235話 やっぱり筋トレは万能

「じぃじ!」


 麻悠が正式に『バンドエイジズ』に加入し、そのままルーシーの家で加入祝いをしようという話になった。

 そんな中、とりあえずルーシーの部屋に行こうと歩いていた時、たまたま家令である氷室さんが通りかかった。


 すると、麻悠は勢いよく氷室さんにダイブ。

 その力強さに少しくらっとしていたが、なんとか耐えて受け止めた氷室さん。

 確か年齢はもう七十歳近くだったかと思うけど、麻悠は容赦がないようだった。


「おやおや。お嬢様のお家まで……ほら、皆が見てる。ここでは私は仕事をしているのだからあまり困らせないでおくれ」

「えぇ〜。だってあんまり会えないんだもん。いいじゃん〜」


 氷室さんがちらちらとこちらを見ながら、麻悠を引き離そうとしていたが、なかなか離れようとしなかった。

 おじいちゃんっ子な麻悠はじぃじ――もとい氷室さんの胸に顔をつけて、匂いを嗅いでいた。


「いいわよ氷室。せっかくの孫との時間なんだから、少しくらい自由にしても」

「お嬢様……」

「これから麻悠ちゃんの歓迎会するから、誰かにお菓子でも部屋に持ってくるように言ってもらえる?」

「歓迎会ですか……?」

「うん。麻悠ちゃんうちのバンドに入ることになったんだ。キーボードとして」

「おやおや……それはそれは」


 氷室さんは麻悠の頭を撫でながらルーシーの話を聞いていた。

 猫のようになっていた麻悠はそのままに氷室さんは少し驚いていた。


「あ、じぃじ。私が演奏する時、観に来てよぉ」

「それは観に行ってみたいね。でも、仕事が優先だから行けるかはわからないよ」

「休んでいいわよ。私が許す!」

「ルーちん、ありがと」

「ルーちん……ですか」


 氷室さんが麻悠のルーシーの呼び方が気になったようだった。

 自分がお嬢様と呼んでいるのに対して、孫はルーちんである。このギャップはなかなかだろう。


「ほら、麻悠ちゃん行くよ! 後でまた氷室との時間作るから」

「わかったぁ。じゃあ、じぃじ。またね」

「お嬢様、お気遣いありがとうございます。麻悠、友達を大切に」

「はぁい」


 氷室さんと別れ、今度こそルーシーの部屋へと向かった。


「それにしても、麻悠ちゃんって私たちといる時と氷室といる時って全然違うよね」

「当たり前でしょぉ〜。ルーちんだって、光流っちと二人きりの時は違うでしょぉ?」

「麻悠ちゃんっ!?」


 まさかのことを返され、ルーシーは少し顔を赤らめた。

 ルーシーとの関係については、麻悠がキーボードに加わる条件の一つだった。


 付き合っているわけではないのは、麻悠にも周知の事実ではあるが、俺たちの雰囲気を見てそう思ったのだろうか。


「私はじぃじのこと超ラブだけど、ルーちんはどうなのぉ?」

「な、なにをっ!? あ……今は……そんなこと、なんとも言えないよぉ……」

「ルーちん。顔赤いよ。光流っちのことになると、こうなるんだぁ。面白いね」


 味をしめたような顔をした麻悠ちゃん。

 これは少し厄介な子かもしれない。

 ただでさえいつも近くには真空がいるのに、ルーシーを茶化す相手がまた一人増えたのだから。


「よし、では手始めにルーシーの秘密の話をしてしんぜよう」

「楽しみ〜」

「ちょっと真空!?」

「それ、俺聞いていいやつ……?」


 麻悠に続いて、真空もそれに便乗。

 ルーシーのどんな話がされるのかわからないが、とにかくルーシーが恥ずかしい思いをする話なのだろう。




 ◇ ◇ ◇




 麻悠が加入してから数日。


 中間テストも終わったということで、今日は学校終わりにルーシーにとある人物を会わせる予定の日だった。

 結局、バンドというものは個人練習が多くなるので、麻悠が加入したと言っても毎回のように合わせ練習をするわけではない。


「あら、二人共いらっしゃい。しずははもうピアノ部屋に籠もって練習始めちゃったけど、気にせずくつろいでいってね」


 出迎えてくれたのは、藤間花理さん。


 学校の授業を終えて、ルーシーと二人でやってきたのは、しずはの家だった。

 GW前から話していたルーシーが透柳さんにギターを教わるという話。それを実行するために今日はここに来たのだ。


「お、お邪魔しますっ!」

「お邪魔します」


 俺たち二人は花理さんに出迎えられ、家の中へと上げてもらった。


「お、きたか」


 リビングに通されると、透柳さんがソファでくつろいでいた。手にはコーヒーカップを持っていて、いつものように剃り残しみたいなヒゲとロン毛も健在だ。ただ、それがどうにも似合う中年イケメン。


