237話 トレーニング

 翌日、俺はルーシーの家に来ていた。

 昨日しずはの家に一緒に行ったばかりではあるのだが、ルーシーにはあることを頼まれていたのだ。


「ここだよー!」


 ルーシーが扉を開けた先、そこには一つのジムが丸々入っているかのような空間だった。

 筋トレグッズ——トレーニングマシンが多数置いてあった。


 俺は筋トレを家でやれる範囲で最大限やっている。ただ、本当に筋肉をつけるのであれば、ここに揃っているバーベルなどを使うことが一番だとネットで調べてわかっていた。

 だからこの部屋のトレーニングマシンは、筋トレ好きの俺にとって夢のような空間だった。


「すげぇ……」

「ふふ。私はたまにだけど、お兄ちゃんたちはいつも使ってるみたいだよ」


 そうか、アーサーさんたちが……。

 家にこんな場所があるなんて、羨ましい限りである。

 お金もかからないし、わざわざ外に出なくてもトレーニングできる。


「じゃあ私は着替えてくるから、少しだけ待っててねー!」


 ルーシーはトレーニングウェアに着替えて来るようで、俺をジム部屋に案内してすぐに出ていった。


「少し見てみるか……」


 今日はしずはの父である通柳さんから言われた、ルーシーの筋肉をつけたほうが良いという話から、筋トレのやり方を教えにきたのだ。


 と言っても、ちゃんとしたマシンを使うのは俺も初めて。

 なので、手探りで教えるしかない。マシンを使わないトレーニングも多数あるので、そちらも平行してやっていこうとは思っている。


 そこで、ルーシーが来るまで部屋にあるトレーニングマシンを見て回ることにした。


 まず目に入ったのはランニングマシン。一般的に見るような形だが、これがあれば外で走らなくても良いのだ。

 ただ、ジョギングに関しては外で走った方が気持ちの良い空気を吸えるので、外の方が良いとは思っている。


 そして次にスミスマシン。

 黒く重厚なその威風。まさに筋トレの王様のようなマシンである。

 バーベルを固定したまま上下させたりもできるため安全性が高い。

 懸垂や伸びる紐を引っ張ったりするトレーニングも可能だ。


 その下にある椅子——ベンチを使えば、ダンベルを使ったトレーニングや腹筋なども可能だ。

 ともかく万能なマシンなのだ。


「おっまたせ〜!」


 すると、そんなに時間が経たずに後方で扉が開いた。

 振り返ってみると、トレーニングウェア姿のルーシー、そして真空がいた。


「やっほー、光流くん。今日はよろしくねっ」

「真空、おはよう。じゃあ、早速やっていこうか」


 と、俺はすぐに目線を外し、最初にストレッチから始めようと、揃えてあったトレーニングマットを取りに壁際へ寄ろうとしたのだが——、


「ちょっと光流くん?」

「え?」


 少し怒った口調で真空が俺の動きを止めてきたのだ。


「私たちの格好を見て、何か思わないの?」


 真空が腰に両手を当てながらそんなことを言いはじめた。


 ルーシーと真空の服装。

 トレーニングウェアとは言ったが、その格好は学校で見る体操服とは全く違う。


 ルーシーは、半袖のウェアを着ているがぴったりとフィットした体のラインが強調されているもの。しかもなんとおヘソが出てしまっているものだった。

 さらに下半身も太腿にぴったりとくっついていた長い丈のヨガレギンス。完全に腰回りの骨やお尻のラインまで全て見えていた。


 一方の真空はルーシーとは違い、タンクトップのようなウェアだ。

 さらに太腿の付け根までほぼ見えているショートパンツだった。ルーシーより何倍も露出度が高かった。


 ともかく二人共あまりジロジロと見るべき服装ではなかった。

 というのも、俺がこういったトレーニングウェアを近くで見るのは初めてだからかもしれない。

 一般的にはこういった服装をジムでしている女性もいるだろうが、それが知り合いともなれば、何か変な目線で見てしまいそうになる。


「ええと……可愛いと、思います」

「だって、ルーシー?」

「光流、ちゃんとこっち見てよ〜」


