14.花嫁はただ一人だけ

 目を開けると、最初に入ったのは天蓋だった。

 家主の趣味なのか、布の色は濃いブルー。だけど、それよりも気になったのは、両手足首に付けられた頑丈な革ベルト。

 傷つけないようぐるぐる巻かれたベルトの下には布が何重にも巻かれているが、その先はベッド全体に固定されている。


 身動ぎしてもロクに動かせず、背中が僅かに浮くだけ。

 再びベッドに体を沈めると、スプリングがギシギシと虚しく鳴った。

 こうなった経緯を思い出そうとした直後、足元から扉が開く音がした。


「おや、お目覚めですか」


 部屋に入ってきたのは、金属バットを手に持ったジェルマ・クォーツネル卿。

 彼の顔を見て、わたしは全てを思い出して睨みつける。

 ……そうだ。わたしは誘拐されたんだ。かなでさんと、この人に。


「奏さんはどうしたの?」

「安心しなさい。彼女はすでに家に帰っている。あなたをここに連れて来るという役目を終えているからな」


 ジェルマはあっさりと言いながら、バットをサイドテーブルの横に置く。

 ガチャンと何かがぶつかる音が聞こえた。バットは深めのせいで、何が入っているか分からない。


「実はですね……マユミ様に少しご協力したいことがありまして」

「協力? こんな強引な手段を使って?」

「ええ。何せ、あなた様は【一等星】シリウスの花嫁。まともに取り合ってもお断りされるので」


 ……つまり、この人はシリウスなら絶対断るだろうことをわたしにしようとしている。

 もちろん、そんなものに付き合う義理はわたしにない。


「そんなの、わたしの知ったことじゃないよ。そもそも何をしようって言うの?」

「ええ。少し、あなた様の血を頂きたいのです」


 そう言ったジェルマが手にしているのは、明らかに医療用の注射器。

 しかもよく見る鉛筆みたいな細長いものではなく、明らかに採血用のもの。

 だけど普通の注射器と違い、フランジという鍔の両側に持ち手としてリングがついていた。


「花嫁が太陽の魔力を保有しているのをご存知でしょう? 太陽の魔力は、我々が持つ夜の魔力の質を高める性質を持っております。本来ならば朝食作りの際に、手順を踏んで魔力を込めることで取り込むことは出来ますが……生憎、その恩恵を得られるのは花嫁を持つごく一部の魔法使いのみ。そこで、私は考えたのです。もし太陽の魔力を定期的の摂取できる宝石があればいいのではないか、と」

「…………まさか……っ!」

「ええ。あなた様にはその栄えある宝石製造機一号になって欲しいのです」


 ニタ……と悪人らしい笑みを浮かべたジェルマに、わたしは拘束を解くために動こうとする。

 しかしベルトがベッドに固定されているせいで、ロクに動くことが出来ない。

 その間にもジェルマは注射器の針の先をわたしの腕の上に乗せる。


「聞くところによると、マユミ様の太陽の魔力は他の花嫁と比べて高い様子。量産できれば、誰もが強い魔法を難なく行使できる。きっと魔法界中の魔法使い達は喜ぶことでしょう」

