今際の君が愛した打ち上げ花火

上下左右

第一章 ~『僕は坂本龍馬が嫌いだ』~


 僕の高校には委員活動が存在し、部活をしていない生徒は何か一つ役職を担当しなければならない。


 委員活動の中で特にハズレなのは飼育委員だ。学校で飼っている動物の世話をやらされるわけだが、クサイ、ツライ、キツイの三拍子が揃い踏みで、餌やりのために早起きまでしなくてはならない。


 僕は飼育委員を避けるべく、比較的楽そうな図書委員へと立候補した。本の整理などが課せられるが、空調の効いた部屋での事務作業なら多めに見てやってもいいという判断だ。


「サッカー部は大変そうだね」


 僕はリノリウムの廊下を歩きながら窓の外に視線を移す。サッカー部が白と黒のゼブラ模様のボールを必死になって追いかけている。若さ故に沸き立つエネルギーを彼らはああやって発散しているのである。


「委員活動を免除されるために部活に入る手もあったけど……止めておいて正解かな。部活の方が遥かに大変そうだ」


 サッカー部ではないが、中学時代に所属していた剣道部の活動が大変だったことを思い出す。厳しい先輩に暑くて臭い防具、嫌な思い出が僕を部活動から遠ざけてくれる。


「そもそも学校側の制度設計にも問題がある。部活や委員活動を強制にするのは生徒の自主性を阻害することになるからね。世の中には何もしたくない生徒がいるのだから、そういったマイノリティもきちんと救ってあげてこそ、真に平等な社会が生まれるんだ」


 熱意ある奴に活躍の場は与えてあげることに反対はしないが、無気力な僕まで巻き込まないで欲しい。


 やらなくていいことはやらない。不変安定こそ至高なのだ。現状からの維新は幕末志士にでも任せておけばいい。


「図書室に来るのも久しぶりだな」


 重い扉を開くと、心地よい空調の風が飛び込んでくる。快適な環境の訪れに待っていましたとばかりに足取りを軽くして、仕事場である貸出受付へと向かう。


「あ、才谷くんだー♪」

「坂本さん……」


 受付に座るクラスメイトの坂本牡丹が手をヒラヒラと振る。長い睫毛と整った顔立ち、腰まである長い黒髪は絹でできているようだ。学園一の美女とまで称される彼女は、その美貌に加えて全国模試一位の学業成績を収め、家が海運業を営むご令嬢でもある。


 中途半端に能力が高いと人から妬まれることもあるが、ここまで完璧だと蟻が雲を見上げるようなもので、他人から嫌われることもなく、坂本はクラスメイトたちからの人望まで厚い。


 坂本のことを好きになる男子は数知れず、女子の友人まで多い。きっと学園で彼女に苦手意識を抱いているのは僕くらいのものだろう。


 そう、僕はこの坂本牡丹という少女が苦手なのだ。誰とでも分け隔てなく話すため、こんな僕にも躊躇いなく声をかけてくる。平穏を望む僕は彼女のような有名人と接点を持つことを望まないのだ。


「これからは同じ図書委員だね。一緒に頑張ろう♪」

「そうだね……」


 坂本が図書委員に立候補したのは僕の想定外だった。委員は先着順で立候補者を募り、余った役職を部活にも委員にも属していない生徒に割り当てる方法で選出する。


 図書委員の枠は二枠しかなく、僕が立候補した時にはまだ一枠余っていた。その一枠にはきっと僕のような目立たない生徒が立候補してくると予想していたが、蓋を開けてみれば、まさかのそこにいるだけで目立つ少女の坂本である。僕は彼女のフランクな挨拶に壁を作るため、僅かにだが目尻を吊り上げた。


「まさか才谷くんと同じ図書委員になれるとは思わなかったよ。運命を感じるね」

「…………ッ」


 坂本がいったい何を考えているのか分からない。僕のことをからかっているのだろうか。だが残念。下手な希望を抱くほど僕は夢想家ではないし、それに何より僕は君のことが苦手なのだ。