「あ、初めましてっ」


 ルーシーが透柳さんに視線を合わせると早速軽く頭を下げて挨拶をした。


「君がルーシーちゃんだね?」

「は、はい! 今日はよろしくお願いします!」


 既にルーシーのことは透柳さんに伝え済みだ。

 そして、これが二人の初対面となる。


 少し前、しずはが話していた。

 ルーシーがギターをうまくなるにはどうすれば良いか。


 俺はプロから教わることができたからここまで上達できたと思っている。

 自分でうまく努力して成功する人もいるが、ほとんどの人はそうではない。


 早くから正しい努力に気づき、そのやり方で努力した方が良いに決まっているのだ。

 だからその話から、しずはが問題ないと話をしてくれたので、今こうやってルーシーも透柳さんからギターを教わる話になった。


「それにしてもどえらい美人さんだな〜。な、はな?」

「ええ。オリヴィアの娘だもの、当たり前でしょ」

「あ〜、そう言えばそんなこと言ってたな。俺は直接会ったことはないけどな」


 オリヴィアさんと面識があるのは、花理さんだけらしい。

 ただ、話は聞いたことがあるようだった。


「ん、あー悪い悪い。早速ギター部屋に行くか」

「お願いします」


 花理さんと会話しだした透柳さんが、俺たちが棒立ちになっていることに気づき、その場から立ち上がった。

 そうして俺たちはリビングから移動し、ギター部屋へと向かった。




 ◇ ◇ ◇




「わお、レスポールカスタムじゃねえか」


 一高校生が持つには高すぎるギターを所持していたルーシーに驚愕。

 という俺も透柳さんから借りていた高額なギターをそのままもらってしまったのだが……。


「でも、多少は使い込まれてるみたいだな……。しばらく使ったら弦はちゃんと交換するんだぞ」

「はい。でもその辺あまりわからないので……光流に聞きます」


 透流さんはレスポールカスタムの弦を軽く弾きながら、状態をチェック。

 俺はまだ弦が切れるという体験はしたことがないが、定期的にちゃんと交換はしないとな。


「よし、良いぞ。とりあえず、今弾ける曲を弾いてみてくれるか?」


 ルーシーのギターレベルのチェックが始まった。

 そこで彼女は『星空のような雨』を弾いてみせた。


 これまでも何度も弾いてきた通り、滑らかな演奏で手慣れている感が出ている。

 そして、真空の誕生日会で演奏した時にわかったどんな気持ちを誰に届けないのか、そういった感情。

 先輩たちから教わったものだ。


 そのことを知ってからルーシーの演奏もちゃんと変わっていた。


「――悪くはないな。これを歌いながら弾けてるってんなら十分に及第点だ」

「ありがとうございます。私はこれからどう練習すればいいですかね?」


 ルーシーの評価は思いの外良かった。一応俺も彼女に教えているし、ルーシーが変な弾き方をしているとか言われたらどうしようかと思っていた。それはなくてとりあえず安心はできた。


