百合で学ぶ高級チョコレート
橙山 カカオ
■Q1. 高級チョコレートって何が違うの? / A1. 風味、甘味、濃厚さ
オフィスビルにある共用の休憩スペースの片隅。同僚のグループから少し離れて、おにぎりを齧る。
働く女子にとって、昼休みはいわばオアシス。時間もカロリーも、過不足なく味わわなければならない。
だが、今日はそこに追加があった。
生クリームがたっぷり詰まったクロワッサンだ。
「はい、差し入れ。アンタ甘いの好きでしょ?」
「……
部署の違う同期、
受け取ったそれを手の中で回して眺め、旬は溜息をこぼす。
経理課の金城鉄壁たる佐武 旬と、営業課のエース茅間 木乃香。正反対の二人は、同期入社の中ではよく話す友人でもあった。
「何、このカロリーの爆弾は」
「爆発的に美味しいから食べなさい。そしてちょっとお願いがあるんだけど」
「それは差し入れじゃなくて賄賂というのでは?」
良いとも言っていないのに勝手に隣に座った同僚へと、旬が湿った視線を向けるが、木乃香は気にした様子もない。
木乃香は昼食代わりのゼリー飲料を咥えながら、仕事中でも出したことのない真剣な声で『お願い』を言う。
「仕事のことじゃなくて。チョコレートのことを教えて欲しいんだけど」
「……どういうこと?」
「ほら、アンタ、たまに高いチョコ食べてるじゃない。あと一月の終わりにも何かイベントがあるんでしょ?」
ああ、と頷く。
旬は確かに、毎年新宿で行われるあるイベントに参加していた。
「サロン・デュ・ショコラのこと」
「それ」
「なんでまた。チョコレート好きだったっけ?」
「んー……こう……人に贈るために、ね。その人、チョコが好きみたいだから」
「ふぅん……?」
「何その顔」
「いえ別に」
「……不純だ、って怒る?」
「そんなわけないでしょう。楽しみ方は人それぞれだし、業界が潤うなら私にも得だよ。報酬も貰っちゃったし、私にわかることなら教えてしんぜよう」
旬が報酬、生クリーム入りクロワッサンの袋を開いて齧る。クリームがこぼれそうになって、舌が器用に白いクリームを舐めとった。
見ないふりをして、木之香が問う。
「ありがと。とにかく喜んでもらいたいんだけど、何をどこで買ったらいいんだろう」
「知らない」
「てめェ……」
「あなた仮にも営業でしょう。コナをかける相手の情報もなしに何を言えと?」
「情報があまりないから、まずは基本から教えて欲しいんだよね。だから、質問としては……高級なチョコって何が違うの? DARSより美味しいの?」
ふむ、と旬が少し考える。
「そもそも」
「お、出たわね旬の『そもそも』論」
「…………」
「ごめんて。『茶化すなら帰るけど? 次の一言には気を付けなさい』みたいな表情は許して」
「心を読むな」
溜息ひとつ。人差し指を立てる。
「そもそも、日本は大量生産のチョコレートのレベルが非常に高いということを前提として覚えておいて」
「そうなの?」
「外国で暮らしたことがあるわけじゃないから、比較してどうこうってわけじゃないけどね。ミルクチョコレートといえば森永のDARS。フレーバーにこだわりのある不二家のLOOK。チョコレートの代表格でありながら、品質を追求し、ハイカカオ(※1)やシングルオリジン(※2) を導入した明治の THE Chocolate シリーズ。他にもチョコレートを使用したお菓子の選択肢が非常に広い」
「ふーん。確かにホルンとか好きだわ。チョコモナカジャンボとか」
「ガルボがなかったら簿記の試験受からなかったよ、私は」
「で、お菓子が美味しいのがどうかしたの?」
「そのレベルの高さを前提にすると、高級チョコレートはコスパが悪いの」
旬はクロワッサンの最後の一口を終えて、ウェットティッシュで口元を軽く拭う。表情は真剣で、話しながら思考が回り始めていることを示していた。
その瞳を横から見つめながら、木乃香も飲み終えたゼリー飲料のパックを机に置く。メモのため手元にスマホを持って頷いた。
