第3話 キスして壊して

 どうしてこうなったのだろう。

 どうしたらこうならなかったのだろう。

 どうにもならなかったからこうなってしまったのだろうか。


 ■□■


 呼吸をするだけでメガネが曇る程に冷える冬。僕とマリナの高校最後の冬。

 この時、世界的な異常気象が勃発していた。日本では観測史上最大の寒波が襲い都市機能の九割が果たせずにいた。また海外では次々と活火山が噴火を起こし、海では大量の魚群の死亡が観測されていたらしい。

 どこの誰が言ったかわからないが、世界の終わりが訪れたとのことだ。


 その終末の到来の最中、街の連中が思い至ったのはあまつさえ有り得ない行動だった。


 ――神崎マリナを殺す。


 街の連中たちはこの大災害を何の力も持っていないはずの少女のせいにしたかったらしい。全ては彼女が悪く、彼女の生存こそ人類終焉の原因であると勝手に判断したのだ。どのような根拠があって、なんの研究結果があってそう判断したのか。いいや、それ以前に……。


「どうしてこんなふうになったんだよ……?」

「どうしても何もないよ。昔から――私がお姉ちゃんを殺しちゃったときからそうだったでしょ?」

「それは……正直なにが本当のことかなんて誰にもわからないじゃないか。マリナだって……君は僕に何も言ってはくれないし」

「言えないよ。言ってもわからないもん。言ったって伝わらないことをして、否定される方がつらいでしょ?」


 どうしてそう思う。僕がマリナを否定したことが今までにあっただろうか。それすら判断できぬほどに彼女は弱り切っているのか。……僕が悪いのか。マリナに真実を語らせるほどに強くない僕がいけないのか。だとしたら、どうしてもっと早くにそう教えてくれなかったんだ。こんなことになる前にどうして……。

 廃ビルの崩れかけたコンクリートは酷く冷たい。まして、大寒波に襲われている今に至ってはなおのこと寒かろう。逃げるように迷い込んだ僕とマリナは寒さをしのぐために体を寄せていた。

 時間が経つに連れて呼吸が荒くなっていくマリナ。それもそのはず、彼女の左肩に矢が突き刺さっている。


 街の連中は血迷っている。狂乱といっても然るべき行動を起こしたのだ。大寒波により、自宅待機を命じられた僕ら高校生だったが、そこを街の連中が目をつけて神崎家へ襲撃を行ったらしい。マリナは家族の手助けにより家から逃げ出すことに成功したらしい。けれど、神崎家――つまりは彼女の両親は街の連中に捕まり、その場で処刑された。逃げ出したマリナも街の連中の執拗しつような襲撃により、左肩に矢を受けてしまったらしい。

 どうして街の連中が弓矢なんて原始的なものを使用したのかは、矢の形状を見てすぐにわかった。命中すれば取り除くことが困難になるように幾重いくえにも返しのついた狩猟用の矢。それがマリナの左肩に突き刺さっていたのだから。

 医学的知識もない高校生に、今のマリナを手当する方法など知るはずがない。一応失血を遅らせるためにタオルやロープを使って浅い知識で手当のようなものをしてはみたが、彼女の左腕を濡らす血液の量からしてうまくはいっていないようだ。


