放課後小話
@sea-78
放課後小話
6限目の授業が終わって、帰宅部らしく即座に帰ろうとしたところを担任の八海(やつみ)先生に捕まった。俺に用があるらしい。何かやらかしたかと不安になりながら、職員室まで彼女の背中を付いていくと、先生は若い女性にしてはやや低めの声で切りだした。
「白浜。お前、選択授業の単位足りてないぞ」
「あー……」
よかった。自分の知らない間に犯罪や問題を起こしていたわけではないらしい。いや、単位が足りないのはそこそこ重大な問題だけど。
目の前に座った八海先生は左足を右の膝に乗せるように組んで、けだるそうにタブレット端末をいじっていた。ここからだと見えないけど、おそらく俺の成績表的なのが映し出されているのだろう。
とりあえず何か言わなきゃと思い、俺は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「いやぁ、分かってはいるんですけど……取りたい授業が無くて」
吊り上がった目を細めて不良のように睨みつけられた。普通に怖いからやめてほしい。
八海先生は緩くウェーブした長い茶髪が綺麗で、後ろ姿は優しそうな雰囲気を醸し出しているが、目つきが悪いことで有名だ。
俺も初めて正面から見たときはヤンキーかと思った。童顔で教師には見えないし。
まあ、目つきが悪いだけで優しい人だってすぐに分かったけど。
「もう夏休み目前だ。前期の単位数取れてなかったら夏休みに補講で学校に来てもらうことになる。そうなると担任の私も学校に来なきゃいけなくなるんだ。さっさと取ってくれ」
「そんな理由? というか俺が補講免れたとしても他の生徒が補講になって八海先生、結局出勤になるんじゃ」
「うちのクラスは白浜以外全員単位取ってるんだよ。本当にお前次第だ」
「ええ……俺だけぇ?」
うちのクラスそんなに優秀だったの? 全然そんな印象なかったんだけど。
自分だけ単位が足りないと言われると途端に焦ってきた。とはいえ、前期の単位数はあと三単位ぐらい。適当な授業を一つか二つ受ければ足りるはずだ。
ポケットから学校支給のスマホを取り出して、選択授業の掲示板を開いた。この掲示板に教師陣からさまざまな授業と単位数が掲示されて、生徒はそれを自由に選択し、授業を受けることで単位を貰える。
掲示板の授業をバーっとスクロールしながら眺めた。爆弾処理や暗殺任務。ゲームのデバッグに新薬の開発。外国企業へのスパイ活動、反抗期の息子の家庭教師等。なんでこんなものあるんだ、っていうような謎の授業がずらりと並んでいる。自由ってついてるからってさすがに自由すぎないか。
授業を決めかねていると、八海先生が一つ、ため息をついて、タブレットをタタンッと操作した。
俺の端末がぶるりと震えて、見てみると掲示板に八海先生の授業が追加されていた。内容はA1サイズのキャンバスを自由な絵で埋めること。
ご丁寧なことに受講生徒が白浜祐(しらはまゆう)に指定されている。
「それで2単位分はやるから、残りは自分で取れよ」
「神! ちょー助かる!」
地面に跪いてあがめる俺に八海先生はあきれ顔を浮かべていた。
◆
イーゼルに立てた真っ白なキャンバスに薄い水色の絵具で下地を塗っていく。自由に埋めていいらしいので風景画でも描こうと考えながら筆を動かしていると、キャンバスを挟んで向こうに座る八海先生がぼーっと俺を見ていることに気づいた。先生は椅子の背もたれを前にして座って、何にも考えてなさそうな顔で頬杖をついている。
放課後でも一応、選択授業の真っ最中なので形だけでも生徒を見とかなきゃいけないらしい。美術室に担任教師と二人きりというのは、普通は気まずいものだと思うけど、八海先生相手だとそんなことはなかった。向こうもたぶん、何も感じてないだろう。
