ビューティフル・ティー・タイム

有沢真尋

第1話

 初めから、頑張り過ぎないように警戒していた。

 こんなご時世だし。自分が大事。


「君の代わりはいくらでもいるんだ」


 入社した頃からそんなことを言われていて、自惚れはなかった。

 少し先の未来に対してさえ、希望もなかった。

 受け流そうとしているのに流しきれなくて、押しつぶされそうな予感だけはひしひしとしていた。


「困るよ、この程度じゃ」


 心が壊れる前に耳をふさぐべきだと、気付いていた。

 それなのに、防ぎきれなかった。


 こんこん、こんこん。

 止まらない咳。重い体。起き上がることのできない休日。視界が暗い。


 それでも、なんとか生きて行こうとしていた。

 その努力にも、ついに限界がきた。


「『君の代わりはいくらでもいる」だなんて、いまだにそんなこと言うひといるんですか。きっとろくな死に方しないですね」


 キレたのだと思う。

 私のその声が響き渡ったとき、同僚も先輩も後輩もあっけにとられて、ついで曰く言い難いものを目撃した人間よろしく、目を逸らした。

 言われた上司当人はと言えば、物凄く驚いた顔をしていた。


(もしかして、人にはさんざん言うくせに、自分は打たれ弱いの?)


 大丈夫ですか? と言おうとして、自分の握り締めた拳に気がつき、取り敢えず微笑んでみた。手が出なくて良かった。本当に良かった。

 頭の中が真っ白になって、単純な好悪の感情だけがさらりと流れていった。


「会社、やめます」


 なんて簡単な言葉。


「それは賢明な判断だ」


 そんなセリフで承認されてしまった私の暴挙は、それ以上の大事は引き起こさずに済み、会社には今日もいつもと変わらぬ時間が流れているのだろう。

 私だけが、そこからすっぱり脱落して、真っ昼間の公園で時間を潰している。

 噴水を眺めて、コンクリートの上を歩き回るハトの動きを目で追い、うっすら灰色の空を見上げて、天下泰平みたいねと思いながら、溜め息。


北海道うちに、帰ろうかな……」


 敗北の溜め息だった。



 * * *



 

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