20.復讐と願い

「ねえ、歩美あゆみ


 いきなり話しかけてきたわたしに、歩美だけでなく他の二人も驚いた顔をした。

 いつもならここで早苗さなえさんが「歩美に話しかけないで!」と言うだろうが、今の彼女にそんな気力はない。

 それをいいことに、わたしは目の前にいる腹違いの姉に訊く。


「歩美はさ、どう思ってるの? お父さん達のこと」

「パパとママのこと?」

「そう。わたしはもう、この二人は自己中なクソ夫婦だって思ってる。その認識はもう一生変わらない」


 さらっと悪口を言うけど、二人は何も反応せず黙ったまま。

 歩美はそんな両親を無言のまま見つめる。


「だけど、肝心の歩美はどう思っているか分からない。……だからさ、もうはっきり言っちゃって。今まで思っていたこと全部」

「思っていたこと……」


 人差し指の先を顎に当てながら、歩美は「んー」と間延びした声を出しながら考える。

 だけど、それもすぐ終わって、指折りに数えていく。


「まず最初に、パパはとっても無責任。いくら愛結まゆみと一緒に暮らしたいからって、ママのこともあたしのことも考えなかったのはどうかと思う。ただでさえ元恋人の娘ってだけでも厄介なのに、勝手に引き取ったのはほんとに無責任としか言えない」

「そ、そう……」

「ママも顔が似ているからって、あなたにあんな風に嫌がらせして、正直娘として恥ずかしかった。なのにあたしの前だと吐き気がするほど溺愛してるし……色んな意味で気持ち悪かった」

「へ、へぇ……」

「だからね。あたしはパパとママのことはもう好きじゃないし、娘として見ても最低だと思ってる。もうそれくらい、この人達のことが嫌いになってるよ。その後離婚したとしてもそれは自業自得だし、どっちが親権を得ようが一緒に暮らしたくないな」

「………………」


 …………どうしよう。これは流石に予想外。

 こんなに喋ったこともそうだけど、実の両親に対してそう思っていたことも。

 家にいた頃の歩美はいつも無表情で何を考えているか分からなかったけど、口を開いたら人の心をナイフでブスブス刺すほど辛辣な言葉が出た。


 現に父も早苗さんも、歩美の本心を聞いて目を丸くしている。

 だけど、シリウスはその反応が面白かったのか小さく笑ってる。プロキオンもだ。

 ミナは二人の反応を見てちょっと困っている。二人とも、笑うのはいいけど声に出さないでよね。


「……じゃあ、わたしのことはどう思ってるの? こんな風に家族を壊したわたしを……恨んでないの?」


 唇が震えるほど緊張しながら訊く。

 そう、これが一番聞きたかった。今まで色んな理由付けでわたしのことを気にかけていたとはいえ、彼女にとって家族が壊れた原因でもある。

 そんなわたしが、この魔法界でシリウスと幸せに暮らすことは、きっと彼女にとって許さない行為かもしれない。


 もちろん、歩美がどう言おうとわたしはシリウスと一緒に生きていきたいし、たとえ〝次代シリウス〟が現れて彼が【無星】となっても、死ぬまで添い遂げたい。

 歩美はわたしの質問を聞いて、また「んー」と間延びした声を出しながら考えると、そのままにこっと笑う。


「別に恨んでないよ。今まではママがうるさいから、なるべくバレない範囲で構っていたけど、それは母親が違くても妹のあなたと仲良くなりたいと思ったからだよ。だから、この世界で幸せになってもあたしは恨まないし、むしろ今まで迷惑をかけて苦労した分、幸せになって欲しいって思ってる」

「歩美……」


 じわりと涙を浮かべるわたしに、今まで家族を騙すほど演技が上手い腹違いの姉は笑顔で言った。


「だから愛結、どうかこの世界で幸せになって。それが、パパとママのした所業に対する復讐であり、あたしが心の底から叶えて貰いたいお願いだから」


 わたしが幸せになる。

 それが父と早苗さんに対する復讐であり、歩美が叶えて貰いたい願い。

 それはきっと、とても難しくて、だけど絶対に叶えてやろうと思えるもの。


 今まで両親の姿を見続けた歩美だからこそ、この願いを口にしたのだろう。

 そう理解したわたしは目尻に溜まった涙を指先で拭いながら頷くと、歩美は嬉しそうな顔をする。

 そして顔を青くする二人の顔を見て、またにこっと笑顔を浮かべる。


「そういことだから、あたしはパパの元にもママの元にも行かない。あたしも自分の人生は自分で選ぶから」

「あ、歩美……」

「――お父さん……いえ、


 歩美に何か言おうとした父――あらたさんに声をかける。

 本人はびくっと肩を震わせて、怯えた顔でわたしを見る。まるで見捨てないと言わんばかりに。

 でも、最初にわたしと母を捨てたのはあなただ。


「これ、返しますね。もうわたしには必要ないので」


 冷え切った紅茶が並べられたテーブルの上に置いたのは、かつてこの人に買ってもらった伊達眼鏡。

 ……もう、こんなものがなくても平気だ。だって、わたしの顔を見て、容赦なく叩く人も罵声を飛ばす人もいない。

 

