第一章 ~『知らされた秘密』~

 僕は気を失った坂本を保健室のベッドへと運ぶ。清潔感をアピールするような白い壁と薬品の匂いに包まれながら、僕はベッドの傍にある丸椅子に腰かける。


「意識がないと、本当に人形みたいだ」


 人とは思えないほどに整った顔とシミ一つない白磁の肌は保健室の白さも相まって、非現実的な存在感を放っていた。


「うっ……っ……」


 坂本は意識を取り戻したのか、瞼を擦って目を覚ます。


「あれ、私……なぜベッドに……まさか才谷くんに連れ込まれた?」

「馬鹿を言わないでくれ。君が気を失ったから、僕が保健室に運んだんだ」

「冗談だよ。君がそんな卑劣な真似をしない人間だって、私は知っているから……それとここまで運んでくれて、ありがとう。重かったでしょ?」

「多少は」

「酷いなぁ……私、こう見えてもスタイル良いんだけど……」


 坂本が自分の腰に手を添えると、手がしっかりとくびれに沈んでいく。モデル並みの体型である。


「そんなことより、突然気を失うなんてただ事じゃない。病院で診てもらった方が良いよ」

「病院かぁ……実はもう診て貰っているの」

「体調でも悪いの?」

「ずっとね。私ね、もう長く生きられないの。たぶん今年中には死んじゃうかなぁ」

「またいつもの冗談?」

「まさか。こんなこと冗談で言えないよ……心臓病でね。薬で延命しているんだけど、無理が身体に歪を生むんだろうね。今回のように気絶しちゃうことがあるの」

「…………」

「他の人には秘密だよ。私、クラスの人気者だから、きっと周りの人に心配かけちゃうもの」

「ならどうして僕に教えたんだい?」

「私が才谷くんのことを好きだからといえば驚く?」

「驚くね……それで、本当の理由は?」

「私の愛の告白をすんなりと流すね……まぁ、そういうところが才谷くんらしさなんだけど……」


 まるで僕がひねくれ者のような口ぶりは誠に遺憾であるが、余命が短いという彼女の告白を聞いた後では軽口を叩けなかった。


「私ね、才谷くんに興味があるの」

「僕のようなつまらない人間にかい?」

「坂本龍馬のことが嫌いだなんて勿体ないもの。彼を好きにさせることこそ私の使命だと感じたの」


 まさか坂本龍馬が嫌いなだけで、ここまで執着されるとは思わなかった。芸能人の熱心なファンは信者と表現されることもあるが、なるほどこれが龍馬教の布教活動なのかと得心する。


「坂本さんが龍馬を好きになったキッカケは何かあるの?」

「キッカケかぁ……歴史小説で好意は抱いていたんだけど、どっぷり嵌ったのは、祖母の遺言があったからかなぁ」

「祖母の遺言?」


 遺言に龍馬? 意味が分からない。


「祖母の遺言に残されていたんだけど、実は私ね、坂本龍馬の子孫らしいの」

「何を馬鹿な。龍馬に子供なんていないよ」

「でもいたの。祖母の祖父、つまりは高祖父が坂本龍馬で、高祖母が楢崎龍なの」


 楢崎龍とは坂本龍馬の妻であり、二人の間に子供はいない。それが公式の記録だ。


「信じられないなぁ。何か証拠があるの?」

「あるよ」

「え、あるの!?」


 坂本はスカートからスマホを取り出すと、一枚の写真を見せてくれる。それは坂本家の家系図だった。彼女のいる位置を上へ上へと辿っていくと、確かに龍馬と楢崎龍の名前がある。


「この家系図があれば、ひねくれ屋の才谷くんも信じてくれる?」

「これだけだと無理かな」

「えーッ、才谷くんは疑り深いねぇ」

「僕以外の人でもこれだけの情報だと、きっと信じないと思うよ」

「なら決定的な証拠を見せてあげる」


 坂本はスマホの画像をスライドさせて、別の画像を表示する。そこには銀塩よりさらに古い湿板で撮影された写真に、赤ん坊を抱く老婆が映し出されていた。


「この写真の人は?」

「私の高祖母。つまり楢崎龍だよ。そして抱いている赤ん坊が私のおばあちゃん」

「楢崎龍は美人で有名だったそうだけど、高齢になってもその面影が残っているね」

「なんせ私のご先祖様ですから。美人なのは当然です」

「自分で言っちゃうのか」

「自分で言っちゃいます」


 僕は楢崎龍の写真と坂本を見比べる。全体の雰囲気と、目元がそっくりだった。子孫だという話も案外嘘ではないのかもしれない。


「どうかな? 私の話、信じてくれた?」

「まだ疑ってはいるけど、本当の可能性も十分あると思えるほどには」

「ひねくれているなぁ。信じているってはっきり口にすればいいのに」

「嘘は吐きたくないからね」

「そっか。才谷くんらしいね」


 坂本は小さく笑いを零す。何が可笑しいのか分からないが、その嬉しそうな笑い声を聞いていると、こちらまで嬉しくなるようだった。なるほど、これが人望の正体かと、彼女をマジマジと見つめていると、一層深い笑みを投げ返してきた。