 けど、俺が視線を外して褒めたせいか、ルーシーは満足しなかったようだった。

 俺は真っ直ぐに二人のウェアを眺めた。


 ……やはり、目に毒だった。


「ふふ。光流くん私たちの裸まで見てるのに、今更何恥ずかしがってるんだろうね」

「もう真空。その話題は……っ」


 再びあのお風呂でのことがフラッシュバックする。

 勉強合宿の時にルーシーは、たまには思い出しても良いという事を言ってくれたが……。


「もう、良いから! 早く始めるよ!」

「あーん、光流くんいけずなんだからぁ」


 ニヤニヤと面白がるように真空はそう言った。




 …………




 まずはトレーニングマットを敷いてから柔軟を始めた。

 一般的な柔軟に加え、ここで簡単なトレーニングも入れてみた。


「こ……これ、つらい……っ」

「もう……だめぇっ!」


 ほぼ同時にバタンとマットにうつ伏せ状態で倒れ込んだ二人。


 今やっていたのはプランクという、足を延ばして肘を床につけたままの体勢を保つ体幹トレーニングだ。

 見た目は簡単そうに見えるが、長い時間できる人はなかなかいない。

 先程まで二人共、開始十数秒から全身がぷるぷると震えていた。


「光流、まだできるの……?」

「小学生の時からずっと筋トレしてきたんだ、これくらいずっとできるよ」

「脳筋!」

「脳みそまで筋肉にした覚えはないんだけど……?」


 真空からの罵倒も気にせず、俺は一緒にやっていたプランクを継続する。

 これは体幹トレーニングと言ったが、腹筋も鍛えられるものだ。お腹周りを気にする人にお勧めなトレーニング。まあ、この二人はあまり気にしているとは思えないけど……。


「よっこいしょ!」

「ちょっとぉ!?」


 プランクをしていると、先程までマットに沈んでいた真空がいつの間にか俺の背中に座ってきた。

 いきなりかかる体重に、ギリギリ耐えるが、かなりつらい。


「ぐぐぐぐぐ…………」

「あれ〜? ずっとできるって言ってなかったぁ?」

「上に……乗られたら……できる、わけっ!」


 体をぷるぷるさせながら必死に耐える。

 ただ、真空の柔らかいお尻が俺の背中を押していることがもっとヤバい。


「ちょっと真空!」

「なぁ〜にぃ? ルーシーも乗ってみなよ。光流くんの良いトレーニングになるよ」

「え……そう?」


 ルーシーは何か真空に嫉妬したのか、止めに入ったようだった。

 しかし、謎に言いくるめられ、一緒になって俺の上に乗ろうとしてきたのだ。


「失礼します……」

「ぐあっ!?」


 ルーシーのお尻の感触と共に二人分の体重がかかり、俺のお腹はもう床に着きそうだった。


「女の子に体重が重いなんてこと、光流くんは言わないよね〜?」

「光流、ごめんね。重いよね?」

「ぐぐぐぐぐ…………っ」


 俺は返事ができないほど、もう限界だった。

 だから——、


「がはっ!?」


 マットの上にノックダウンした。


「私たちに乗っかられるなんて、光流くんは本当に得してるよね〜」

「早く、どいて……」

「クラスの男子なら、『ありがとうございます!』って喜ぶと思うけどなぁ〜」

「良いから、早く……」


 俺の言葉を無視し、真空は話を続ける。

 真空は自分の可愛さをよくわかっているのだろう。だからこんな事を言うのだ。

 けど、今はそれよりも息苦しい。確かにお尻の柔らかさを感じれたのは、嬉しいかもしれないが……。



 解放されたあと、しばらく俺はマットの上に横になっていた。

 ルーシーが真空に少し怒っていたが、自分も一緒になって上に乗っていたので、あまり強くは言えなかったようだ。


 それから、ダンベルを使ったトレーニングを中心に行っていき、休憩を入れながら合計一時間半ほどトレーニングを行った。

 ちなみに筋トレは、ある日は上半身、この日は下半身などと、日毎に筋トレする部位を変えてやった方が良い。

 細胞を壊してその修復の過程で筋肉が大きくなるのだ。休息期間も入れなければいけない。



「はぁ……はぁ……これ、明日は筋肉痛になるかも……」

「ルーシー、私もう筋肉痛だよ……」


