魔王が生まれる前日談

七詩のなめ

第1話 すべての出来事には意味がある

 恋を愛して、苦しんで。

 苦しむほどに焦がれて、嫉妬して。

 嫉妬の炎で、さらなる過ちを犯してしまう。

 人は生まれたその瞬間から理不尽と共生することを定められた欠陥品。



 それでも僕は君を愛してたのだと思う。



 ■□■



「君の名前は?」


 幼少の体に堪える陽炎かげろうれる暑い夏の日のことだった。

 嫌な汗を流す僕と違って笑顔をかがやかせるような、そんな青春の汗を流してあの子は僕に話しかけてきたのだ。まだ話したこともない。普通なら話すことすらなかったであろう僕とあの子、この2人を繋げたのは何だっただろうか。あの子の気まぐれか――それとも誰かの差し金か。今となっては誰にもわかりはしない。

 それでも1つだけ確かなことがあるとすれば、あの子の問いかけに僕は答えてしまったのだ。


「僕は……ナギト。西条さいじょうナギト」

「ナギくんか~。私は神崎かんざきマリナっていうんだ~。よろしくね」


 初めて合った人の名前を――ましてあまりにもフレンドリーに呼ぶなんてれしいやつだと思った。だけど、悪い気は不思議としなかった。あの子――マリナの笑顔が邪気じゃきを払うかのように嫌な気分を消し去っていたのかもしれない。無論、そんなことは絶対にないのだけれど、そのときの僕はそうとしか思えなかった。

 一貫して不思議な女の子だった。距離の詰め方や初めて会うはずの僕への接し方は、お世辞にも良いとは言えない。なのに、それを許せてしまうほどの何かを持っていて、憎めない人間っていうのはきっとこういう子のことを言うんだろうと想う。

 可愛らしく、優しく、気さくで、向日葵ひまわりのように笑う女の子。それが神崎マリナという女の子だ。


 諸事情しょじじょうにより、両親から育児を放棄されていた僕にとって、マリナとの出会いは冗談抜きに奇跡と呼べるくらいには偶然が重なっていた。時間を持て余す僕と、遊び相手を探すマリナは互いが互いに必要としている需要じゅようのある存在だったのだ。

 僕は暇を潰すために、マリナは予定していた遊びを遂行するために、惹かれ合ったのかもしれない。だから、僕はその日を境にマリナと友人になったし、僕を連れ回す厄介な彼女の付き添いをやることに何1つ文句を持たなかった。

 唯一誤算があったとすれば、マリナの好奇心を低く見積もりすぎていたことだろうか。彼女の好奇心はどの生物よりも強く、ありとあらゆる不可思議に自ら飛び込んでいくような危うさを持っていた。それに僕まで巻き込まれるのだから苦労の度合いはわかるだろう。


「よくそんなに色々なものに興味を持てるね」

「え? そうかな。私からすれば、どうしてそんなに普通に見過ごせるのか不思議なくらいだよ!」

「見過ごす……って。川に行ってはヒルはどうやって足にくっついているのかとか、山では落ち葉が湿っている理由を考えたりするなんて、普通はしないと思うんだけど」

「だーかーらー、それが私に取っては不思議だって言うんだよ。こんなにもおかしいのに」


 おかしいのはおそらく君の頭の作りだ。なんて、幼い僕にはとても言えなかった。

 山だ、川だ、果ては海まで連れ回され、全身が汗でベタついていた。額から流れる汗を拭うためにかけていたメガネを外した瞬間に、また不思議を見つけたらしいマリナが僕の近くへと歩み寄る。

 そうして、目を輝かせながら顔をさらに接近させる。


「きれいな青い目」


 なまじ可愛らしい女の子の顔が近づいてきたから、恥ずかしさから硬直していた。けれど、遠からずそのときの僕にとってこの話題は、あまり触れられてほしくないものだったからその言葉を聞いて瞬時に目をそらす。

 そんなことはお構いなしにマリナはその話題を掘り返そうとする。出会ってまだ4,5時間しか経っていないから、きっと表情から触れられたくないという思いが伝わらなかったのだろう。――いいや、マリナの性格から考えれば、相手の思いで好奇心を止めることはしないだろうけれど。

 僕も、彼女も若かった。良くも、悪くも若かったのだ。ゆえにこれは過ちではない。


「こんな目じゃなければ……」

「どして? せっかくきれいなのに」

「きれいだからいいっていうものじゃないよ。これのせいで嫌なことが多いんだから」

「やなこと……?」

「…………」


 しばしの沈黙が訪れる。その間をうように風の音や小鳥のさえずりだけが響いていた。

 そこでようやくマリナは自分が他人に――つまるところ僕に害を与えた事実に至ったらしい。本当に少しだけ焦ったような顔になっていた。されど、若かった彼女には最適な回答が導き出せず、ただ沈黙を浴びるようにするしかなかったみたいだ。

 もちろん、全てが彼女のせいというわけではない。幼かった僕にだって非はある。状況が状況だったというだけで、目の色が違うただそれだけのコンプレックスすら認めてあげられなかったというだけで、僕はあろうことか彼女を責めたのだ。


 だから、これは過ちではない。間違いではあったかもしれないが、さほど重く留めることではない。

 ただし、そのときの僕たちの中ではそう捉えられなかったのだ。ありもしない過失を感じて、すれ違う罪悪感を心の奥底に突き刺してしまった。いわゆるトラウマを自らに植え付けたことと相違ない。

 子供だった僕たちにはこれがどれだけの罪であるかを知らずにいた。


「ごめんね、またね――ナギくん」


 悲しそうな顔。苦しそうな声色。絞り出したような別れ。

 足早に去っていこうとするマリナの背を見つめて、比較できない感情にどぎまぎして絞り出す。

 ここで何かを――なんでもいいから声をかけなければならないと直感したから。


「……また」


 けれど僕は、終始女の子の名前を呼ぶことはできなかった。

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