「才谷くん、これで君は私の秘密を二つも知ることになったね」

「僕が望んだことではないけどね」

「私の秘密を知る世界で一人の男の子。その存在は私の望んだモノだけど、でもこれって不公平だよね」

「何が言いたいのさ」

「私の秘密を教えたのだから、対価に君の秘密も教えて欲しいの」

「僕の秘密か……」


 人に知られたくない秘密は人間誰しも一つや二つ持ち合わせている。それは僕とて例外ではない。


「秘密といっても色々あるけど、具体的に何が知りたいのさ」

「そうだなぁ……才谷くんは恋人とかいるの?」

「そんなの秘密でも何でもない。僕のような影の薄い男と付き合ってくれる女性がいるのなら、目の前に連れてきて欲しいくらいさ」

「はーい、はーい。ここにいるよ」

「……坂本さん以外で」

「がーん」

「冗談はそれくらいにして、君の本当に知りたいことはなんだい?」

「どうやら才谷くん、私の性格を理解してきたようだね」

「否応なしにね」

「なら君が坂本龍馬を嫌いな理由が知りたいな」

「いけ好かない奴だからでは納得できないかい?」

「う~ん、納得はできないかな。なんだか君の言葉には歴史を紐解いて得られること以上の情報が含まれている気がするの……そう、まるで実際に龍馬と会ったかのような……そんな口振りに聞こえるの」

「会ったことはないね。ただ……」

「ただ?」

「坂本龍馬の人生を体験したことはある……これが僕の秘密だ」


 誰にも語ったことがない、それこそ家族も知らない秘密だった。


「信じて貰えないと思うけど、僕は龍馬に起因するトリガーがあれば、意識をタイムスリップすることができるんだ」

「タ、タイムスリップ……SF小説の話?」

「いいや、SFでも非現実なファンタジーでもない。僕は意識を坂本龍馬に憑依させることができる……いや、正確には坂本龍馬の人生を幻覚で追体験することができるんだ」

「幻覚?」

「これは精神医学で認められている現象なんだけど、精神に傷を負った人がストレスから逃れるために、過去や他人の出来事を現実で起きているかのように再体験することがあるんだ」

「つまり才谷くんは坂本龍馬にタイムスリップした幻覚を見たことがあるの?」

「その通り……しかもただの幻覚じゃない。僕の脳が生み出した幻覚は、五感がリアルに感じ取れるし、僕の知らないことまで追体験させてくれるんだ」


 幻覚はきっと僕が無意識に知った情報を表層化させてくるのだろう。脳にとっては経験済みでも、覚えていない僕にとっては新鮮な体験になる。


「とまぁ、今話したのは僕が自分に起きている現象を分析した結果だね。もしかすると幻覚なんかではなく、本当にタイムスリップしている可能性もゼロではないよ」

「だとしたら羨ましいなぁ。私も龍馬の歩んだ人生を経験してみたいよ」

「羨ましがられるようなものでもないさ。なにせ僕は龍馬が嫌いだからね。嫌いな奴の身体に入り込むのだから、鳥肌が立ちっぱなしだよ」


 龍馬の人生の追体験は嫌いな俳優が主演の映画を鑑賞している気分になる。気持ちの良いものではないのだが、僕のこの能力に、坂本は意義を見出したのか、目をキラキラと輝かせる。


「才谷くんのその力、私に貸してくれないかな?」

「僕の力なんて何の役にも立たないと思うけど……」

「いいや、君にしかできないことがあるの。これを見て」


 坂本はスマホの画面に手紙の写真を映し出す。それは龍馬の奥さんである楢崎龍が、妹の起美に送った手紙だった。


 そこには悲しみを込めて、『龍馬は本当に私を愛していたのだろうか』という疑問が書き綴られていた。


「私の高祖母は龍馬に愛されていたか悩んでいたみたいなの。私もこの謎の真実を知りたい。だから才谷くんの能力で調べてくれないかな?」

「えー」

「お願い! ほら、この通り」


 坂本は両手を合わせて、僕に縋るような目を向ける。きっと純朴な男子生徒なら一発で首を縦に振るだろう。しかし残念、僕はひねくれ者である。彼女の願いに静かな口調で、こう答えた。


「お断りします」

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