孤独な振戦━━あるいは癲癇感覚

@Yoyodyne

他者に与えられた死と人間性の除去

路上で目を覚ますと室外機の音が聞こえる。

その音はこう言う━━殺鼠剤を飲め、線路に飛び込め、飛び降りろ、頭を撃ち抜け、首を吊れ。

死ぬことそれはくだらないことだ。現存する生が生きるに値しない苦痛しか生まないものだとしてもなぜ死を美化できるのか?

命題も記号も存在できない絶対的無は何も証明しない、絶対的無からは何も証明できない。

しかし、絶対的でなければ死ぬまでして必死になって追い求めることもできない。

あまりにも死それ以降に対し楽観的すぎていないか?

死は自ら欲してそれを得るまでの価値があるのか?

現前する一切の価値を認めていないのにもかかわらず。

(自らを欺くものも含めた)詐欺師を除いて死後は誰も知らない。詐欺師はいつでも価値を捏造する。

死後の生が意識のみの形であれ永劫回帰であれ存続するのであれば外的要因に頼る手段をただ捨てて裸の不安と苦痛に直面しなければならなくなる。

目が開かれているかどうかそれはどうでもいいことだ。なぜならその存在の意味と形態とそれぞれの諸関係において人は盲目でなかったことはないのだから。

ゲロとタンポンをぶちまけたような色のついた深淵か、全ての色を統合し形体の根拠である光の波長が認識できなくなった刹那の先もわからない深淵か。基本的な選択権は剥奪されている。

同値の選択をコストを払ってまで実行する意義は私にはない。目の前に広げられるケツの穴から自分の眼球がギョロギョロ覗き込んできて潰すように誘惑してくる。自嘲、自罰、自損、自害どれも喉の奥底に導き入れて消化器官のその空っぽなトーラスの中空を貫きその脳死の機械に接続されたい衝動に駆られる。そういう風に私を仕向ける。

しかし、代償行為として私がしたことと言えばリストカットの後のパクリと開いた傷口に陰茎をなすりつけ精液をぶちまけるくらいのことだ。精液を用いれば大抵の傷は癒える。

必要性の社会に飽きて常に倦怠感に苛まれ続ける。そのうち恐怖心すら湧くようになった。LEDとビープ音が織り成す強烈なだけの皮相で稚拙なロマネスクの点滅によって条件づけられた報酬系に従順化し隷属することは現代の神であり倫理である。

神は死んだ。人への愛ゆえに。だが、神を殺した醜い男は後悔し神を蘇生させた。その神は最早以前の神ではなかった。

必要性という記号や響きにはどこかFnord性があるように感じる。

その記号を通して恐怖や不安の根源となる危機感が捏造される。

一方には現実として命名され実感を持って心的に現れる危機の信号があり、非現実には非現実の信号がある。

非現実と現実の境は曖昧であり虚構(フィクション)はいつでも現実を侵食する。

嫉妬という絆で固く結ばれたそれらは正規の手順では最早切り離す事はできない。

白い紙にインクをたらした紙を漂白したり、割れたガラスを再度一切のつなぎ目なく元通りにする事はイデアに属する事である。

イデオロギーはイデアの劣悪な模倣品にすぎないが人間には充分な効力を齎しイデアのような不可能を現象で可能であるということを納得させる。

イデオロギーは常に人の手を離れ最適な願望は意思伝達の困難さのため成就することはない。

だからこそ今トイレに籠る必要がある。トイレに引き籠もることは部屋が引き籠もることよりも安心させる。トイレの荒々しい排泄された生汚染され汚辱にまみれた陶器に未練たらしくこびりついた生がここが母の胎内であることを再確認させゴテゴテした警告文の貼った引き戸(鍵を掛けるには毎回赤児の首を捻る必要がある)は処女膜のように外界と内観を仕分けする。トイレで生活することは倒錯した資本主義社会で生活する事である。

それは支配観念=現実に所有された時間を強奪し再所有するための闘争でありその過程である。

今ノックがなる。二三のノックの後にオートマティックな定型文で「大丈夫ですか?」という。

その声の主を知ることはできない。それに応じて唸り声を上げる。もちろん便秘のためでない。トイレの水が余りにも口に合わないからだ。ノックの度に耳鳴りは相手に聞こえるほど強くなり現実との調律を図るために唸り声を上げ続ける。やがて声の主は居なくなり生まれた時のように(その記憶を持っていないのになぜ想像できるのか)全身びしょ濡れになってその場を後にする。

人が縄張りを示すためにその便器にションベンを引っ掛けるからこちらも定期的にションベンを引っ掛けその水を飲まざるを得ない。トイレにコントロールされていることを理解しているが気付けない。人は気づく時同意しなければいけない。

気づくということは新しく何かを得ることではなくすでに持っているものの別の側面を見出すことだ。全身をぐしょりと濡らしたまま、多目的トイレを出る。そして出入り口付近にあるストゼロロング缶の詰め合わせを掴むと全速力で道路を駈けていく。飲みながら走るとすぐ酔いが回り、現実感が喪失していく。そうすれば、件の廃屋に逃げ込める。泥酔していなければそこを見つけることはできない。初めてここに入った時は私は高校生だった。その頃、私は度々身体が硬直し痙攣した。金縛りに似ているのは白昼夢と同じ反応を肉体に強いるからだろう。だが、共通しているのはそれだけで、金縛りにありがちな時代遅れの薄ボケたベージュのワンピースを着た協調運動障害気味の女は視界に現れない。

一度硬直痙攣が始まれば周りは期待━好奇と軽蔑が均等に混ぜ合わさった眼差しを向ける。そのうち遠のく意識の果てで黄色い救急車のサイレンが聞こえ「なかよし」と名の付いた病棟で目を覚ますことになる。そこの診断医は患者を催眠(これは療法と呼称されていた)によって人格をタナー段階2〜3まで幼児退行させた後強姦しトラウマがなければ植え付け、あれば塗り替えることを生業としていた。

硬直を解すためにアルコールを常備するようになった。アルコールが齎す虚脱作用が象徴秩序との有機的結合と個人を切り離す。

それにつれて死に損ないの化け物たちの話し声が不明瞭になる。

その廃屋は全焼したかのように屋内に属する物全てが黒塗りで個々の物品の境界が曖昧だった。リビングに相当する空間には生焼の死体とテレビとビデオゲーム(プレイステーション)があった。それに近寄ると死体は起き上がりこちらを見つめてくる。左目は完全に消失していて眼窩の向こう側から生前の姿であると考えられる健康そうな尺度を縮小した顔がノイズ混じりに見ることができた。

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