21.ありがとう

 歩美あゆみ達が人間界に帰ってから二週間が経ち、わたし達は以前約束した日曜日を過ごしていた。

 本当はもっと前に予定だったんだけど、プロキオンの仕事――魔法生物の飼育・管理――で、急な依頼が入ってしまったことと、シリウスも長年お世話になっている魔法薬師から貴重な魔法植物の購入を依頼されてしまったせいで延期になっていたのだ。


 そしてなんとか当日を迎え、東屋に近い位置に長テーブルを出しているシリウスとプロキオンを見ながら、エリーとミナと一緒に手伝いをしている。

 今まではエリーが用意していたけれど、今回は人が多いし妖精達も参加するということで、量が一気に増える。

 何もしないでいるのは嫌というわたし達の思いを汲み取ったエリーは、朝食作りの時のようにサンデーローストを作る時はサポートに徹することになったが……それは逆に、それ以外は手伝いだけという意味だ。


(まぁ、エリーには譲れない一線があるみたいだし、ここは素直に従おう)


 そうして、わたしとミナはサンデーロースト作りに取り掛かることにした。

 サンデーローストで使われるお肉は、牛肉とか鶏肉、季節によってはジビエを使う。しかし今回はシリウスの好物である鶏肉と、プロキオンの高粒である牛肉を使うことになった。

 わたしはローストチキン、ミナはローストビースを担当することになった。


 オーブンを二二〇度に余熱した後、調理台に向かい合わせにながりながら、さっそく料理開始。

 まな板の上に鎮座する立派な丸鶏。たまに内臓がそのままにした丸鶏があるらしいけど、これは中抜き(いわゆる内臓の下処理)も毛の処理もされているので、そのまま調理できる。

 最初に、丸鶏は綺麗に中までよく洗ってから、きちんと水気を取る。中に詰めるレモンを二個水で洗う。


 そして少し多めで塩と胡椒をまぶし、表面と背中に刷り込む。

 お腹の中にレモン二個とニンニク四欠片、さらにローリエ、タイム、ローズマリーを入れたら、お尻を爪楊枝で留めて、手羽と脚をタコ糸で縛る。この辺は慣れてなくて、エリーに手伝ってもらった。すごい早業でね、もうシュババッて縛ってた。

 そしてオリーブオイルを満遍なく塗って、オーブンに入れて後は焼くのを待つだけ。


 一仕事を終えてひと息吐きながら、ミナの方も見る。

 ミナの方も下準備は終えていて、同じようにひと息吐いていた。


「お疲れ、ミナ。お肉のようはどう?」

「大丈夫よ。ただ、プロキオンが張り切ったこともあって、使うお肉がフィレだったからちょっと緊張したかな」


 苦笑するミナを見て、わたしは気の毒そうな目で見つめる。

 ローストビーフで使うお肉は脂身が少ない赤身肉。ポピュラーな部位ではウチモモだけど、フィレは高級な肉。庶民ならば、手を出すことすら難しい肉をローストビーフという丸ごと使う贅沢料理に使うなんて……。

 わたしなら絶対手震わせながら調理してた。


「エリーの方は……うん、手伝う必要はないみたいだね」


 付け合わせの野菜はメインが出来上がる前に焼けばいいし、ヨークシャー・プディングもちょうど焼き上がった。

 手持ち無沙汰になり、エリーに断りを入れてから妖精達が食べる果物を食べやすいサイズにカットしていく。魔法植物ではない普通の果物は、人間界と比べて糖度が高め。もちろん果物の一部はわたし達のデザートとしても頂戴するつもりだ。


 そうして他の準備を終えて、ようやくローストチキンもローストビーフも出来上がる。

 オーブンから取り出したローストチキンはジュージューいい音を立てていて、ローストビーフは切った断面が綺麗なピンク色。付け合わせの焼き野菜とヨークシャー・プディングを盛り付け、その中央にメインを置く。


 ソースポッドに作っておいたグレイビーソースをたっぷり入れ、それと料理の数々をワゴンに乗せて庭に向かう。

 庭では魔法使い二人がセッティングしており、テーブルクロスが敷かれていて、人数分の椅子も用意してある。テーブルの中央にはオレンジとピンクの薔薇を生けた花瓶が飾られていた。

 二人がワゴンを転がすわたし達を見て杖を振るうと、料理や食器などが宙に浮いてそのままテーブルの上に置く。その時にグラスに飲み物を注がれた。ちなみに、シリウスはレッド・エール、プロキオンはダーク・エール、わたし達は葡萄ジュースだ。


「よし、これでいいな」

「じゃあさっそく、サンデーローストを楽しもう!」

「えー、では、今日を祝して!」

「乾杯!」


 乾杯し合うと、一斉に飲み物に口をつける。

 わっ、美味しい! 葡萄ジュースは甘いけど、後味がさっぱりしている。シリウスもプロキオンもエールを満足そうに呑んでいる。……エールって、どんな味なんだろう? 気になる……。

 わたしが興味津々にエールを見ている間に、エリーがテキパキとローストチキンとローストビーフを切り分け、付け合わせとヨークシャー・プディングと一緒に別々のお皿に盛りつけていく。


