030譚 塔に囚われた罪人(上)
それは突然に言い渡された。
「第二王子シーヴラハック殿下、及びその家臣殺害の容疑で聖騎士ケルバン。お前を拘束する」
ちょうど、国王に呼ばれて王城を訪れていた時だ。他の聖騎士も
「――ハックが死んだ?」
ケルバンは茫然とした。
こうも大きく心が揺さぶられたのは実に久しかった。だから、この息も詰まらせるような、激しい動悸を抑える方法なんて分からなかった。体は重くて冷たくて、ぴくりとも動けなかった。
ドクドクと五月蝿い鼓動音が鼓膜を打つ中、周囲にいた他の聖騎士やそれらの弟子である準聖騎士たちが口々にひそひそと耳打ちし合うのが聞こえた。
「何?黄金の騎士が反逆行為を?」「いつかはすると思ったんだ」「これだから、思い上がった下賤の者は見るに耐えんのだ」
ひとり、ふたりのギャラガーの弟子の準聖騎士だけがケルバンを庇った。そんなはずはない、と。だが捕縛を命じた王の側近は耳を貸さず、ケルバンを指さして声を轟かす。
「あの黄金の騎士でなく、誰が一夜にして、数十という者たちの命を奪うと言うのだ――あの者は神々の声を聞き、呪いの言葉を吐く!」
「そんな馬鹿な!こじつけにもほどがある!」
必死に擁護をするのはふたりの準聖騎士で、ケルバンの兄弟子たち。その片方はエイルビーだ。
「あの者は孤児の元傭兵という下民にも関わらず、不遜にも第二王子殿下と懇意にあった。きっと下心で近付き、誘惑したに違いない!――捕らえろ!」
「おい、やめろ!」
エイルビーたちの抗議も虚しく、ケルバンは強く腕を引かれた。衛兵たちだ。彼らの顔は見えない。ドクドク、ドクドクと心臓の音が五月蝿くて、頭が真っ白で、見る余裕がない。
ケルバンのその様子に気が付いたエイルビーはハッとして、反論を止めケルバンの元へ駆け寄ろうする。
「馬鹿!」
気が付けば、我知らずケルバンはその衛兵の胸ぐらを掴んでいた。
「どういうことだ!ハックは……ハックはなぜ!」
まさかこんな大声を自分でも上げるとは思っていなかった。ケルバンはその衛兵に馬乗りになり、罵声を浴びせていた。後方から羽交い締めにするようにエイルビーが、
「ケルバン、落ち着け!」
その様子を見ていた見物人たちは、眉を顰め、汚いものを見るような目でケルバンを見下ろして口々に声を鳴らす。
「見ろ。あの凶暴さ」
「賤しい奴はすぐにああやって獣のように」
「ギャラガー殿もなぜあんな者を後継に立てたのか」
いつだったか。なぜあんなにも怒り狂ったのか覚えていないが、シーヴラハックに一度だけ、言われたことがある。
「君は頭に血が上ると、人間らしくなるよな。いつもそうやって、感情を出せばいいのに。俺は好きだぞ。ケルのそういう顔」
そんなわけあるか。ケルバンはエイルビーに押さえ付けられながら、朗らかに笑う第二王子の姿を思い起こす。なぜ。なぜ、死んだ。
興奮して混乱するケルバンを見下ろしていた、王の側近は低く言い放つ。
「――夜の塔へ連れて行け」
それは、王族殺しの
夜の塔は噂に違わず、寒く、暗く、寂しい場所だった。周囲を切り立った崖と氷の海に囲われ、ポツンと聳え立つ塔は
ケルバンはその最上階の牢に繋がれていた。
両腕を鎖で縛り上げられ、足にも枷が嵌められる。塔の内側に鉄格子の扉と天井近くに開けられた小さな格子戸があるのみで、外の様子は空模様の一部くらいしか垣間見ることが叶わない。昼なのか夜なのか、雨なのか雪なのか。知り得る外の情報はそれっぽっちなのだ。
鉄格子の前には常にふたりの兵士が見張り、その向こうの長く続く螺旋の階段の先にも数人の見張り兵たちが罪人を逃がすまいと立ちはだかっている。
――政争に巻き込まれたのだろう。
ようやく落ち着いて考えられるころには、ケルバンは牢の中から、その兵士たちを眺めていた。
(あいつ、死んだのか)
本当に。死んでしまったのか。
(こうも取り乱すのは、あの時以来だな)
自分でも吃驚した。思考が完全に停止して、それどころか爆発ほどに困惑してしまうとは。
「ケルバン!」
聞き慣れた男の声で、ケルバンは顔を上げた。
「ギャラガー……それと、ビルギットとエイルビーか」
鉄格子越しに、心配そうに顔を歪める老騎士やその娘、そして兄弟子の姿がある。そのうちの。口髭の特徴的な元聖騎士が鉄格子に寄り、深い声を鳴らす。
「ケルバン、必ずここから出してやるからね」
その言葉を、当のケルバンは否定する。
「――無理だ。裏にはどうせ、第一王子の一派がいる」
ケルバンは後ろ盾の少なさと、それに不釣り合いなシーヴラハックとの交友を利用されたのだ。そのくらい、学がなくて頭の足りないケルバンにも解せた。
「そんな!弟子を好き勝手させるだなんて、師匠としては放っておけない」
「馬鹿を言うな。あんたたちも殺される」
「何強がってんのよ!」
声を貼ったのはブルネットの髪の娘。あまり祖父であるギャラガーと似ていない、そばかす顔の女。ビルギットはずかずかと牢へ寄って、
「貴方、殺されるかもしれないのよ?なのにそんな、平然として!いつもそう。たまには泣いて、縋ってよ。私たち、家族でしょう」
違う。自分は彼らとは家族じゃない。
自分には家族なんてものはいない。自分は捨て子。ラウロス傭兵団の男たちだって、元同僚であって、家族じゃない。だから――巻き込んではいけない。
「ビルギット、落ち着け。あんたには本当の守るべき家族がいる。取り乱して、そのすべてを危険に晒すな」
淡々と、ケルバンは告げる。
「俺だって、簡単に死ぬ気はない。だが、そのことにあんたらは関わっちゃいけない。無い罪擦り付けられて、死ぬのが関の山だ」
ビルギットは俯き、口を噤む。そんな彼女に、エイルビーは寄り添う。そしていつものように神経質そうな、そして生真面目そうな顔をこちらに向けて、静かに言い放つ。
「ケルバン。無駄死にだけはするなよ」
「ああ」
その無表情なケルバンの声に、エイルビーは苦々しく言う。
「まったく。お前は頭に血が上ると前が見えなくなるのに、その時以外はまるで人間らしくない」
幾度となく、幾人ものの人たちに掛けられたのと同じ言葉だ。きっとおのれは、どこか歪なのだろう。
「悪かったな」
ケルバンはそう言って、塔を下りていく三人を見送った。
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