「これから、わたしはこの世界で幸せになるよ。それがあなた達に対する復讐になるから」

「ま、愛結……っ」

「さよなら、新さん」


 縋るような顔をしても、もうわたしとあなた達の縁はここで切れた。

 いや、もうとっくの昔から切れていたかもしれない。引き取られた時は、すでに切れるか分からないほど細く繋がっていたかもしれないけど。

 だからこそ、ここではっきり告げたのだ。決別の言葉を。


 新さんが震える手で眼鏡を手に取る。

 それとわたしの顔を交互に見つめて、ボロボロと涙を流しながら嗚咽を漏らす。

 早苗さんも旦那のその姿を見て、何か言おうと口を開くも結局は閉ざし、そのまま項垂れた。



 結局、二人がようやく立ち上がって屋敷を出たのは、それから一〇分が経ってからだった。

 すっかり戦意喪失した二人の後ろ姿は、強風でも吹けばそのまま倒れそうだ。

 この後、プロキオンが事前に呼んだ人間界交通部の職員を乗せた馬車が屋敷までやってきて、そのまま三人を人間界に帰すことになっている。


 訪問目的がどうであれ、彼らはきちんと正式な手続きをして魔法界にやって来た。

 ならば、無事に送り届けるのは人間界交通部のちゃんとした仕事だ。

 屋敷の門の前で突っ立っている二人を置いて、あんな辛辣な言葉を吐いたとは思えないほどいつも通りの歩美が話しかける。


「愛結。手紙でもいいからこっちに送ってくれない? また魔法界ここに来たいと言わないからさ」

「え、えっと……」


 思わず隣にいるシリウスを見ると、彼は杖を取り出して振るう。

 すると歩美の目の前に木で出来た置物を出現させた。

 それは子供のお絵描きでよく見る家と形は似ていたけれど、全部が真っ赤に塗られている。表に長方形の差し込み口、その上に郵便マーク。裏には取り出し口らしき扉がついている。


「人間界と魔法界に暮らす者同士が使う郵便箱だ。封筒に差出人の名前を書けば届くようになっている」

「貰っていいの?」

「ああ。今回の件の詫びだと思って受け取ってくれ」

「やったー」


 歩美は魔法の郵便箱を見て、嬉しそうに抱きしめる。

 すると彼女の目がシリウスに向いた。


「シリウスさん」

「なんだ?」

「愛結のこと、幸せにしてあげてくださいね」

「……もちろんだ。私が人生を懸けて、彼女を幸せにしよう」


 まるで嫁に出す娘を託す父親と託された婿の会話だけど、ちょっと配役がおかしい。

 二人もそう思ったのか軽く笑っていると、ガラガラと車輪が回る音が聞こえてくる。

 人間界交通部の使者がやって来たのだ。新さんと早苗さんが使者によって馬車に乗せられているのを見て、歩美は笑顔でわたしに手を振る。


「ばいばい、愛結」

「ばいばい、歩美」


 これで互いの顔を見るのが最後かもしれないのに、なんとも軽やかなものだろうか。

 でも、それでいい。たとえ二度と直に顔を見せ合えなくても、わたし達が姉妹なのは変わりない。

 歩美達を乗せた馬車が遠ざかるのを見ていると、ポンッと音と煙と共に歩美が持っていた郵便箱が現れた。


「わっ、っとと!」


 慌ててキャッチすると、郵便箱を出した犯人――シリウスは優しく頭を撫でる。


「そんな顔をするな。中々会えなくなろうが、手紙はいつでも送れる」

「そう、だよね……」

「それより、早くエリーの機嫌を取ろう。紅茶に一口もつけなかったことが大変ご不満らしい」

「あ」


 じーっと玄関の扉の隙間から睨んでくるエリー。

 どうやらせっかく用意した紅茶を、一口も飲まずに放置したことに怒っているらしい。


「ごめんね、エリー。えっと……あの紅茶をアイスティーにして、美味しいごはんとお菓子を一緒に出して欲しいなぁ……」


 わたしの提案にエリーはしばし思案すると、こくりと頷いて厨房の方へ小走りで向かう。

 その後ろ姿を見て、シリウスはやれやれと肩を竦める。


「あの様子なら山盛りの菓子も料理も出るだろうな。……夕飯までに消化できるよう頑張ろう」

「うん」


 さっそく漂ってくる香ばしい匂いを嗅ぎながら、わたし達は我が家に戻る。

 扉が閉まる直前に見た外は、家族だった彼らと義姉を乗せた馬車は、すっかり見えなくなっていた。

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