塀の内側で

#1

 私は小学校卒業くらいまで良い記憶がありません。

 良いことがあったのに忘れてしまったのかそもそも良いことが無かったのかはわかりません。中学以降は良い記憶も悪い記憶もどちらもあります。


 二歳で音楽教室に入れられてから、毎週レッスンに通っていました。小学校の一年から五年までは個人とグループの2つレッスンを受けていて、週に二日行っていました。

 個人の先生はものすごく厳しくて、レッスンでやるどの曲もCDのように弾けないと合格をくれませんでした。レッスン中に時計をチラ見したら怒鳴られました。小一の時、土日に風邪をひいて寝込んでいまい、練習不足でレッスンに行った日があったのですが、そのことを言ったら「そんなのはただの言い訳だね」と言われました。いつも泣いていました。理由は自分でもわかりません。なぜか涙が出てくるのです。先生の顔を見ると、わけもなく、まるで条件反射のように泣いてしまうのでした。先生は泣くことを禁止しました。あまりにも弱すぎる私を軽蔑していたのではないでしょうか。私は感情を捨てました。心を殺しました。感情というものは、その時分の私にとって、邪魔なものでした。

 グループの方では、ただ演奏するだけでなく作曲や即興演奏もやっていました。しかし当時の私は創作がとてつもなく苦手で、苦痛以外の何物でもありませんでした。同じグループの子たちとは仲良くしていましたが、大人に気に入ってもらえるのは大人びた行動や言動をする子だけでした。私はいつも下の扱いを受けていました。何とか周囲に気に入られたくて、周りを気遣える人間になろうと思い、常に周りの様子を伺うことに必死でした。子ども同士、大人同士の仲は確かに良かった。でも私は、いつも別れた後でどっと疲れを感じました。

 家では、毎日母に強制されて練習していました。当時の私は、練習が大嫌いでした。ピアノを強制する母のことを、嫌いと思うこともありました。練習したくないから、代わりにお手伝いをしようと思って台所に行ったら追い出されたり。ピアノか勉強以外のことをやる時間など全くありませんでした。でも、飴と鞭という言葉があるように、普段の母は優しかった。普段の母のことは好きでしたし、今も嫌いではありません。好きか嫌いかと問われれば、当時の私も今の私も、好きと答えると思います。ただ、熱心だったのは母だけです。父は、母ほどではありませんでした。幼稚園児だった頃は、土日になると公園に遊びに連れて行ってくれました。

 今の両親は、いい年になった私でも大切に扱ってくれます。私は二人の間にできたたった一人の子供ですから。二人分を一人で背負っているのです。


 最も苦しかったのは小五の春です。

 エレクトーンのアンサンブルでコンクールに出ないか、とグループの先生に勧められました。私は、このような選択を迫られた場合は必ずイエスと答えるものだと思っていたので、出場することになりました。メンバーは私を入れて三人です。楽譜が配られると、四人用の曲を三人に割り振ってありました。グリッサンドという弾き方が指定されている箇所は全て私の担当だったと記憶しています。やり方が間違っていたのでしょう。指の皮が剥けて、鍵盤が薄く赤色になりました。ただ、私はそれの正しいやり方をきちんと教わったことはありませんでした。

 先生はとても”親切”で、無償で別の曜日にもレッスンをしてくださりました。ある時、あまりにも演奏が良くないということで、お叱りを受けました。よく覚えていませんが、夜の十時、十一時くらいまで教室にいたと思います。全て私たちのためです。個人的に、上を向いて歩こう、とご指摘を受けました。

 その後は、より一層頑張る、ということを母親に求められました。他のメンバーはその通りだったらしいですが、私はそんな性格ではなく、もう二度と行きたくないと思いました。でも、もう今さらやめるなんてできないと思ったのかと推測しますが、真面目にやりました。本番直後、はけてすぐ舞台袖でどこが良くなかったか、と指導を受け、褒められることはありませんでした。それでも結果は金賞で、次に進むことになりました。

 さて、ここで大問題。本選と学校の林間学校の日程が被っていました。親の方針で、習い事よりも学校を優先することに決まりました。よって、私は抜けて、他の二人だけで出場することになりました。私は割り振りが変更された楽譜を受け取ってすらいませんでしたが、二人のレッスンに"来ても良い"と言われたので、行きました。もちろん、私は蚊帳の外でした。本番直前のレッスンでは、緊張感を持って取り組みたいから来ないで、と指示されました。場違いだと感じつつ行っていた教室から結局締め出されたんだ、と感じました。先生から、いつも「笑え!」や「根暗!」と言われていました。

 何も感じないし、上手く笑えないし、暗いし、弱い。そんな十一歳になっていました。



 小学生になると、たいていのは地域の子供会に入りますよね。私だって、例外ではありません。私はそこでKちゃんに出会いました。もしこの少女が私の生活の行路を横切らなかったならば、おそらくこういう長いものを書く必要もなかったでしょう。

 Kちゃんにとっての私は、さあ、どう思われているのでしょうね。

 入学したばかりの頃の写真が私のアルバムに入っています。私とKともう一人の友人が手を繋いで掲げている写真です。三人ともまだ幼く、そして笑顔でした。

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