シリウスの花嫁
橙猫
第一章
1.謎の男
――子供は親を選べない。
テレビで流れる児童虐待のニュースで、専門家などがよく口にする台詞だが、わたしは常々言い得て妙だと思っている。
事実、子供というのは天からの授かり物で、その授かり物がどこに行くかなんて当の本人達ですら分からない。唯一知っているとするならば、それは神様だけというもの。
つまり何が言いたいかというと、わたし、
――否、訂正しよう。
さて、大変恐縮ではあるが、ここでわたしの不幸話に付き合って貰いたい。
長々と楽しくない内容を語ってしまうが、そこは目を瞑って、静かに拝聴して欲しい。
♢♦♢
わたしの父は、良く言えば人が好い男で、悪く言えば不誠実な男だった。
大学生時代、父は所属していたサークルで二人の女性から好意を寄せられていた。
片方はわたしの母で、もう片方は高校時代の同級生だった女性。父は母を選んだにも関わらず、その裏でもう一人の女性と結婚していて、その女性との間に娘もいることも告げて母を捨てた。わたしを身籠ったのは、ちょうどその時らしい。
何故、そんなことになったのか今でも分からない。
だけど分かるのは、父が本気で愛していた相手は、母ではなかったということ。
母は愛する人に選ばれなかったという、残酷な真実だった。
父に捨てられた後、母は大学時代から暮らしていたアパートでわたしを育ててくれた。
母は父と結婚していなかったから慰謝料は貰えず、
早朝から夜中までくたくたくになるまで働いて、でもわたしの前ではその疲れを見せないで笑顔でいた母。
すでに鬼籍に入った両親の遺産や学生時代に貯めた貯金を崩し、恨み言を言わずに精一杯愛してくれた母。
そんな母を見るたびに、わたしは父に怒りを抱いた。
――何でわたし達がこんな目に遭ってるの?
――お父さんは、わたしとお母さんのこと大切じゃないの?
――嫌い。お母さんを辛い思いにさせてるお父さんなんて、大嫌い。
そんな思いを隠しながら、わたしは母にとって面倒のかからないいい子でいた。
我儘を言わず、真面目に学校に通って、病気になって家で一人になっても泣かない、そんないい子に。
そうすれば、母は安心して働きに行けるから。
……でも、母は仕事先で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
死因は過労死。わたしが小学四年生の時だった。
母の訃報は、わたしだけでなく父にも伝わった。
葬式は仕事先の上司と同僚だけの小さなもので、粛々と終わらせた後に初めて会った父は、いつも見ていた写真のままの朴訥だけど優しそうな男性だった。
こんな虫すら殺せそうにない人が母を死に追いやったと思うと、わたしは素直に『お父さん』と呼べなかった。
葬式後、わたしは父に引き取られることになった。
いくら捨てたとはいえ、血縁関係がある以上、わたしを施設に預けるのは世間体によろしくない、という大人の事情で。
わたしは「施設に行きたい」と駄々を捏ねたけど、父は「我儘を言うんじゃない」と偉そうに叱った。自分の都合で母とわたしを捨てたくせに、どの口でそんな偉そうな台詞が吐けるのだろうか。
結局、暮らしたくもない父に引き取られ、移動中の車の中で自分の名前は
でもわたしは、正直父のことも、その家族のことなんてどうでもよかった。
だって、玄関を開けて待っていたのは、母そっくりのわたしを見て憎悪の眼差しを向ける早苗さんと、彼女の腕の中で抱きしめられながらじっと見つめてくる歩美だったから。
引き取られた後も、わたしの生活は変わらない。
まるでドラマのような一家団欒を過ごす父と早苗さんと歩美。だけど、そこにわたしの居場所はなく、まるで家政婦のように扱われた。
食事も洗濯も掃除も必ず手伝いをさせられ、中学に進学すると全部わたしに押し付けられた。流石に日用品とかは一緒に使えたけれど、その際の買い物では必ず荷物運びをしなくちゃいけなかった。
入学式も、卒業式も、授業参観も、親子遠足すら誰も来てくれない。周囲からみれば異常だが、わたしからすればそれが〝普通〟だった。
そのせいなのか、わたしは彼らを〝家族〟ではなくただの〝他人〟だと思い込むようになった。
実際、向こうもわたしのことはほぼ〝他人〟ようなものだった。互いにそう認識していたことで、わたし達はなんとか〝家族〟の皮を被ることができた。
だけど、そんな歪な家族生活に暗雲が立ち込める。
早苗さんが、父に隠れて借金を作って、ブランド品を買い漁っていたのだ。
元々、地元でも有名な資産家の娘だった早苗さんは、周囲の反対を押し切って父と結婚したそうだ。その際に実家の縁が切れてしまい、僅かな荷物と大金が振り込まれた通帳、それに印鑑などの必需品を持って家を出たらしい。
だけどお嬢様だった頃の癖が抜けず、自分の口座だけでなく闇金融に借りたお金を湯水の如く使い続けた結果、借金の督促状が届くようになった。
これには流石の父も怒り狂いながらも、健気に借金返済のために今まで以上に働いた。
父が自分に甘いのをいいことに、早苗さんはさらに贅沢をし始め、督促状は減るどころか増える一方。
