目撃
@d-van69
目撃
ない。落としたとしたらこの辺りしかないのだが、いかんせんあたり一面雑草が生い茂っているせいで探し物は困難を極めた。もしかしたら誰かに拾われてしまったのだろうか。
腰を屈め、草を掻き分け、右往左往していると、不意に声をかけられた。
「探し物ですか?」
顔を上げてぎくりとなった。道端で、自転車にまたがった制服警官が俺を見ていた。
「なにか落とされましたか?」
重ねて訊いてくる警官に、ええ、まあ、と曖昧に答えた。
すると彼は自転車のスタンドを立て、こちらへ向かってくる。
「よかったらお手伝いしましょう」
慌てて手のひらで壁を作ると、
「いいえ、大丈夫です。お構いなく」
しかし相手はひるむことなく草むらに足を踏み入れた。
「遠慮なさらずに。困っている市民をお助けするのも、我々の仕事ですから」
その親切そうな笑顔が逆に不気味に思えてしまう。
「それで、なにを探せばいいんですか?」
こうなるとその申し出を受け入れるほかないだろう。頑なに断ることで相手の神経を逆撫ですることにでもなったらかなわない。
「スマートフォンです」
「ああ、携帯電話ですか。だったら、私の携帯からかけてみましょうか?」
「えっと……実は携帯の番号変えたばっかりで、覚えてないんですよ」
「そうでしたか。それなら地道に探すしかありませんね」
とっさに出た嘘を信じたようで、警官はその場にしゃがみこみ、周りの草を掻き分け始めた。
まずいことになった。
警官を尻目に、俺の脳裏には数時間前の出来事が甦った。
それは早朝まだ夜も明けていない頃、日課のジョギングに行く途中のことだった。
静まり返った町を走っていると、路地から言い争うような声が聞こえてきた。
足を止め、角からそっと覗くように見ると、街灯の光の中に二人の人影が見えた。一人はジャージ姿、もう一人は制服警官だ。距離が離れているのでその顔までははっきりと見えない。
事件だろうか?あわよくばテレビ局か新聞社にでも売れるかもと思い、こっそりスマホで動画の撮影を始めた。
しばらくすると、ジャージのほうが激昂したかのように声を荒げだし、ポケットからナイフを取り出して身構えた。
ところが落ち着き払った警官は、やすやすとナイフを奪い取り、なんの躊躇いもなしにジャージの腹を刺した。それも何度も。
思わず「え!」と声が漏れた。
警官がこちらに気づいた。
俺は一目散に逃げ出した。
相手が追ってきたかどうかもわからなかったが、とにかく俺は自宅目指して走った。
その途中に空き地があった。随分前に古い家が取り壊され、雑草が生え放題になっていた。そこを横切れば近道になるので迷わずそちらに進路をとる。
その判断が間違いだった。数歩進んだところで雑草に足をとられ思い切り転んでしまった。背後からはアスファルトを蹴る靴音が聞こえてくる。
俺は這うようにして空き地から転げ出ると、再び走り出した。
自宅アパートに飛び込み、鍵をかけてから通報しようとポケットをまさぐって気づいた。
入れたはずのスマホがない。落としたのだ。ということは草むらで転んだときか。
窓を少しだけ開け、外の様子を伺う。誰かが追ってきたような気配はない。だからと言って今さら探しに戻る勇気はなかった。
しかし、あれには殺人事件の大事な証拠が保存されているのだ。そのままにしておくわけにもいかない。
迷った挙句、俺は夜が明けるのを待ってから探しに行くと決めた。明るくなれば人通りも増えるだろうし、そうなればあいつもおいそれと俺に手出しできないだろうと考えたのだ。
まさか殺人犯かもしれない警官と一緒に、その証拠が入っているスマホを探すことになるなんて。いや待て。そもそも俺はあの時、警官が人を刺したところ見ただけで、その顔をはっきり見たわけじゃない。と言うことはこの警官があの時の警官だとは限らないかもしれない。そのことを念頭に置いてみれば、真面目で優しそうなその雰囲気からは、とても人を刺すようには見えないじゃないか。
だからと言って、まるっきりこの警官を信用するのも危険なような気がする。一見人畜無害に見える奴が一番ヤバかった、なんてパターンはよくある話だ。
仮に目の前の警官があの時の殺人犯だとしよう。すると何故こんな風に俺に近づいてきたのかが疑問だ。目撃者を消すつもりなら堂々と接触してこなくても、もっと他に手段があるはずなのだ。だったら彼は動画を撮られたことにも気づいていたのだろうか。目撃者だけを消しても証拠の動画が残されていれば意味はないと考えて、まずはスマホを押さえる行動にでたのかもしれない。そうなるとさっきバカ正直にスマホを落としたなんてことは言わなければよかった。
