気弱な殺人犯と強気な傭兵さん
ラピ丸
第1話 創里半太郎のエピローグ
太陽がちょうど空のてっぺんに登った頃、
「いらっしゃい」
静かな店内にバーテンダーのしゃがれた声が響き渡る。
モルテンカノンは町外れにある寂れた酒場だ。昼でも夜でも人気が少なく、誰かいたとしても、あまりガラの良い連中が集まる場所ではない。
半太郎が入った時も、店内にはほとんど人がおらず、退屈そうに生あくびをしたバーテンダーと目が合った。
「あのー、一人なんですけど、大丈夫ですか?」
半太郎は言葉を詰まらせながら訊ねる。こういう安いお酒を飲む人が集まる場所には初めて訪れたため、半太郎は少し緊張していた。
バーテンダーは半太郎の言葉にぐるりと店内を見回し、機嫌悪そうに唇を下に曲げる。
「あちこちガタが来てることは悪いと思うが、それが嫌なら余所へ行ってくれ」
「い、い、いえ! そういう意味で言ったわけじゃなくて。すみません……」
自分の言い方が悪かったことに気がつき、慌てて顔の前で手を左右に振ったが、バーテンダーはこれ以上半太郎とかけ合いをしたくないようで、すっかり口を閉ざしてしまった。
そうなると、店内はまた静かになった。そもそも片手で数えられる程しかお客さんがいないし、その上誰も話していないのだから、静かになるのは当たり前なのだ。
お客さんが皆マイペースにお酒を楽しむ中、半太郎だけがお店の空気に馴染んでいない。
自分が明らかに浮いていることに気がついた半太郎は、居心地の悪さに身体をギュッと縮こまらせると、ペコペコと頭を下げながらバーテンダーの前を横切って店内を奥へと進み、一人の女性が突っ伏しているテーブルへと近づいていった。
女性は上半身をテーブルに投げ出し、気持ちよさそうにスースー眠っている。一人で飲んでいたらしいお酒のボトルが、ひっくり返って中身をほとんど溢していた。うなじの辺りで短く乱雑に刈りあげられた髪がアルコールで浸され、ギトギトに汚れてしまっている。
女性はボロボロのマントを羽織ってはいるものの、中身はおへそが見えるタンクトップに、太ももが顕わになったホットパンツだ。無防備に眠っている彼女を野盗が襲っていても不思議ではない。
けれど安らかに眠る彼女には、野盗どころか保安官まで近づこうとはしないはずだ。その理由は単純で、彼女が異常に狂気的で暴力的なオーラを放っているからである。
そして、半太郎はそんな彼女と知り合いだった。
半太郎はおっかなびっくり彼女の肩にそっと手を伸ばすと、刺激しないように弱い力で揺さぶった。
「おーい、クリスさーん。準備できたよ、そろそろ出発しようよ、起きてよ……」
二、三度、身体を揺すったところで安酒まみれの女性が、ぬぁとも、んまともとれない声をあげる。
半太郎はすぐ手を引っ込め半歩後ろへ下がった。
彼女は頭をガシガシかきながらゆっくりと身体を起こした。眠たい目をこすり、ついでに中指で目やにも取り、血走った目で側に立つ半太郎を見上げる。
「ん……、あぁ、お前か」
「お前かじゃないよ。探したんだから、もう。クリスさんが用意が出来たら呼びに来いって言ったんでしょう? それで、ボクは指定された時間に行ったのにさ、待てども待てども来ないじゃん……」
「うっせぇなぁ。そんなチマチマ言うような男は出世しねぇぞ」
「そのジョークを、なんでよりによってボクに……。いや、なんでもないです」
女性は目やにを取り終え、耳をほじり始める。寝起きとは言え、ゆっくりと自分のペースでくつろぐ彼女に、半太郎はヤキモキしていた。
「あの、それで、その……」
「んだよぉ、もじもじしやがって。言いたいことがあんならハッキリ言え」
「ボクはね、そろそろ出発したいんだけど……」