増えていく督促状に頭を抱える父と、自室で買った高そうなバッグや化粧品を見て喜ぶ早苗さん、そして母の手によって美しく着飾る歩美。
そんな彼らの姿をわたしはひたすら無視を決め込み、巻き込まれないよう努めることに専念したのだ。
そして、現在。
借金返済を催促され続けて約一年が経った三月三一日、わたしは一七歳になった。
母が生きていた頃の誕生日は、小さくも立派なホールケーキを買って、好物を作ってくれたけれど、今の家に引き取られてからはそんなものを口にした覚えはない。
ただ自分で自分に「誕生日おめでとう」と言うだけの虚しい日になっていた。今年もそんな無味乾燥な誕生日を迎えるのだろうと思いながら、帰路についていた。
「店長、大丈夫かな……」
高校に入ってすぐ始めた喫茶店のバイト。春休みだからフルタイムで入っていたけれど、お昼過ぎになって店の電気設備がダメになってしまい、いつもより早く店を閉めることになった。
喫茶店の建物自体、リフォームしたけれど設備はかなり古かったし、前から停電を繰り返していたから、きっと寿命なのだろう。
今頃店で工事を依頼しているだろう店長に脳内で応援を送りながら家の玄関を開ける。
いつも通り「ただいま」と言おうとしたが、それは出なかった。
扉の先にいたのは、いかにも
その男達の前に立つのは、青い顔をした父とブランドの洋服を一式身に包んだ早苗さんろ歩美。帰ってきたわたしを見て、早苗さんは歪な笑みを浮かべ、男はサングラス越しにわたしを見た。
「おい、こいつか?」
「ええ、ええ、そうです! あの子が借金を返済してくれますわ!」
腕の中にいる歩美を抱きしめながら言った早苗さんの言葉に、わたしは全てを察した。
ああ、今日からわたしは〝道具〟になるのだと。
そして、父はそれに何も言わず、受け入れていると。
女性が借金を返済する方法など、簡単に想像できる。
でもモデル体型で美人な歩美と違って、平均体型でスクエアレンズのノンフレーム眼鏡をかけた地味なわたしでは、きっと大した足しにもならない。むしろ歩美の方がわたしの倍稼げるはずだ。
男達もそれを理解しているだろう。少し苦い顔をしながらも、無骨な手がわたしの肩を抱いた。
「じゃあ、このまま引き取らせて頂きます」
「もちろん、喜んで! よかったわね、愛結。これでようやく役に立てられるわ!」
真っ赤に塗った唇を動かして好き勝手に宣う早苗さんと、母の隣で髪先をいじる歩美。そして必死に素知らぬ顔をする父。
もう、全てがどうでもよかった。わたしの人生なんて、どう足掻いてもロクなものではない。
抵抗もせずそのまま男達に連れられ、玄関のドアが開いたまま門扉を開けた時だ。
「――――待て」
目の前で声をかけられる。
誰もが制止し、わたしも声をした方を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
そこにいたのは、片手に革製のトランクケースを持った、ロングコートを羽織る黒髪の男性。
肌は陶器のように白く滑らかで、顔立ちは女性だと思うほど細い。背丈も高く、明らかに二〇代は超えているだろう。
何より、わたしの目を惹いたのは灰色の目だ。まるで月の光を凝縮したような色合いで、顔よりもその目がとても美しいと思えた。
「ああ? 誰だアンタ」
「私はシリウス。――彼女の夫となる者だ」
「………………はい?」
……夫? 今、この人、夫って言った??
突然の発言に黒スーツ集団だけでなく、父達も口を開いていた。
「そこにいるクズ共が借金を溜め込んで、その返済のために未来の妻を売ろうとしていると聞いた。私がその借金を肩代わりする。だから彼女から手を離せ」
「か、肩代わりって……そんな金、持ってるのか!?」
「ある」
直後、シリウスと名乗った男性はトランクケースを持ち上げると、留め具が勝手に外れた。
そのまま中が開くと、バサバサバサッと一万円札の束が薄汚れたアスファルトの上に落ちる。
……ちょっと待って。そのトランクケース、ハンドバッグ並に小さいよ? なのに、なんでそんなに札束が出てくるの??
「即金で一〇億だ。足りるか?」
「た、足りる! むしろ余るくらいだ!」
「そうか。なら余った分はそのまま連中に渡せ。手切れ金としては充分のはずだ」
「ヘ、ヘイ!」
シリウスに言われるがまま、明らかに下っ端らしい男が借金分の金を受け取り、そのまま残ったお金を父達に渡す。
いきなり入ってきた大金に家族の誰もが絶句する中、シリウスはわたしの腕を引っ張って、そのまま優しく肩を抱いた。
「では、彼女は私が貰い受ける。いいか、これでお前達の縁は切れた。――二度とその醜く汚らわしい顔を見せるな」
最後の部分をドスの効いた声で告げると、父の顔は青を通り越して白くなり、歩美は呆然としたままで、そして元凶の早苗さんは恥辱で真っ赤になる。
シリウスはその姿を見て、ふんっと鼻を鳴らすとそのまま踵を返し、わたしを優しくエスコートしながら連れ去った。
いつか、自由になったら絶対に出ようと決めていた、あの家から。
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