「ふ、ふざけないで! そんなこと、許されるわけ……!」

「ええ。もちろん、この件が世間に知れたら私とてタダではすみません。……ですが、そうなる前に手を打てば、もみ消すことなど容易い」

「この、外道……ッ!」

「なんとでも。……さぁ、マユミ様。その尊き血とその恩恵を、私にお与えください―――」


 怒りを込めて睨みつけるも、それをそよ風を受けたように平然としながら受け止めるジェルマ。

 ロクな抵抗も出来ず歯噛みするわたしを見ながら、針はゆっくりと肌に突き刺さる。


 ゆっくりとプランジャーが引かれ、ガラス製の筒の中に徐々に入っていく血。

 血が抜かれていく感覚を味わいながら、わたしは意識を保つために必死にジェルマを睨み続けた。

 その間、ジェルマはずっと恍惚な笑みを浮かべていた。



♢♦♢



 ルベドは、織物業と養蚕業ようさんぎょうが盛んな土地だ。

 土地の四分の三が白銀蚕しろがねかいこを育てるための施設があり、そのすぐそばの工房からは布を編む機織りの音が聞こえる。

 その北に位置する区画は居住区や商店街が密集しており、ベテルギウスの屋敷はその先に見える丘の上にある。


 私、シリウスがこのルベドを訪れた理由。

 それは、エリーから送られてきたマユミの誘拐の報せ。その誘拐にベテルギウスの花嫁であるカナデ・ココノエが関与している可能性があるからだ。

 天馬の馬車に乗って、屋敷に向かう。屋敷は漆喰を使った白い壁とオレンジ寄りの煉瓦の屋根が特徴の牧歌的な外観をしていた。


 私の屋敷もそうだが、【一等星】の屋敷はどれも派手ではない。

 それはきっと、今以上の地位を手に入れないという初代達の意思の表れなのだろうが、それを気にする暇はない。

 屋敷に入った直後、階段を走るように降りてくる少女が現れる。


「――――シリウス様!」


 カナデ・ココノエ。

 頬を薔薇色に染めて、己を花嫁にして魔法使いに眼中にない彼女は、嬉しそうに笑みを浮かべながら私の胸の中に飛び込んでくる。

 その時、胸元につけたファイアオパールのブローチが妖しく光る。


「ミス・ココノエ」

「シリウス様、ようやく私あなたの花嫁として迎えに来てくださったのですね! ああ、やっと……やっと私の人生が元に戻る……!」

「カ、カナデ……何を言って……?」


 目尻に涙を浮かべながら訳の分からないことを宣う彼女に、ベテルギウスは青い顔をしながら手を伸ばす。

 無骨で大きなその手がミス・ココノエの肩に触れる前に、空気が破裂したような音と共に振り払われる。


「触らないで! 私はもうあんたの花嫁じゃないのよ!!」

「カナデ………」

「元々、あんたのことなんて好きじゃなかった! 両親が勝手に決めた、身売り同然の政略結婚。……毎日毎日、ルベドここの連中は言うのよ。『ベテルギウスの花嫁としての自覚がない』『あんな素晴らしい御方の花嫁になったのに我儘だ』って。好き勝手ばっかり言って! 私は望んで花嫁になったわけじゃない! あんたがいなければ、私の人生はもっと幸せなものになっていたの! もう……もう、私の幸せの邪魔をしないでよっ!!」

「………………」


 花嫁の完全な拒絶。

 それは今まで歩み寄ろうと努力した友の努力の裏切り。

 流石のベテルギウスもこれには堪え、青を通り越して白い顔をしたまま突っ立ってしまう。


(…………ああ、そうだなベテルギウス。辛いよな。愛すべき花嫁に、ここまで拒まれるのは)


 もし、私も彼らのようになっていたら、きっとマユミはミス・ココノエのように拒絶しただろうか?

 ……いや、あの家族がいた以上、その可能性はきっとかなり低い。

 それでも、IFもしもを考えてしまうと、我が身のように心が痛んだ。


 そんな私の心情を余所に、ミス・ココノエは蕩けたような目を私に向ける。

 今まで相手してきた女と同じ、一方的な恋情が混じった目を。


「シリウス様。どうかこのまま私をあなた様の屋敷に連れて行ってください。私が本物の花嫁だから来てくださったのでしょう?」

「…………」

「……シリウス様? どうして何も仰らないの?」


 不思議そうに小首を傾げて、私の頬へ手を伸ばそうとする。

 その指先が触れる前に、私は左手で彼女の手首を掴む。


「残念だが、それは勘違いだ。私はただ、マユミを攫った主犯の手伝いをしたあなたに話をしに来ただけだ」

「え……? 愛結まゆみを? 何故? だって、あの子は―――」

「ああ、そうだ。私の屋敷から攫われた。エリーが教えてくれた、貴様が彼女を攫ったことを」

「……!」

「答えろ。彼女は一体、どこへ連れて行った?」


 無意識に力が籠もり、ミス・ココノエの手首を強く握る。

 彼女はその痛みに顔を歪めるも、それでも笑みを浮かべる。


「なんで……? なんで今、あいつのことを気にするの!? あいつはもういない! 私があなた様の本当の花嫁! あいつより美人で、魔法も上手くて、そして誰よりもあなたを愛してる! それでいいでしょう!?」