「おお、そうか。だがちょっと待て。いま良い耳くそがとれそうなんだよ。なぁ? ん~、もうちょっとなんだけどなぁ……」
「クリスさん、耳くそなんて溜まるんですか?」
「アタシをロボットみたいに言うな。生きてりゃ誰だって耳くそぐらい溜まるだろうが。それと、アタシのことをクリスって呼ぶな。さんもいらねぇ。クリスティーナだぁって! あぁ、くる! とれる! おっ、出た出た! 見ろ、鼻くそサイズの耳くそだぞ半一郎!」
「半太郎です……」
自分の耳くそで高級なプレゼントを貰ったときくらい喜んでいる女性クリスティーナに、店にいた人の視線が釘付けになる。半太郎は恥ずかしくて顔を真っ赤にしていた。
クリスティーナと半太郎は揃って店を出る。
外はさんさんと光る太陽で鉄板のように熱い。じわりと吹き出る汗を服の袖で拭う。
「んじゃまぁ、行きますか」
そう言って、二人は旅に出た。クリスティーナが歩き出し、半太郎が後に続いた。
振り返るとぽっかり空いた町の入り口が半太郎を見つめている気がした。そもそもさっきまでいた店自体が町外れにあるから、もう町が小さく見えた。
歩いて五分もしない内に、クリスティーナが言う。
「それにしても、不思議な縁だよな。ほんの数日前まで、アタシ達は旅に出るなんて考えてなかったし、まして知り合いですらなかったんだから」
「それは、そうだね。不思議だな」
半太郎はクリスティーナと知り合いだ。けれど、その関係は少し難しい。友達ではないし、相棒でもない。強いて言うなら、共犯関係。
「ねぇ、クリスティーナ」
「なんだよ」
クリスティーナは振り返らない。半太郎も、その方が話しやすいと感じていた。
「確かにボクたちがこうして旅に出るなんて、数日前のボクは想像すらしていなかった。でも、ボクはキミに出会えて、本当に感謝しているんだ。キミと出会えてなかったら、冗談じゃなく、ボクは死んでたかもしれない。今だって、こうして護衛役をしてくれてる。本当に、キミには感謝してもしきれない」
半太郎の言葉に、クリスティーナは目を丸くした。
足を止め、ニヤリと笑う。半太郎のマジメな言葉に、クリスティーナは照れくさい気持ちと愉快な気持ちになったのだ。
「なんだよ、相変わらずクソ真面目だな。アタシはフリーの傭兵だ。雇われればなんだってする。金さえ積まれれば宝盗団のケツも舐めるし、大教皇だって殺す。それだけのことさ。ま、地味でビビりな半太郎らしいっちゃらしいがな」
「か、からかうなよ……」
口をとがらせて抗議する半太郎を見て、クリスティーナは首をかしげる。
彼女は今からかうつもりはなく、純粋に半太郎のことを褒めたつもりだった。彼女から見た半太郎は真面目で地味で臆病な男で、半太郎のそういった面をクリスティーナは気に入っていた。
だからクリスティーナは訂正する。
「からかってなんかないさ。本当だぜ? こう見えて私は、お前のことを高く買ってるんだ。お前は誰よりも真面目で、地味で、ビビりだ。それが今や、町を震え上がらせる大量殺人犯になった! こんな面白い男、他にいないぜ」
嬉々としてクリスティーナが語った言葉に、半太郎の心が少しだけ重くなった。
半太郎は大量殺人犯だ。これは何かの間違いでも、大げさな表現でもない。そして半太郎自身がそう自覚している。
創里半太郎という男は、真面目で地味で臆病なただの小市民だった。
それがたった十日の間に、職を追われ、怪物と出会い、人を殺し、町を出た。
この十日が半太郎の人生を大きく狂わせてしまった。
平凡な小市民だった男の身に、いったい何が起こったのか。
物語は十日前に遡る――。
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