「坂本さんはなぜ図書委員になったの?」


 坂本はスクールカーストの頂点に君臨する人気者である。なぜ図書委員のような日陰者の役割を選んだのか理解に苦しむ。


「えへへ、気になる?」

「多少は」

「私、才谷くんのストーカーだから、君が図書委員になると知って、慌てて立候補したの」

「……で、本当は?」

「あっさりと流すなぁ、でも才谷くんのそういうところ、私、好きだよ♪」

「ありがとう。僕も自分の性格は気に入っているよ」

「うふふ、才谷くんらしい答えだね……私が図書委員に立候補したのは本が好きだからだよ」

「そんなことだろうとは思っていたよ。で、どんな本が好きなの?」

「ミステリーも好きだし、古典文学も好き。何なら可愛い女の子が表紙に書かれたライト層向けの本も読んだりするよ。でも特に好きなのは歴史小説だね。年に百冊は読む歴史オタクなの」

「歴史小説なら僕も読むよ。戦国時代の合戦なんかはスケールが大きくて読み応えがあるよね」

「才谷くんも歴史好きなんだ……同好の士がいると知れて、私は嬉しいよ」

「僕も坂本さんとの間に共通点は何もないと思っていただけに驚いているよ」


 まさか坂本が歴史オタクだとは。人は見かけに依らないものである。


「才谷くんも歴史好きなら幕末を描いた作品も読んだりするの?」

「幕末か……読むには読むよ。けど好んでは読まないね」

「勿体ないよ! 実は私、歴史小説の中でも特に幕末志士が活躍するお話が好きなの! 才谷くんにも幕末の良さを知ってもらいたいなぁ」

「趣味が悪いね。幕末志士なんて碌なモノじゃないよ」

「まるで見てきたかのように話すね」

「何度か話をしたこともあるからね」


 坂本は僕なりの冗談だと受け取ったのか、クスリと笑う。だが冗談ではないのだ。僕は幕末志士と出会い、あいつらと接し、そして奴らが嫌いになった。


「才谷くんは幕末志士が嫌いかぁ……もしかして坂本龍馬も嫌いなの?」

「僕が一番嫌いな人間だね」

「ええっ! あんなにカッコイイのに!」

「でも嫌いなものは嫌いなのだから仕方ないだろ」

「ぐぬぬ……ならそんな君に私からプレゼントだ」


 坂本は受付に積み上げられた本の中から一冊の本を取り出す。本の表紙には『汗血千里駒』と記されていた。明治時代に高知の新聞で連載されていた坂本龍馬の伝記小説だ。


「その本なら読んだことあるよ。龍馬ブームの原点になった本だよね。挿絵の女の子が可愛かったのを覚えているよ」


 『汗血千里駒』は当時珍しい挿絵付きの小説――現代でのライトノベルのような小説だった。龍馬が維新へと込めた思想を見事に描いた名作である。


「挿絵の女の子が可愛いか……ちなみに私とどっちが可愛い?」

「ノーコメントで」

「あっ、才谷くん、ずるいぞ」

「ずるくてもいいよ。とにかく僕はその本を読んだことがある。ストーリーも良くできていたし、もう一度読むのもやぶさかではない。ただ僕が龍馬を好きになることはないよ」

「え~どうして? 坂本龍馬が嫌いな日本人なんて才谷くんくらいだよ」

「僕は大衆に媚びないんだ。それになぜあんな男が人気者なのか理解できないよ」

「龍馬は犬猿の仲だった薩摩と長州に手を組ませた英雄なんだよ。あの人がいたから徳川幕府は滅び、明治の新時代が広がったの。これが如何に凄いことか誰だって知っているよ」

「でも時の政権を滅ぼすなんて、現代ならただのテロリストだよね」

「うぐっ……で、でも、時代が違うし……それに何より龍馬はカッコイイ。だから許されるの」

「その結論だと僕は何も言い返せないけど、僕が坂本龍馬を嫌いな気持ちも変わらないよ」

「頑固だね、君は」

「よく言われるよ」


 坂本はクスクスと小さな笑いを零す。しかし急にその表情が真っ青になり、机に突っ伏した。


「……坂本さん?」

「…………」

「冗談だよね……」


 僕は坂本に起きるよう声を掛けるが彼女は何の反応も見せない。それは彼女の肩を揺らしてみても同じだった。僕は彼女の顔をジッと見つめて確認するが、瞼はしっかりと落とされ、気を失っていた。


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