第50話
ヘルストランド侯爵邸にマティアスが到着すると、見た事の無い執事が対応に出て来た。
「旦那様は、どなたにもお会いにならないそうです」
「そうか」
返事をしながら、マティアスは執事を押し退けて屋敷内へと足を踏み入れた。
「お待ちください。例え誰であっても通すなと……」
肩を掴んできた執事を、マティアスは睨み付ける。
「それは、誰に命令された?」
地を這うようなマティアスの声に、執事は一瞬怯む。
「……だ、旦那様に」
それでもまだ言い募る男の頬を、腕を横に振り払う勢いを利用して裏拳で殴る。
執事はマティアスの肩を掴んでいた手も振り払われ、無様に数メートル飛ばされた。
「私の顔も知らない男がニコラウスの執事だと?」
吹っ飛んだ男を無視して、マティアスは主人の寝室へと急いだ。
扉を開けると、
視界が悪いのは、匂いの素が
窓を開けようと部屋に足を踏み入れ、ベッドへと視線が向いた。
そこには黒髪の男と、金髪の女が寝ていた。
窓を開ける事を忘れ、マティアスはベッドへと近付き、布団を捲りあげた。
半裸のニコラウスと、全裸の女が絡み合っている……ように見えたが、実際は女が抱き着いているだけだった。
甘い匂いに頭がクラクラして、ベッドへと手を突く。そこへ、全裸の女が四つん這いで近付いて来た。
首元のネックレスの宝石が輝いたような気がした。
頭の芯が痺れる。
「あなたも、わたくしと楽しみたいの?」
妖艶に笑った女は、マティアスの耳元で囁き、そのまま自分の頬を擦り付けてきた。
その瞬間、マティアスは我に返る。
女を突き飛ばし、ふらつきながらも窓へと駆けて行く。
鍵を開けるのがもどかしく、そのままカーテン越しに窓を割った。ガシャガシャとカーテンの向こうから硝子が落ちて割れる音がする。
ぶわりと外から風が吹き込み、カーテンが膨らむ。
部屋の中の煙が廊下へと流れ出した。
残りの窓は、きちんと鍵を開けてから窓を開けた。
勿論、普通にカーテンも全開にする。
ベッドの上の女は焦り、急いで手近な布を身体に巻こうとして手を伸ばし、その無様な格好のままベッドから蹴り落とされた。
「助かりました、義兄上」
女を蹴り落としたニコラウスは、ベッドから降りて立ち上がった。
「既成事実を作り侯爵夫人になる、とか馬鹿な事を言ってた犯罪者です」
あられもない姿を晒す女は、明るい中で見るとまだ年若い令嬢だった。
「いやぁ、薬と魔導具の両方で来られると、さすがに厳しいと判りました」
ベッドサイドに置いてある香炉を手に持ったニコラウスは、まだ煙の上がっているそれを全裸の女の背中に投げつけた。
「ぎゃ!」
女の背中で香炉が割れ、中の
「まぁ、こちらも貞操を守る備えくらいはしてますけどね。これは、私かディディにしか脱がせられないのだよ」
ニコラウスが半身を隠しているズボンを摘む。
マティアスの眉がピクリと反応したが、特に何も言わなかった。
「ふぅん。これがねぇ?」
応接室のソファで桃色の石の付いたペンダントを摘みながら、マティアスが首を傾げる。
それは、女の首から外された物だった。
「魅了の魔法が込められてますね」
珈琲を香りを楽しんでから啜るニコラウスは、もう体調は戻っているようだ。
「私自身の魔法と反発した所に、あの媚薬入りの香でしょう? 体が拒絶反応を起こして動けなくなりました」
本当にしょんぼりとした様子で言うニコラウスに、嘘は無いようだ。
「ニコラウスと既成事実が作れなかったから、私を誘惑したのか」
マティアスの視線が絨毯に座っている女を見つめる。
まだ全裸のままで、布すら掛けてもらえていない。
逃げられないのはニコラウスの魔法のせいのようだが、なぜなのかはマティアスには判らない。
「あの偽執事は?」
ペンダントをテーブルに置きながらマティアスが問うと、ニコラウスの視線が女を見る。
「わ、わたくしの家の執事です」
女が下を向いたまま答えた。
「侯爵に薬を盛ったのだから、まあ皆極刑だよね」
マティアスは淡々と事実を告げる。
皆とは、本来の侯爵家の使用人達を拘束したこの女の家の者達の事である。
「ご当主様は不在でしたわ! それにニコラウス様だって本当はわたくしを美しいと思うでしょう? 婚約者がいるから、我慢しただけでしょう?」
女は顔を上げ、背筋を伸ばして胸を張った。確かに自慢するだけあり、大きく形も良い。
「確かに美しいね」
ニコラウスの言葉に、女が嬉しそうな表情に変わる。
「きっと売れっ子になれるだろうね」
続いたニコラウスの言葉に、女の顔に困惑が浮かぶ。
その時、応接室の扉が開かれた。
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