」
これはいったいどんな状況なのか。
アラニスはちっとも頭が追いつかない。説明プリーズ、なんて言えるほど落ち着いていない。
だというのに、エイルビーはそんなアラニスを放って、ずかずかとケルバンの傍へ詰め寄る。
「貴様、面倒事をすべてこっちへ押しつけおって」
「あんた、そういうの得意だろう」
「おい!兄弟子を何だと思っているんだ!」
ふたりも互いを認識している様子。というか、普通に仲良しな兄弟弟子という感じだ。
ということは。待って。じゃあ、ティスカールでのやりとりは?ふたりは既にわかっていた?アラニスはますます混乱する。
すると、ネヴァンティがそっとアラニスの手を握った。
「アラニス。ちゃんと説明するゆえ、心配するな」
「姉さん?」
なおも脳内で大混乱をしていて、問いを口にすることも敵わない。ネヴァンティは妹をなだめるように、握った手を優しく撫でて言葉を継ぐ。
「ぼくたちは、協力し合う関係なんだ」
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