あつかちの短編集
あつかち
もし叶うのなら
「別れてください」
俺が朝起きて最初に見た言葉だった。
俺には、長所なんてない。特技もない。いや、特技はあるかな?
他人を傷つけること。
僕が無意識のうちにやってしまう、特技であり、短所である。
でも、そんな僕を彼女は愛してくれた。毎日の学校生活がそれだけで楽しくなった。僕の唯一の存在理由。それが彼女を笑顔にできることであった。卒業して、それぞれの進路に行って、会えなくなっても彼女が僕の中にいたから頑張ってこれた。
でも、所詮それはほんの一瞬の愚かな夢だった。
僕は、また大切な人を傷つけてしまったのかな?
文章で別れる理由を書いてくれたが、そんなの建前だって僕にはわかる。
僕に彼女はもったいなかった。大切な人一人笑顔にできないような僕には。
もう、全部忘れよう。
もらったキーホルダーを外し、卒アルも開かないで、結局渡すことのできなかった誕生日プレゼントは…もったいなくてそのままだ。
でも、何とか記憶の奥底にしまい込めた。まだ心が少しだけ痛いけど、大丈夫。きっといつか忘れられる。
そして、僕はいつしか彼女のことなんて忘れていた。いや、忘れたフリのほうが近いかな?
でも、頭では忘れていても、体は覚えていやがった。
ある日家に帰っていると、ふと左隣が一人分空いてることに気づく。左手だけ手袋を外していた。
そこは、僕と彼女が初めて、そして最後に一緒に手をつないだ場所だった。
あの日つないだ時に感じたぬくもりは僕の左手にはなく、代わりに冬の寒さがあった。
僕には忘れることは無理。そんなこと、心のどこかで最初からずっと思っていた。
でも、無視していた。僕ならできるって自分で自分を信じ込ませてた。
もう、振り切ったはずだった。忘れたはずだった。でも、頭と体が彼女との思い出を正確に覚えている。彼女が告白してきた時のこと。彼女を初めて下の名前で呼んだ時のこと。彼女と手をつないだ時のこと。彼女が珍しく僕にボケを言ったときのこと。彼女が好きなことについて目を輝かせながら語ってきた時のこと。彼女と課題提出の列に並んだ時のこと。大きなことからしょうもないことまで、全部覚えている。漢字も、方程式も、元素記号も、国の名前も、英単語もまだ覚えてないのに、これだけは忘れたくても忘れられない。
もう、振られてからどんだけたった?数えるのもめんどくさい。でも、ずいぶんと立っている。なんか、実際よりも長いように感じる。
もう一度一緒にいたいだなんてもう願わない。それが彼女にとっての幸福ではないから。彼女にはずっと幸せでいてほしい。他のだれよりも、僕なんかよりも。
でももし、もし一つだけ願いが叶うんだとしたら。
彼女の幸せな記憶の片隅に、少しだけでも写ってたい。
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