特に気にせず、頭の中で完成図を描きながらキャンバスと向き合っていると、不意に暇を持て余してそうな先生が口を開いた。
「ずっと気になってたんだが、白浜はなんで選択授業が苦手なんだ? 好きな授業取って単位貰うだけじゃないか」
「まともな授業が無いから」
「……確かに爆弾処理やら新薬開発は中々ぶっ飛んでるが、公園のゴミ拾いやプリント作成の手伝いなんかもある。そういう簡単なものは貰える単位数も少ないけど、それでも少しづつ取っていけばすぐに必要単位に届くだろ」
「まあ、そうなんですけど。せっかくならそんな簡単なやつより将来に繋がるようなものとか、夢への足掛かりになるものの方が良くないです? というかそもそも自由選択授業ってそんな意義で組み込まれたものだったでしょ」
「その通りだが、単位足りてないやつが言ってもな……」
自由選択授業はこの学校独自の教育カリキュラムだ。他の学校や教育施設では触れることのないものに授業を通して触れることで、生徒に将来への選択肢を増やしてもらいたい――。そんなことが学校のホームページやパンフレットなんかに書いてあった。この独自の授業に興味を持って入学した生徒もきっと多いだろう。ちなみに俺は単純に家から近かったのと、就職率や進学率が高かったから志望した。
授業の選択肢が幅広くて、俺のような優柔不断な人間はなかなか決められずに、こうして担任からお恵みを貰うはめになってしまった。
と、そこで不意に思い出した。
「先生もこの学校の出身だっけ。選択授業何やってたんですか?」
前に授業でちらっと言っていた。この人もこの学校のOGだったはず。
先生は口元に指をあてて、頭の中をまさぐった。
「……薬学とかかな。最初は興味なかったけど受けてみたら意外と面白くて掲示板に張り出されるたび、何度も受けてた。一時期はそっち方面の仕事に就こうとも思ってたな」
「へー意外」
薬学の道に行こうとしていた人が今は美術教師になっているとは。でも白衣を着て試験管やビーカーで液体をちゃぷちゃぷ揺らしている姿は結構しっくりくる。勝手な薬学のイメージだけど。
「何でそっち諦めて教師に?」
「資格とかも取ったけど、就活が上手くいかなかったんだ。薬学って言っても活かせる職場は結構多くて、色んな企業に面接行ったり書類送ったりしたんだけど、悉く不採用。授業で習ってた時はこういう仕事に就きたい!って熱があったのに、気づいたらその熱も冷めてた。中学からずっと美術部入ってて絵は得意だったから、非常勤で美術教師初めて、いろんな学校転々としているうちにこの学校に戻ってきた」
「今も薬剤師とか目指そうとは思わないの?」
気になって聞いてみると先生は鼻で笑ってぶんぶんと首を振った。
「全く。勉強したことも全部忘れたし、今の仕事がやりやすくて性に合ってるしな。職場の環境もいいし。給与が低いのと単位不足の生徒のせいで長期休みが危ぶまれるのは不満だが」
「ごめんて。今頑張ってるから許して」
ふふっと小さく先生は笑う。
「将来やりたい事とか就きたい仕事とか無いのか」
「特には。やっぱり手当たり次第に選択授業取ってみたほうがいいのかなー。先生みたいにハマるものが見つかるかもしれないし」
「それもありなんじゃないか。白浜は物覚え早いし手先も器用だから、やる気さえあればどの授業もすぐに合格点貰えるだろ」
軽い感じで先生は言った。彼女なりの背中の押し方なんだろう。
ただそれでも、俺の気持ちはどこか煮え切らなかった。キャンバスに色を乗せながら俺は素直に心の内を打ち明けた。
「なーんか、俺の人生宙ぶらりんというか。やりたいことも特に無いままダラダラと流れに身を任せて生きている気がするんですよね。この高校も特にこれがしたい、とか明確な理由があって入ったわけじゃなくて、家から通いやすくてそこそこ就職率高かったって理由で受けだけだし」
