スタート

日谷津鶴

スタート

 よーい、スタート。産まれましょう。みんな大事な命です。


 よーい、スタート。先生の笛に合わせて、行進を始めましょう。


「回れ、右!」


 ホイッスルが鳴る。私だけが、反対方向に回っていた。


 皆の非難めいた視線が一気に私に集中する。


「佐藤さん、右はどっち?」


 先生が尋ねる。どっちが右で、左なのか。お箸を持つ手は右。


 汗ばんだ手のひらを見つめている内に私はどっちの手で箸を握っていたか自信が持てなくなっていた。


 あなただけよ。分からないのは。


 よーい、スタート。一列に並んで徒競走をしましょう。


 50メートルを一気に駆け抜ける。早い子はあっという間にゴール。


 すごいね、えらい。はやいね、えらい。最後にストップウォッチが止められる。13秒。はやいはすごい。おそいはわるい。


 よーい、スタート。九九を覚えましょう。


 よーい、スタート。プールで泳ぎましょう。


 よーい、スタート。ちゃんと演奏できた子から帰りましょう。


 早い子は賢い。速い子は拍手喝采。はやい、はやい。


 私は最後にプールから上がり、音楽の先生に睨まれながらリコーダーを吹く。


 よーい、スタート。恋人を作りましょう。


 よーい、スタート。いい大学に入りましょう。


 よーい、スタート。すてきな恋愛をしましょう。


 一番が偉い。一番はすごい。同じ年に産まれても、人生の差はどんどん開いていく。


 そして、後から生まれた人たちに追い抜かれていく。


 あの子、もう結婚したんだって。母から情報が流れてくる。


 あの子、子供を産んだんだって。へえそうすごい。あなたはどうなのスタート。


 よーい、スタート。人生を終えましょう。


 それだけが、万年ビリの私が初めて取った最初で最後の一等賞。


 他の皆が汗だくで一番を追いかけているのに、私だけがその先に居る。


 何も見えない。感じない。


「よーい、スタート。」


 その耳障りなコールも、聞こえない。

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スタート 日谷津鶴 @hitanituzuru

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