 ミス・ココノエが叫びに、私は悟る。

 きっと彼女は、自分こそが私の花嫁に相応しいのだと信じて疑わない。

 自分以外の女は私に相応しくなくて、隣にいることすら許せない。


 それは、私すら想像できないほどの憎悪を宿した『嫉妬』。

 誰よりも純粋で、夢を見る娘だったからこそ、彼女のこの感情は利用された。

 このファイアオパールのブローチを贈った相手に。


「――ミス・ココノエ。貴様が私の花嫁に相応しいと思うように、私は自分に相応しい花嫁はマユミしかないないと思っている」

「そんなのっ……それこそあり得ない! あなたはただ、約束をしたからあいつを花嫁にしたに過ぎないはずでしょう!」

「そうだ。私が約束した。愛する者がいなくなり、孤独に蝕まれ、幸せを食い潰されそうになった時、花嫁として迎えに行くと」


 魔法使いの約束は、ある種の魔法契約だ。

 魔法契約は強力な契約であり、破れば相応のペナルティが下される。

 たとえ口だけの約束でも、一度約束を交わせば、それを違えることは許されない。


 だからこそ、魔法界にはこんなことわざがある。

 約束は破ってはならない。破る者に幸福な未来はない――と。


「約束を守るためにマユミを花嫁として迎えた。それがどうした? 私は彼女を愛しているし、彼女もまた時間はかかったが私のことを愛してくれている。この先、私が貴様を花嫁として迎えるなどあり得ない。――未来永劫、これからも」


 はっきりと、ミス・ココノエがベテルギウスに向けた拒絶と同じくらいの拒絶を向けると、幸せを得ると夢見た少女の顔が絶望に染まる。

 足に力が入らなくなり、床に座り込んでしまった彼女は「嘘よ……嘘よ……」とぶつぶつ呟く。


 だが、今の私にそんな戯言を聞く時間はない。

 ゆっくりと杖を抜き、その先をミス・ココノエ――正確には胸元のブローチに向ける。


「砕け」


 杖から放たれた破壊魔法は、見事にミス・ココノエのブローチを粉々に砕いた。

 ブローチの破壊と共に意識を失い、彼女の体は床に倒れた……と思ったが、その前にベテルギウスが受け止める。

 まだ顔は青白いものの、咄嗟に動けるほどには回復したようだ。


「そのブローチ、やっぱり……」

「ああ。使用者の特定の感情を増幅させる魔法と、催眠魔法の二つが付与されていた。……そして、こんな付与ができて宝石を使う者など一人しかいない」


 ジェルマ・クォーツネル。

 あの出世欲のある男が、今いる花嫁の中で太陽の魔力が極めて高いマユミに目を付けないなどあり得ない。

 オレンジ色に輝くオパールの破片を踏み潰しながら、私は踵を返す。


「私はクォーツネル卿がいそうな場所を探す。ベテルギウス、お前は?」

「…………ごめん、俺はここにいるよ。原因はこっちにあるし……カナデのことも、片付けないと」

「そうか」


 ベテルギウスはやや震えながら、ミス・ココノエを抱えて彼女の自室へ運ぶ。

 ……きっとあいつは、彼女を人間界送還させるだろう。そうなってしまった原因はこちらにある以上、彼に同情する資格はない。

 こうなった元凶と己の不甲斐なさを恨みながら、私は屋敷を後にした。

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