とにかく警戒するに越したことはない。スマホを見つけ、動画を確認すれば犯人の顔ははっきりするのだ。それまでは油断しないでおこう。
あれこれ考えながら探すうちに見つけた。俺のスマホだ。
声をあげそうになるところをすんでのところで堪えた。もしもこの警官が殺人犯だった場合のことを考えれば、それは秘密にしておくほうが得策に思えたからだ。
ちらりと警官のほうを見る。ちょうどこちらに背中を向けていた。
すばやく拾い、ポケットに突っ込んだ。気づかれた様子はない。
そのまましばらく探すふりを続けてから腰を伸ばした。
「えっと、すみません、おまわりさん」
「どうしました?」とこちらを見る。
「そろそろ会社に行かなきゃならないので、もう携帯は諦めます。もしかしたらここで落としたのじゃないかもしれないし」
「そうですか。じゃあ、遺失物届けを出しておきますか?」
「いや、結構です。どうせ安物だし……」
と言っている途中で、間の悪いことに誰かが俺にメッセージを寄越したのか、ポケットの中で着信を告げる音が短く鳴った。
警官が怪訝な顔で俺を見る。
次の瞬間、俺は駆け出していた。
「あ、待ちなさい」という警官の声も無視してひたすら走る。
あとをつけられないよう何度も角を曲がってから自分のアパートに戻った。震える手で鍵をかけ、冷蔵庫から500mlのペットボトルの水を出して一気に飲み干した。
ようやく呼吸が落ち着いたところでポケットのスマホを取り出し、例の動画ファイルを再生した。
路地の角から盗み撮りのように、二人の男を映し出す。制服警官とジャージの男だ。その犯人の顔を拡大してやろうかと思ったところでドアをノックする音が聞こえた。
一時停止してから恐る恐るドアスコープを覗くとスーツ姿の男が立っていた。30代後半といった感じだ。
ドア越しに「どちら様でしょうか?」と訊ねた。すると男の声が聞こえてくる。
「私、W県警捜査一課の大西と申します。ちょっとお話を伺いたいのですが、開けてもらえませんでしょうか?」
チェーンをかけたままドアを少し開いた。すると相手は俺に見えるように警察手帳を提示した。その写真と本人は間違いなく同一人物だった。
いったんドアを閉じ、チェーンをはずして再び開けると、男は軽く会釈をして見せた。
「朝早くに申し訳ありません。捜査にご協力願えませんでしょうか?」
「捜査って、なにか事件ですか?」
「ええ。実は今朝方未明にこの近くで殺人事件が起こりましてね。その際、警官の制服を着た男の目撃情報が出ているのですが、こちらでもそのようなことを見たり聞いたりしたことはありませんか?」
自分が見たことを答えるよりも先に男の言い回しが気になった。
「あの、警官の制服を着た男って、警察官じゃないんですか?」
「断定はできないんですよ。制服を着ていたからと言って警察の人間とは限りませんから。今の時代、偽物から本物まで、闇サイトやなんかで売られていたりしますからね」
「そうなんですね……」
記憶の中の警察官の姿を思い浮かべる。あれは偽物だったのか、本物だったのか……。
「なにか心当たりでも?」
「それが、見たんです」
「見た?男をですか?」
「制服を着た男が、ジャージを着た男を刺すところを、です」
刑事の顔色が変わった。
「本当に?何時ごろのことですか?」
「5時過ぎだったと思います」
「なぜその時間だと?」
「日課のジョギングに行くところでしたから。それに、動画も撮りましたし」
「犯行の?」
「はい」
「それ、見せてもらえますか?」
「もちろんです」
握ったままだったスマホのロックを解除し、刑事に手渡した。画面には一時停止の動画がまだ出ているはずだ。彼はそれをタップして再生を始める。
スピーカーから俺の息遣いだけが聞こえてくる。そのうちに「え!」と言う俺の声が聞こえた。警察官が人を刺したところだろう。
刑事はそこで画面をタップした。そして二本の指で画像を拡大していく。そうするうちに、彼は満面の笑みが浮かべた。
「よく撮れてますねぇ」
嬉しそうに言いながら、男はスマホの画面をこちらに向けた。そこに映し出されていた顔と刑事の顔を思わず見比べる。二人は同一人物としか思えなかった。
「言ったでしょ。制服を着ていたからといって警察の人間だとは限らないって」
男はにこやかに言いながらじわじわと距離を詰めてくる。俺が後ずさると土足のままあがりこんできた。
「刑事だってそうですよ。手帳を持っていたからといって簡単に信用しちゃだめなんです」
いつの間にかその手にはナイフが握られていた。
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