 グレイビーソースをたっぷりかけて、ナイフとフォークを使って一口サイズに切り分け、口に運んだ。

 ……うん、我ながらいい出来だ。皮はパリッと中はふっくらジューシー。ハーブとニンニク、それとレモンの風味も効いていて、いくらで食べられる。

 野菜はちゃんと塩で味付けしていて、素材本来の甘みをぐんと引き立たせている。


 一番気になっていたヨークシャー・プディングは、味は甘くなくて、食感はシュークリームのシューの部分と同じ。

 でも肉汁たっぷりのグレイビーソースを絡ませると、ソースの濃い味がマイルドになる。

 ローストビーフの方も気になって食べたけど、お肉はとっても柔らか! ソースとの相性は言わずもがな。


 トム達もカットした果物を嬉しそうにむしゃむしゃ食べていて、特にウサギにカットした林檎は大好評。なんならちょっとした争奪戦が起きている。

 あ、一番小さい赤毛の男の子の妖精――名前は確かロン、だったかな? が争奪戦に負けた。ロンはしくしく泣いてたけど、プロキオンが笑いながら一番大きいラズベリーをあげた。よかったね。


「そういえばマユミ、姉からの手紙は来たのか?」

「あ、うん。今朝届いたよ。あらたさんと早苗さなえさん、離婚したって」


 歩美との最初の手紙の内容は、新さん達の離婚とその後についてだった。

 新さんは夏に新しく出来る支社の社長になることが決まり、その準備などですでにその支社がある地方に引っ越している。

 早苗さんは実家に戻り、ハローワークで就職先を探し中。だけどこれまでの経緯もあり、彼女は自身の父親――わたしにとっては一応祖父に当たる人――によって二度と新さんと歩美に会えないようになった。


 そして歩美は、都内にある女性専用マンションで一人暮らしをしながら高校に通っている。

 手紙にはあの一件のこともあり、進路を早苗さんが勧めた女子大学から社会福祉系の大学に変更したらしい。

 彼女に一体どんな心境があったのか分からないが、少なくとも歩美自身の意思で選んだ道を応援したい。


「そういえばシリウス、歩美にも太陽の魔力があったの?」

「なんだ? いきなり」

「だって、太陽の魔力って人間界の女性にしかない魔力なんでしょ? もしかしたら、歩美にもその魔力があったんじゃないかって思って……」


 わたしの質問にシリウスはしばし黙ると、手に持っていたグラスをテーブルの上に置いた。


「確かに太陽の魔力は人間界の女性しか持っていない魔力だ。だが、彼女には魔力はなかった」

「え? どうして?」

「太陽の魔力というのは、我々だけでなく君達にも多大な恩恵をもたらす。その代償として、宿主は不遇な身の上になるんだ」

「不遇……」

「そう。片方の秤に乗せた『幸運』と釣り合うように、『不幸』ももう片方の秤の上に乗せてくる。君の場合、母親の死とあの家族の冷遇が『不幸』として、私の花嫁に選ばれたことが『幸運』として秤に乗せられた。対して姉の方には、天秤に乗せるほどの『幸運』も『不幸』があまりなかった。だからこそ、太陽の魔力が宿っていなかったんだ」


 シリウスの話は少し難しかったけれど……つまり、太陽の魔力は高ければ高いほど宿主は不遇な目に遭う。わたしはその例に該当していたからこそ、あんな悲惨な目に遭っていたということだ。

 正直なところ、この太陽の魔力の面倒なシステムに関しては色々と苦情を言いたい。でも、それのおかげでシリウスと出会い、彼の花嫁になれたのだから、心境としては複雑だ。


 話を聞き終えてちょっともやもやしながら、わたしは上を見上げる。

 濃淡鮮やかな青空は雲一つなく、頬を撫でる風は時間が過ぎる度に暖かくなっている。庭のあちこちに自生している花々は優しく甘い匂いを放ち、妖精達ともう一人の【一等星】とその花嫁の笑い声が心地いい。


 わたしにとって、幸せを具現化したような光景。

 それが今、こうして目の前にある。

 ……それを見せてくれたのは、他でもないこの人だ。


「シリウス」

「ん?」


 エールを飲んでいたシリウスがこちらに顔を向ける。

 わたしを映す灰色の瞳。あの時より背が伸びて顔つきも逞しくなったけど、この瞳だけは変わらない。

 人間界に逃げたくなるほど重く苦しい【一等星】の責務を、わたしを花嫁にするためだけにずっと背負い続けてくれた。


 ならば、わたしも死ぬまでこの人に。

 これから先の未来も、愛も、与えられるものは全部。

 でも……これだけは、今伝えたい。


「わたしを見つけてくれて、花嫁にしてくれて、ありがとう」


 わたしの感謝の言葉に、目の前にいる旦那様は呆けたように目を丸くする。

 だけど何かを察したのか、シリウスは優しい笑みを浮かべ、万感の気持ちを込めて言葉を紡いだ。


「それはこちらの台詞だ。――私の花嫁になってくれてありがとう。マユミ」

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