「マリナ……血が……」

「うん……止まりそうにないね、これ」


 なんで他人事のように言えるのだ。痛みを伴っているはずだろう。街の連中に復讐したいと怒ってもいいはずだ。なのにどうして……。

 君はそんなにも悲しそうに笑うんだ。

 諦めているわけではない。憂いているわけでもない。何かを心配しているのか。この期に及んで誰の心配をしているんだ。自分以外の誰を心配するっていうんだ。


 マリナの視線が僕へと向く。荒かった呼吸がゆっくりになっていくのがわかる。隙間だらけの廃ビル内には凍えるほどの風が吹き、僕たちの体温は確実に盗まれていった。

 どうにかしなければ。だが、どうやって。知識もない。経験もない。マリナを守れるだけの力もない。そんな僕に何ができるというのだ。

 困惑する僕にマリナの手が伸ばされる。その手はゆっくりと僕のメガネへと届き、無理矢理にメガネを外した。


「やっぱり……きれいな青い目」

「こんな時に何言ってるんだ。待ってろ、すぐに温める……毛布かなにかを持って――」

「たぶん……偶然なんかじゃないよ」


 マリナから目を離した次の瞬間背後からものが落ちるような音がしてピタリと体の動きが止められた。ゆっくりと振り返る。メガネを外されたから少し視界はにじむ。だけれど、マリナの姿だけははっきりと目に写っていた。

 ぐったりとするマリナを見て、全てが遅すぎたことを知る。逃げ続けた僕が何も守れなかったのだと識ったのだ。

 偶然なんかじゃない。そう、これは偶然なんかじゃない。マリナが死にかけているのも、僕が彼女を守れないのも、僕と彼女が出会ってしまったことも、偶然などではなかった。


「こっちに来てよ。一人は……寂しいよ」

「待て。待てよ。まだなにか……だって、そんな……」

「一人は……寂しいの」


 惹かれる。マリナの言葉は昔からそうだ。彼女の行動はいつだって僕を連れ回した。今日もそうなのか。彼女の気まぐれに、僕はまた引きずり回されるのか。最後の最後まで……。

 言われるまま、されるがままにマリナへと近づいていく。知識は無くとも体が勝手に彼女を抱き寄せた。いつもより肌が白い。体温らしい体温が感じられない。呼吸もかすれてしまっている。終わりが近い。それなのに、僕は何も言えずにいた。

 寂しいと語ったマリナは、焦点の合わない視線を必死に僕へと向けた。そうして語るのだ。彼女の生涯における最大限の祈りを。


「――君が私を殺すの」

「どう……して……」

「私は初めから……ナギくんに出会ったそのときからずっと……最後は君が良いと思ってた……おかしいでしょ? こうなることは……知ってたの……私……こう見えても……すごい……んだから」

「どうして僕なんだ。なんで……」

「私が私であるために……。君が今後幸せになるため……私の命を使ってほしいの」


 何もわからない。マリナは彼女の中の理論で生きている。それを理解できるはずがない。だって僕は彼女のことを少しもわかってあげられたことなどないのだから。

 だからわからない。何も伝わらない。最後の最後まで、マリナは僕に意地悪をするつもりなのか。そんな疑問を置いて、言い逃げするつもりか。

 怒りが募る。つのった怒りは悲しみへと昇華される。マリナを支えていない手がゆっくりと落ちているガラスへと伸びた。


「私ね……たぶん、君のことが……好きだったんだよ。ねえ……ナギくん。ありがと……ね」

「お礼なんて言わなくていい。僕は結局、君を不幸せにしかしなかったんだから。さようなら、マリナ――」


 鋭いガラスがマリナの首を掻き切った。鮮血が散る。マリナだったものは動かぬ人形へと変わり果て、僕が握っていた生命の暖かさはもうない。

 親がいなくなったときでさえ、涙は流さなかった。なのにどうしてだろう。家族でもないマリナを失ったそれだけのことで、こんなにも涙があふれてくるなんて。

 マリナが息絶えたタイミングで、街の連中が僕たちを発見した。そして、安らかに眠る彼女とそれを抱える僕を見て、奴らは僕を悪魔を殺した英雄だと騒ぎ出した。その喧騒けんそうすら耳に入らないくらいに、僕の中ですべてのピースがピッタリとハマった。僕は彼女を愛していた。彼女との間に生まれた恋を愛していたのだ。


「逃げ続けた僕の人生の最後がこれか」


 決意は奴らの祝砲の影に潜ませる。今はただ、耐えるため。マリナの命を無駄にしないため。

 もう居ないマリナの亡骸をそっと抱き寄せながら。暗い炎は静かに燃える。

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