第15話




 天使が悪魔に堕ちた日。


 ニコラウス・ヘルストラントは、まさしく地獄の苦しみを受けていた。

 冤罪を着せられ、ろくな調査もされずに有罪判決がおりた日。


 いつか、いつか絶対に復讐してやると誓ったのは、両親が処刑された日だった。

 両親は公開処刑され、ニコラウスは子供だからと毒杯をたまわる……はずだった。

 孤児院で死んだ黒髪の子供の遺体が用意され、気付けば見知らぬ男の家に居た。


「復讐したいでしょう?」

 まだ若干7才だったニコラウスにそう囁いた女が、実は両親を陥れた張本人だと知ったのは、10年も女の下で働いた後だった。

 正確には女が抱えていた犯罪組織でだったが。


「私は悪くないわよ! 元々あの計画を持ち掛けてきたのは第二王女のリネーアの方だもの!」

 そう言って自分の非を認めないノルドグレーン侯爵夫人を、放置して組織を去った。

「月夜の晩ばかりだと良いな」

 ニコラウスが女の耳元でそう囁いたのは、死の恐怖に怯えさせるのが目的だった。




 ノルドグレーン侯爵夫人……そう呼ばれていたので皆誤解していたが、当主資格を持っていたのは夫人の方だった。

 そのノルドグレーン侯爵に鉄槌を下したのは、弟を殺されたアッペルマン公爵だった。


 その後、彼は爵位を持ったまま、妻の母国へと息子夫婦を連れて移住してしまった。

 息子は移住先で新たな爵位を得たので、アッペルマン公爵家はマティアスの代で終わっていた。



 ヒルデガルドは娘の死の前、まるでクラウディアの死を知っていたかのように亡くなった。

 次男には幼くして先立たれ、娘とは結婚後に会う事も出来ずにいたら、生きる気力も無くなるだろう。

 その後、妻に先立たれたイェスタフは、流行病で呆気なく亡くなっていた。


 窓から飛び降りたクラウディアを含め、マティアスは短い期間に家族三人を失っていたのだ。

 それはノルドグレーン侯爵家に復讐するのに充分な理由になるだろう。


 命の危険を感じたノルドグレーン侯爵が夫と養子を捨てて、他国へ嫁いだ娘を頼って逃亡しようとしたのを阻害したのは、勿論ニコラウス……いや、暗殺者ルキフェルだった。


 マティアスが復讐を完遂出来たのは、ルキフェルが影で手伝っていたからだ。

 おそらくマティアスも気付いていただろうが、それを表に出す愚行は犯さなかった。

 稀代の殺人者と、本意では無いとはいえ繋がっているのを公言する人間は居ないだろう。




 脅しが余程効いたのか、実際よりも老けて見えた女の遺体を見ても、ルキフェルの心は動かなかった。

 最後に人間らしく感情が動いたのは……?


 クラウディア・ホルムクヴィスト。

 王太子妃の部屋へ忍び込んだ時が最後だった。もっとも、それも家族が処刑されてから初めての事だったが。



 側妃が「息子のお披露目の時の正妃は、私の方が良いわよね」とのクダラナイ理由で、正妃クラウディアの殺害依頼を暗殺者ルキフェルへとしてきた。

 贅沢に生きてきたであろう王太子妃の殺害を依頼されても、ルキフェルは何も思わずに王城へ忍び込んだ……はずだったのに。

 忍び込んだ部屋の惨状に絶句した。


 必要最低限の家具に、どう見ても王族が使うとは思えない寝具。

 しかも夜中だというのに部屋の主はその粗末な寝具を使っておらず、下働きかとまごうワンピースを着て、机に向かっていた。


 明かりは机に置かれた薄暗いランタンのみで、壁にある豪華な照明器具には埃が積もり、長年使われた形跡が無かった。

 暗い明かりの中で振り返ったクラウディアは、悲鳴をあげるでも逃げようとするでもなく、無表情で「何かご用ですか?」とルキフェルへ問い掛けてきた。



「側妃が息子のお披露目の時に、王太子の正妃でいたいらしい」

 普段ならば絶対に言わない依頼内容を、対象者本人へ説明したのも単なる気まぐれだった。

「こんな立場、いつでも譲って差し上げましたのに」

 鼻で笑ったクラウディアは、本気でそう思っているようにルキフェルには見えた。


「お手を煩わせる必要はありませんわ」

 立ち上がったクラウディアは、ルキフェルの入って来た窓へと歩き出す。

 何を考えているのか、ルキフェルにも直ぐに解った。


「逃がす事も出来るぞ?」

 機械的に暗殺という仕事をこなしてきたルキフェルを知る人間が見たら、我が眼を、耳を疑う行動だった。

 しかし、その問いに対してクラウディアは首を横に振る。

「私が逃げたら、家族に迷惑が掛かりますもの」

 どこか諦めたような、淋しい笑顔だった。




「では、これをお願いしますわね」

 分厚い封筒をルキフェルに渡し、クラウディアは静かに頭を下げた。

 家族が理不尽に命を奪われた時、その理由を何も説明されないのは辛いはずだと、手紙を書くように言ったのはルキフェルだった。


 最期だからと、今までの鬱憤を、王城での実態を、余す事無くクラウディアは手紙に書いた。

 そのを持って、ルキフェルは王城を後にした。



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