短編②

 おかしい、何もかもがおかしい。僕と彼女の距離は「遠くから見つめるストーカーと可憐な美少女」でしかなかったはずだ。なのにそれが何故かお隣さん同士になり、今はこうして引っ越し蕎麦をひとつ屋根の下ですするやもしれない関係へと発展を遂げてしまっている。


 部屋の写真は全て片付け、壁は無駄に画びょう痕が沢山残る、人によっては鳥肌が立ってしまう集合体のような壁に変わり果ててしまっていた。そして、そんな壁をまるで度胸試しのように眺めながら、真藤さんは二の腕を摩り引きつった笑みを浮かべ振り返る。


「ウケる、なにこの壁、前に住んでた人ってどれだけ写真飾ってたんだろうね」


 前に住んでた人は現状復旧されたのだと思います、あの有名なネットミームである蓮画みたいな壁にしたのは僕です。真藤さんへの愛の形が気付けば蓮画になってしまったのですから、これも言い換えれば僕から真藤さんへの愛の告白に近いのかもしれません。


「まぁいいか、お蕎麦作ってあげるからね」


 なんてどうでも良い事を考えていると、彼女は手慣れた手つきで鍋に湯を沸かし、蕎麦を茹で始めでる。家の構造が同じだから鍋の位置とかも分かるのだろう、それはそれはスムーズに取り出して、目分量とは言い難いレベルの手際の良さで調理を始めたではないか。


 取り出したるはネギ、リズミカルに刻む包丁さばきは熟練のそれだ。

 まるで主婦なのではないかと言うレベルで料理が出来上がっていく。


「引っ越し蕎麦だけじゃ足らないでしょ?」


 そう言いながら並べられたのは、豚コマの炒め物と真藤さんが握ったであろうおにぎりだ。

 信じられない、僕の憧れの人が握ったおにぎりが我が家の食卓にある。

 そしてあろうことか、真藤さんがそれがさも当然であるかのように僕の横に座ったのだ。


 確かに僕の部屋には四角い透明ガラスのローテーブルがあり、壁には高校生の時のお年玉で購入した三十二型の大型テレビが鎮座している。主に動画配信を見る専用のテレビではあるものの、使えるものは全部使いたい派な僕はきちんとテレビ配線まで繋いであるが故に、民放の視聴も可能だ。


 だがしかし、現状テレビは点いておらず、彼女が僕の横に座る理由は一切ない。普通は対面に座るのではないのだろうか? チーが出来ないポンだけの関係が僕と真藤さんの距離ではなかったのだろうか? さらに言えばこのザル蕎麦だ、さも当然のように僕の麺ツユには氷が入っているのに対し、真藤さんは自分の麺ツユにお湯を入れている。


 普通こんな風に分けるものであろうか? 確かに僕はザル蕎麦も氷が入った麺ツユで食べるのが大好きだ、冷ややかなツユが麺をよりシコいものにしてくれるし、喉越し爽やかになる氷麺ツユだ大好きだ。


 それにしてもだ、初対面に近い挨拶をした者同士で麺ツユをわざわざ分ける必要があるのだろうか? これはもしかして壮大な罠なのではないか? 罰ゲームと称して僕に嘘告白をするつもりなのではないのだろうか? ああ受け入れようその嘘告白、真藤さんの嘘告なら是が非でも受け入れたい所存だ。


「食べないの?」

「あ、すいません、頂きます」


 ちゅるり……ずぞぞぞぞ、もぐもぐ ごくん。


 美味しい。ザル蕎麦の茹で加減も最高だし肉もおにぎりも全部美味い。

 なんだろう、お母さんが作ってくれたような安心感と共に全て食せてしまった。 


 しかも洗い物まで済ませた彼女は、そのまま当然のように僕の隣に座り、スマートフォンをいじり始めたではないか。壁にクッションをあてて自分の部屋にいるかのように寝そべり、僕がいないかのように身体を僕の方に向ける。