「……まあ、言いたいことは分かる。何か打ち込んでる連中見てると楽しそうだし、そうゆう連中が成功してたりすると、何となく自分の将来このままで良いのかってなるよな」
頬杖を解いて腕を組みながら、うんうんと首を縦に振って八海先生は同意してくれた。
「そうそう。漠然と不安を覚えるんですよね。自分もなんか見つけなきゃって。あとはまあ、単純にそうやってひとつのことを真っ直ぐやってる人はカッコよく見えるし」
優柔不断な自分だからそう感じるんだろうけど。
腕を組んだまま軽く目をつぶって先生は何かを考えていた。2、3秒経って目を開けると先生は真面目顔で俺と目を合わせた。
「……焦ってやりたいこと見つける必要もないと思うが」
「そうですか?」
「私だって今まで適当に生きてるし、ほとんどの大人がそんなもんだろ。取った資格を上手く活かすこともなく、周りとおんなじような仕事についたり、偶々勧められた道に行ったり、そんなんでも案外人生どうにかなる。あと、漠然とした不安、なんてものは誰にでも一生ついて回るものだと思うぞ。最近は特に社会全体が落ち込んでるからな。税金も物価も自殺率も増加。ニュースじゃ少子高齢化と、物騒な事件と、政治家の不祥事と、遠くない国での戦争やらの暗い話題ばかり。そんな中で不安を感じずに生きろって方が無理なもんよ」
「羅列されるとなおのこと将来が不安なんですが……」
「そんな将来に気づいたら突っ立ってて、今と同じように生きてたりするさ。誰かに不安を打ち明けながら下手じゃないけど上手くもない絵を描いてだらだら生きて、不意に幸せだなって思える瞬間がエッセンス程度にあって。そういう感じで歳とって死んでいくんだよ。めちゃくちゃ良い人生、とは言い切れないかもしれないけどさ、めちゃくちゃ悪い人生ってわけでもないだろ」
「…………」
「だから、まあ、どうにかなるなる」
結局何が言いたいのか、八海先生にも分からなくったようで苦笑いを浮かべて、雑にまとめられた。
けれど、先生の言葉を聞いているうちに肩が軽くなったような気がして、俺も肩をすくめて苦笑いで返した。
◆
そっと筆を置く。一時間ぐらいかけて絵が完成した。先生が俺の後ろに回り込んで肩口からキャンバスを覗く。
「明星か」
「いいでしょ。結構キレイに描けたと思う」
真っ白だったキャンバスにはオレンジ色に染まる街と上から暗くなっていく空、そして空に輝く一点の星が描かれていた。なんとなく浮かんだ風景を自分なりに表現してみたが、なかなか良い絵になったと思う。
口に指を当てて念入りに吟味した後、八海先生はぽつりと言った。
「うーん。下手とも上手いとも言えんな」
「さっきも言ってたけど俺の絵そんな風に見てたの?」
「これは……1単位くらいかな……」
「え、そんなに中途半端な出来?」
飛び抜けて上手いとは思わないが、そんなに悪くないはずなんだけど。
ただの帰宅部が描いた絵ということを踏まえた上で、評価してほしい、という気持ちを眉をハの字に曲げて伝えると先生はクスッと控えめに笑った。
「冗談だよ」
先生はタブレットを取り出すと、授業内容書かれた電子書類にタッチペンでサインした。
ピコンッとポケットから音が鳴って、自分の端末を取り出してみると授業修了の通知が来ていた。これで2単位分貰えたということだ。
夏休みの補講は免れるには、あと1単位取るだけとなった。明日、適当な授業を探して受けよう。
座りっぱなしで凝り固まった体を伸びをして解していると、頭をわしゃわしゃと撫でられた。驚いて見上げると、先生と目が合う。
「よくがんばりました」
「……どうも」
柔らかく微笑まれたのがなんだか恥ずかしくて、そんな返事しかできなかった。
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