「価格が倍になっても、味が倍になるわけじゃない。これは認識しておいてね」
「営業にとってはむしろやりがいがあるわ」
「さすが。そのうえで、高級チョコレートは何が違うか、という問いに答えるなら」
親指、人差し指、中指の三本を立てる。中指から畳んで、旬は一息に並べた。
「風味。甘味。濃厚さ」
「営業部に移籍するつもりはない?」
「一切ない。まず風味。カカオの苦味、酸味、香り……複雑な味わいのことね。大袈裟に言えば、高級チョコレートとはカカオを味わうお菓子だと私は思う」
「風味……ねえ」
木之香は指先でスマホの画面を何度か叩く。その仕草は彼女が思考を深めている証だと、旬は知っていた。
お茶を飲む数秒を置いて続ける。甘味が強い生クリーム入りクロワッサンと、暖かい紅茶はよく合う。
「苦ければいいというわけではないけれど、ただ甘いだけではない。そしてモノによって大きく異なる。風味っていうのは選び甲斐にも繋がるかな」
「コーヒーとかワインみたいね」
「近いところはあるかも。とはいえ、チョコレートはあくまでお菓子だからね。甘さをベースに選んでも楽しめる」
旬の視線が腕時計に落ちて、少し言葉が早くなる。
「風味を味わうのに重要なのが甘味。砂糖とミルクが基本だけど、プラリネ(※3)とかコンフィチュール(※4)とか関わってくるから、チョコレートに限らず贈る相手の好みは調べておいた方がいいよ」
「プラリネとコンフィチュールって何?」
「えーと……中身」
「なるほど、はい、自分で調べます」
「よろしい。次に濃厚さ。個人的にはここが一番値段が出るところだと思う。舌触りや甘味、もちろん風味も、こだわって作られたチョコレートは濃厚なんだよね。カカオバターって『常温では溶けず、体温で溶ける』性質があって。舌に乗せてとろりと溶けだす食感、同時に広がる香り。最初に甘味とほんの少し苦味を感じて、脂肪分を含む甘味がそれを包む。よく味わうと酸味も感じられて、味と香りが一体になって『チョコレートの風味』になる。トリュフ(※5)なら、噛むことで中身が溢れて別の味が加わる。完全に溶けて飲み込んだ後も舌には後味が残っていて、ゆっくりと薄れていく……。そういう味わい全てが濃い、と思う。もちろんあっさり仕上げたお菓子もあるけど」
「…………。……チョコ喰いたくなってきた」
「何でこの話するのにチョコレートを買ってこなかったの」
「ここまでとは思わないじゃん」
「こほん。とにかく、風味、甘味、濃厚さを楽しむのが高級チョコレートであり、これを楽しめるなら一般のチョコレートより『美味しい』――というのが私の結論。さて」
もう一度お茶を含んで、旬は椅子から立ち上がる。
きょとんと見上げる視線に、時計を示して微笑んだ。
「もう昼休み終わっちゃうし。糖質40gで語れるのはここまでね」
▼
※1 原材料におけるカカオの割合が高いチョコレート。カカオ本来の香りや、苦味・酸味といった風味を楽しめる。100%カカオは、なんとカカオ100%である。
※2 産地や品種を限定したカカオ豆から作られたチョコレート。産地や品種ごとの風味をよりはっきりと味わうことができる。
※3 アーモンドやナッツ類に砂糖を加えカラメル化するまで加熱したもの。濃厚で香ばしい甘味が特徴。チョコレートに混ぜ込んだり、包んだりする。
※4 果実を砂糖で煮詰めたもの。ほぼジャムだが、ジャムほど凝固していない製品が多い。チョコレートと合わせると、とろりとした柔らかな食感がアクセントとなる。
※5 柔らかい中身を硬いチョコレートでコーティングしたチョコレート。中身はガナッシュ、プラリネ、コンフィチュール、キャラメルなどなど、自由度が高い。表面は硬いのでデザインの工夫し甲斐もある。
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