温泉に行こう

菜月 夕

『熊の湯 セセキ温泉奥の院』

 俺は秘湯Vチューバー。秘湯を探してSNSに挙げるのが趣味だ。

 秘湯が好きで捜し歩くついでに動画サイトにみつけた秘湯をアップしている、ともいう。

 ここ知床は火山が多く、人も少ないので知られざる温泉がたくさんある。

 羅臼近くの露天風呂セセキの湯でまずは肩慣らし。

 ここは地元の人も良く知っている温泉だが町から離れていてあまり人は来ない。

 海岸淵を岩で囲って湯を貯めて温泉にしているせいで眺めは抜群である。

 この温泉に入って俺は確信した。きっとこの温泉の上には隠れた温泉がある。

 ちょうどそこに珍しく地元の人が入って来た。

「仕事が開いたから掃除がてら来てみたらお客さんかい。一緒に入って構わないかね」

「温泉は誰のものでもありませんよ。それよりこの湯の奥の森にこの温泉と同じ類泉がありそうな気がするんですが、噂とか聞いたことがありませんかね」

 温泉は人の心をリラックスさせる。こういうことを聞くのにも気兼ねはいらない」

「ああ、そういえば爺様がこの山の山菜取りに行った時に湯けむりを見たという話くらいは聞いたことがあるけど、あんたそこに行くつもりかい?

 ここは知床だよ。ヒグマは多いしどこにあるかさえハッキリしない。

 やめときな」

 あいにくだがだてにさんざん山歩きして湯を探し回っていて、この手の事にはかなりの勘が働く。熊除けもばっちりだ。

 俺はさっそく次の日の早朝から山に入る。

 早朝の方が湯煙は見つけやすい。

 コンパスで位置を確かめながら迷わないように山に入る。

 うむ、あの沢が怪しい。

 ビンゴだ! ちょうど沢の窪んだところから湯気が立っている。

 念のためPHや温度を確かめる。泉質も問題なさそうだ。

 こんな沢の湯だまりなのに広さもかなり大きい。

 俺はさっそく今までの流れと泉質などを録画して温泉に入る。

 最高だ。苦労して探しただけはある。

 その時だった。山手からガサガサと音がした、と思うと熊が出てきた。

 やばい熊除けはバッグの中だ。

 しかし、あわてたりするとかえって熊を刺激してしまう。

 俺は熊に目を合わせないように、この温泉のもとからの風景に溶け込むように心がける。

 ザンっ。熊がお湯に入って来た。襲うつもりか。

 それとなく熊を覗うと熊も温泉にゆっくり浸かるつもりらしい。

 野生動物たちも温泉の効能を知っていて利用することが多いらしい。

 この熊もここを利用していたのかも知れない。

 こういうところでは敵対する者たちも争わない、という不文律があるというのも聞いたことがある。

 俺は熊を刺激しないように温泉から出ようとする。

 すると熊も温泉を出ようとする。

 温泉内は不干渉地帯でもその外は判らない。

 俺が湯に戻ると熊も再び温泉に戻る。

 そうして何時間経っただめう。

 熊は温泉にのぼせたような足取りで去っていった。

 まだだ。もうしばらく様子をみて。

 熊の気配がやっと消え去って俺は足を忍ばせ、ゆっくりと山を下りる。

 人家が見えた時はホッとした、

 偶然にもその家はセセキの湯で会った現地の人だった。

 俺は事情を話してそこに一晩泊めてもらい、この地を去った。

 どんな配信にしようか考えながら。


「まったく、お前も旅人をからかうんじゃないよ。

 あんまり噂になるとまた追われる事になるぞ。

 まぁ、この頃あの手の輩が良く来るし、知床を甘く見られたら困るから脅かしておくのも良いけど。

 お前みたいな熊ばっかりなら良いけど若手の熊はそうでもないからな、。

 まったく現状をよく知らないで行動する若い連中には困ったものだな」

 熊は今回の報酬に海岸に打ち上げられたオットセイの話を聞いて去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

温泉に行こう 菜月 夕 @kaicho_oba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る