 トレーニングを終えると、二人共、床に手を付きながら息を切らしていた。

 汗を掻いた二人の姿は、どこか色っぽくて、さらに目のやり場に困った。


「ほら、ちゃんとプロテインも飲んでね」

「は〜い」


 ルーシーたちに用意させていたプロテインドリンク。

 正しく筋肉をつけるには、タンパク質が重要なのだ。


 筋トレしてもタンパク質をとらないと筋肉は思うように増えない。

 一番は普段の食事から取り入れるのが良いのだが、相当気をつけないと一日にとれるタンパク質の量なんて限られている。だからプロテインでその分を補う。


 ルーシーたちの体重は知らないが、おおよそ自分の体重の二倍ほどのタンパク質を一日に摂取すれば筋肉は増えやすいと言われている。例えば俺はおおよそ六十キロほどだが、一日に摂取するタンパク質の量は約百二十グラムということになる。


 プロテインドリンクなら大体一回飲むと二十グラムほどは摂取できる。

 筋トレをしている人はこれを一日に三回ほど飲む人が多いだろう。


「あ、チョコだ。少し飲みやすいかも」

「だね。でも……なんかドロっとしてるのが……」


 二人はドリンクを喉に通すも、互いに感想は違っていた。


「味は色々あるからさ、自分が飲めそうなの選んでみなよ。最初は慣れないかもしれないけど、すぐに慣れるよ。俺だって最初は不味いと思ってたもん」

「不思議なものだよね。コーヒーだって最初は苦いのに、飲み続けてると飲めるようになるんだもんね」

「ルーシーはまだ砂糖入れてるじゃん」

「そ、そういうことじゃない!」


 ルーシーの言う通り不思議なものだ。苦いものも慣れれば美味しく感じるように、プロテインだって似たようなもの……多分。

 そしてトレーニングも同じ。継続しないと筋肉はつかない。これからルーシーには歌やギターの為にも、筋トレを継続してもらう必要がある。ただ、ルーシーのことだ。ちゃんと継続してやるはずだ。


 そう、トレーニング後にゆっくりしている途中だった。



「——お嬢様! お嬢様様!」


 突然扉が開け放たれ、ジム部屋に入ってきた使用人の牧野さん。

 尋常ならざる状況だと、その様子から見て取れた。


「牧野……?」

「お嬢様様、心して聞いてください。——お祖母様……加津江様が危篤でございます」

「————っ」


 ルーシーは青色の相貌を震わせ、一瞬何が起きたのかわからないような表情をした。

 でも次第に何が起きているのかを理解しはじめ、ぎゅっと手を握った。


「おばあちゃん、が……?」

「はい。現在、宝条グループの病院におられます。旦那様方は既に全員向かっているようです。ですので、お嬢様もご準備をしてすぐに向かいましょう」

「う、うん……わかった!」


 ルーシーは悲壮感を見せながらもすぐに立ち上がり、ジム部屋を出ていこうとした。

 そして、扉を出る前に一度振り返った。


「光流、真空ごめん! ちょっと行くね!」

「うん、行ってきな」

「こっちは大丈夫だよ」

「ありがとうっ!」


 ルーシーがジム部屋から出ていった。


「…………ルーシーの、おばあちゃんかぁ」


 真空が物憂げに呟いた。


 ルーシーの祖母と言えば、俺の祖父母の家がある富良野のラベンダー畑で、ルーシーと一緒に撮った写真に写っていた人。

 そして、その時に気づいた、クリスマスイブのあの日に横断歩道で助けた人でもある。

 少なからず、俺とも関係がある……ということになるだろうか。


「危篤ってことは、そういうことだよね……」

「うん……ルーシー、大丈夫かな」


 家族の死。

 それは、仲が良ければ良いほど、つらい出来事となるだろう。

 ルーシーと祖母との関係はよくわからないが、多分悪くはない。


 俺にできることはあるだろうか。

 もし、あるとすれば、何かしてあげたい。


 ただ、今すぐに病院に行っても迷惑だろう。

 明日以降、俺にできることがあれば………。


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