 パーカーとインナーシャツがよれて彼女の谷間と下着が薄っすらと見える。

 ……見ちゃダメだ、というか彼女はこんなにふしだらなお方なのだろうか。


 高校時代にも浮ついた話は幾つか耳にしたものの、彼女は全てお断りしているとの事だった。

 イケメンのクラスメイト、サッカー部の先輩、生徒会長、美術部の先輩、後輩。

 真藤さんが告白されると知ると全て僕の耳に入ったのだから、間違いは無いはず。

 実際に見に行った事もあったし、断っているのも目撃している。


 だからこそ、今の真藤さんが真藤さんじゃないような気がしてならない。

 初対面の男の部屋に入って献身的に家事をし、痴態を晒すような人じゃないんだ。


「真藤さん」

「ん? どうかしたー?」

「あの、時間……もう、十時です」


 時計の針は深夜帯を指し示す。

 無関係な男女が一緒にいてはいけない時間帯だ。


「あれ……本当だ」

「そろそろ帰られた方が良いかと」

「……帰る、か」


 なぜ悩む、隣の家なんだから終電が無くなったとかでもないだろうに。

 立ち上がった彼女は玄関まで向かい靴を履くも、そこで止まる。 


「ねぇ、ヒツジ君」

「はい」

「このまま泊まっちゃたりしたら」

「ダメです」


 玄関の扉に手を叩きつけて、僕は彼女を否定した。

 これ以上は、僕の中の真藤睡蓮が壊れる。

 彼女はこんな簡単に男とベッドを共にしない、真っ白な人なんだ。


「女の子なんですから、もっと自分の身体を大事にしないといけないんです。僕だって男です、いつ真藤さんに手を出してしまうか分からないんですよ」


 結構キツ目の言葉を投げかける。

 僕はバカだ。

 

 僕に訪れた真藤さんとお付き合いする千載一遇のチャンスだったのかもしれないのに、それを自ら投げ捨ててしまう愚か者だ。


 僕と真藤さんは単なるお隣さん同士であり、勝手に意識していたのは僕の方なんじゃないのか? とにもかくにも、これでもうお終いだろう。僕は真藤さんに嫌われて、明日から軽蔑の眼差しを浴びながら四年間生きるハメになるのだ。


 バイトして引っ越し代を貯めよう。

 きっとその方が僕の精神に優しい。


 そんな事を考えている時だ、彼女のとても小さな声が耳に入ってきたのは。


「……カッコいい」

 

 なんだと? 叱責した僕がカッコいい? よく見れば真藤さんの瞳は潤み、まるで壁ドンを受けた時の少女のように輝いているではないか。


 そんな馬鹿な、僕は美容院にも行かず、床屋で「眉毛揃えておきますか?」と言われるぐらい自分の顏には無頓着極まる男なのに。そんな僕の顔を見ながらカッコいい? 聞き間違いだろうか、だがしかし真藤さんに聞く訳にもいかず。


「あの、そうですよね、ごめんなさい、すぐに帰ります」

「え、あ、ああああ、あの、暗いので気を付けて下さい!」


 僕と真藤さんの家の距離は徒歩一歩だ。

 暗いもくそもないだろうに、一体何を言っているのか。


「……はい、気を付けて帰りますね」


 でも、そんな僕の言葉であっても、彼女は微笑みながら受け入れてくれたのであった。

 


※真藤睡蓮視点


 ~~~~~~~~~~ッッ!

 ヤバイよカッコいいし優しいよ! 

 やっぱりヒツジさん大好き、早く一緒になりたいって思っちゃう!

  

 でもダメ、ここまで前回と同じ人生を歩んできたんだから、同じように生きないと。


 二十年ぶりに受けた授業が楽しくて無駄に高い点数とっちゃったりしたけど、お陰で前回と同じ大学に入る事が出来た。前回は恋愛とかで親と揉めちゃって、逃げるようにこのアパートに引っ越してきたんだけど……まぁ、結果が同じなら問題ないよね。


 本当はヒツジさんとカップルとして高校生活を送りたかった。 

 

 でも、過去を変えてしまった事で私の知る未来にならない可能性を考慮すると、それは出来ない。万が一その選択をした事によって、ヒツジさんが事故死する未来にだってなり得てしまうんだ。彼がいない人生なんて想像したくもない。


 ……前回の時は、初めてヒツジさんを見た時の感想は「キモイ」だったっけ。

 笑い話によくしてたけど、今思うと私最低だって思っちゃうな。

 よく私なんか受け入れてくれたよね……本当、愛しても愛しても足りないくらいだ。


 うん、これでファーストコンタクトはOKよね。 

 私達が付き合うのは大学一年の夏、一緒に旅行に行った時に告白されたんだ。


 初夜はその時の旅行から帰ってきた時に、彼の部屋でした。

 一番大事な愛娘である日奈を授かった時のHが、私の二十七歳の誕生日の時。

 次いで、長男の漣を授かった時のHが三十歳の時……ここは絶対に外す訳にはいかない。


 お腹を痛めて産んだ、大事な子供たちにもう一度会いたい。

 その為に、私は私をもう一度生きるって決めたんだ。


 だから、お願い。

 もう一度、私のことを愛して下さい。


 そして、一緒に死の運命から逃げられるよう、協力して下さい。 

 愛しています……ヒツジさん。

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