002譚 物知り爺さんと旅人(上)


 ここは幾千幾万という神々と人間ひとが共に暮らす大地。この大地には数十という王国が乱立している。その中でもっとも大きな国が光の王国と、炎の王国だ。

 光の王国は大陸を北東から南西に走るキオール山脈の北側の中央部全域を支配下に起き、さらには日々侵略を試みては、周囲の小さな国を配下に置かんとしている。


 北の厳しい気候を耐え抜いていたせいか、光の王国のその猛々しさは尋常ではない。


 そしてそれは特に、傭兵の者たちによく現れていると思う。

 彼らは吹きすさぶ北風のごとく戦場を吹き渡り、あっという間に敵兵の戦力を薙ぎ払って行くのだ。彼らは戦場で死ぬことで神々と同じへ行けると信じて、どこまでも戦う誇り高き戦士なのだ。


 それに加え、光の王国には特殊な騎士が存在する。


 彼らは神々の血を引き、神々へ呼びかけてその力を我が物とする。それはすべての人々を黙させる、奇跡の力だ。


 彼らは聖騎士と呼ばれ、民に畏怖と尊敬を一心に集めていた。

 

「さて、その聖騎士じゃが……」

 

 山沿いにある小さな村、エルクノク村で、ひとりの老人が指を立てて子どもたちの注目を集めていた。

 彼はこの職人たちが多く集まる村で最年長の男だ。彼を取り囲むように地べたに座る子どもたちは目をキラキラとさせて、老人が続きを話すのを待っている。

 だが、その言葉は続かれない。子どもたちの後方より歩き寄った長身の旅人が声をかけたからだ。

 

「すまない。尋ねたいことがある」


 よく通る、透き通った若者の声だ。

 とは言っても、実際の年齢は判らない。ダークグレイの外套マントで頭からすっぽりと体を包みこんで、顔を隠しているからだ。

 その外套マントの下には、華奢に見える、すらりとした体躯が見える。だがこのキビキビとした身のこなしはある程度の肉体的な鍛錬を積んだ者の動きだ。

 子どもたちが不服そうにしているが、無視をするわけにもいくまい。老人は真っ白になった口髭を撫でて応じる。

 

「どうしたんだね、若いの」

 

 若いの、というのは無論当てずっぽうだ。だが、この老人を超える高齢者はそうそういないので、たいていは当たる。

 外套マントの旅人もその老人の呼び方を特に気に留めた素振りはなく、おもむろに近寄って言葉を継いだ。


「ふたつ聞きたいことがある」


「ほうほう。何だね」


「まずはこんな顔をした奴を見かけなかったか?」


 懐から一枚の羊皮紙を取り出し、広げて見せる。その羊皮紙を持つ手には革の手袋がなされていた。

 その羊皮紙を覗き込むと、それは人相書きであった。老人はその描かれた顔を見て「ううむ」と頭を捻る。だが、その描かれたような特徴の者は見ておらず、素直に答えた。

「すまんのう、見ておらん」

 旅人は「そうか」と短く答えると、次の問いを投げかける。

 

「もうひとつ。海の国から王都サラスへ向かうとしたら、どの順路になると思う?」

 

「海の国?」


「そうだ」


 老人は目を瞬かせた。海の国とは、大陸から唯一離れている、島国だ。そして今はここ、光の王国の属国でもある。

「なぜそんなことを聞くんじゃ」

「事情は語れない」

 きっぱりと旅人は答える。そしてさらに、

 

「でもあんたがここで一番の物知りと聞いた」

 

 それは老人が言われて一番嬉しい言葉だ。子どもたちには「物知り爺さん」と呼ばせているくらいだ。

「そ、そうじゃな。神々の特徴から、女を口説く秘宝まで何でも知っとる。無論、旅人のよく通るルートもな」

 女を口説く秘宝についてはまったく信用ならないものだが、その実、この老人は長寿なだけ何でも知っていた。それは無論、ただ長生きをしていたからだけではない。彼は好奇心の塊、探究心の権化だ。その知識欲の幅は広く、何でもかんでも知りたがる。

「そうか。幾らで買える?その情報」

 その旅人は淡々と尋ねる。機械的で、まるで人間味のない声色だ。そのことが、老人の知ることへの欲求を掻き立てる。

「お前さん、今日の宿は取ったかね?」

 老人は唐突な問いを投げかける。さすがの旅人も一瞬押し黙ったが、すぐに

「まだだが」

 と返す。

 その返答に対して、老人はにんまりと笑った。

 

「なら、お前さんを泊めてやる。飯も用意してやろう。その代わり、ワシと話をせい。それが情報の対価じゃ」

 

 奇妙な対価である。たいてい、家を貸すにも飯を提供するにも金を取るものだ。だが、この老人にとってはそれ以上に、この男との会話に価値を見出していた。

 きっとなにか面白いものが知れるに違いない。長年培ってきた勘がそう、囁くのだ。

「ねえねえ、ロッカのお爺ちゃん。おはなしの続きは?」

 子どものひとりが、老人の服の裾を掴んだ。ロッカ、というのはこの老人の名だ。老人は「ううむ」と髭を撫でて考え込む素振りをし、すぐにその小さな子どもの頭を撫でて、

「そうじゃの。明日話してやろう」

 と言った。

 子どもは一斉に「えー!」と声を上げる。

「なんで今日じゃないの?」

「続き聞きたいのに、ケチンボ!」

「お爺ちゃんのアンポンタン!」

 何とも可愛らしい罵詈雑言である。老人は「ふぉっふぉっ」と笑って、言葉を継ぐ。

「今日はお客人をもてなさねばならん」

「ぼくたちが先だったよ!どうしてあとから来た方をするの!」

 真っ当な反応だ。子どもたちは眼尻を吊り上げて、顔を真っ赤にして怒っている。だが覚えたての「優先」という単語を正しく言えておらず、あまり怖くはない。むしろ微笑ましい。

「そんな怒るでない。高い高いしてやるからのう」

 老人はからからと笑って子どもを抱き上げようとするが、間抜けにも腰を痛め、うずくまる。この間もぎっくり腰をしたのを失念していた。

「……なにしてんの、お爺ちゃん」

 子どもの視線は一気に冷めたものになる。老人は腰を抑えながら、

「みんな、大きくなったのお」

 と言って誤魔化すが、腰をやったのは重さのせいではなく、元々痛めていたからだ。人の重さのせいにするものではない。

 老人はぶるぶると震えながら旅人を見て言う。

「すまんのお。手を貸してはくれまいか」

 ここでノーなどと言えるはずもない。ここにはヨタヨタようやく歩いているような子どもたちばかりなのだ。旅人は外套マントの奥で小さく息を落とすと、ひょいと老人の小脇を抱えて支えた。

 

「じゃあ子どもたちよ……物知り爺さんは腰を休めに……じゃなくてこの旅人をもてなしに行くからの」

 

 そんな腰でもてなせるはずないじゃん、と子どもたちは冷たい目で老人を見送った。結局、老人は客人の背中に乗せられて、家まで運んでもらったのだった。

 

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