「うーん。ちょっと歌いながら弾いてもらっても良いか? そっちも見ないとまだはっきりと言えない」

「もちろんです!」


 ということでルーシーが歌いながらギターを弾くことになった。

 少し透柳さんがルーシーの生歌を聞きたいんじゃないかという思惑が透けて見えたのだが、透柳さんも今では彼女は知っている。




 …………




「おお…………」


 マイクスタンドを用意し、その場でギターボーカルをやってみせたルーシー。

 いつ聞いても、何度聞いても、ルーシーの歌声は俺の心を震わせた。


 それは同じく透柳さんもそうだったらしい。

 ルーシーに何か指摘しようと歌を聞いていたとは思うが、想像を超える歌声に聞き入ってしまったのだろう。

 感動にいつの間にか小さく声を漏らしていた。


「ど、どうですかね……?」

「素晴らしい……! お金払いたくなっちゃうよこれは」

「ですよね!!」


 透柳さんはいつの間にか拍手をしていて、それにつられて俺も同時に拍手をした。


 そしてその感想には完全に同意だ。

 ルーシーの歌はお金を払いたくなるほど素晴らしいのだ。

 それをいつも近くで聴けるというのは、本当にとんでもないことなのだ。


 ただ、それはギターの実力とは別のことではある。


「それで……どうしたら良いですかね?」

「別に売れているアーティスト全員がやっているわけではない。だからそれをやって上達するなんてことはないかもしれない。ただ、実際目に見えて改善する時もあることだ」


 透柳さんは遠回しにそんなことを言い始めた。

 何のことなのかよくわからない。この話は俺が教えられている時には聞いたことのない話のように思えた。


「それって、何のことですか……?」

「まあ、筋トレだな」

「筋トレですか?」


 その言葉ですぐに理解した。

 俺は普段からずっと筋トレをしていた。だから透柳さんは俺には言わなかったのだろう。


「ああ。ルーシーちゃんはボイトレはしたことがあるか?」

「はい、アメリカの方でボイストレーナーに習っていたことがあるので」

「そこで腹式呼吸とか腹筋のこととか、言われなかったか?」

「あ……確か腹筋を鍛えたら、腹式呼吸もしやすくなるとか、そんなことを言われてたかもしれません」


 そうか、ギターとはまた別に歌に関しても筋トレは関係してくることなのか。

 透柳さんの話は的を得ているように感じた。


「そうだ。そしてギターボーカルは、二つのことを同時に行う大変なポジションだ。それは筋トレである程度カバーできると思っている。同時にジョギングのような体力づくりもそうだ」

「あ……」

「光流くん。文化祭のDVDを見たが、ドラムの子、相当疲れていただろ? 恐らく彼はメンバーの中で一番体力がなかったはずだ」

「おお、その通りです。透柳さん。ドラムやってた子は今まで運動とか全くしてこなかったって言ってました」


 まさか陸のことまで見ていたなんて。しかもそのことを一年近く時間が経過した今でも覚えているなんて。

 流石過ぎるというか……本当に凄い。


「軽音部は文化部に分類されてるだろ? けど、運動部に変わりないと俺は思ってるんだ。演奏した後はスポーツをしたみたいに疲れるだろう」

「確かに……」

「ってことはだ。運動部に走り込みや筋トレは必須だろ? 勝つために強くなるために当たり前に組み込まれているものだ。なら、バンド――軽音部も運動部と同じだと思うんだ」


 つまり、透柳さんの言いたいことはこういうことだ。

 筋トレやジョギングなどの体力づくりをすることで、歌にも力強さが加わり、演奏中でも声が震えずにしっかりと音源データに近い歌声で歌うことができる。

 そして、ギターもしっかりと長く支えられて、疲れずに音に揺らぎなく滑らかに最後まで弾けるようになることだって可能になると。


「なら、すぐにでも私が改善できることって――」

「ああ、ジョギングや筋トレをもうちょっとしっかりめにやってみても良いかもな」

「わかりました!」


 ルーシーは目を輝かせて透柳さんの話を受け入れた。

 具体的なテクニックなどは、またこれから教えてもらえるだろう。


「光流くんは俺が教えたことをルーシーちゃんにも教えてるんだろう?」

「そうですね」

「なら、基礎は大丈夫だろう。またしばらくしたら見てあげるから、とりあえず体力と筋力づくりだな」


 ルーシーのやることが決まった。

 ひとまず目標が決まって良かったと思っている。


 俺もやっぱり筋トレは万能なんだと再認識できた。


 ルーシーは運動ができる方なので、多少なり筋肉はある。

 ただ、見るからに華奢ではある。なら、ここから筋肉をさらにつければギターボーカルの成長は見込めるだろう。


「あ、一旦トイレお借りしていいですか?」

「いいぞ」


 そうしてルーシーがギター部屋から出ていった。


「おい、光流くん……あの子、なんだろ?」

「えー、はい」


 ルーシーが出ていくと、部屋で透柳さんと二人きりになった。

 するとすぐに俺の肩を組んできて、冬矢みたいなイメージでルーシーのことを聞いていた。


 過去、透柳さんにはルーシーについてのことを話していた。

 だから、この話をしたくてウズウズしていたのだろう。


 俺は少し顔を赤らめて頷いた。


「ははぁ、とんでもない美人を捕まえたじゃないか」

「そうですね。俺には勿体ないくらいです」

「なんだよ。もっと自信持てよ。そのくらいのことしてきたんだろ?」

「そうだと思いたいです。男らしくありたいとは思うんですけど、時間が立つに連れて、奮起した自分が下がっていくんですよね。モチベーションの上下みたいに」


 そう、これは俺の悩みの一つでもある。

 ルーシーを大切にしたい。幸せにしたい。いつかちゃんと告白して付き合いたい。

 俺のことを特別に思ってくれていることだって、もちろんわかっている。


 でも、どこかで思ってしまうのだ。

 彼女の凄まじいオーラを日々見ていると俺は真逆で釣り合っていないと思われるのがどこか怖いことを。


 これは自分の容姿の問題なのか、何が原因なのかよくわかっていないが。

 容姿のことを言うと、親にも失礼な気がして、あまり考えたくないのだ。まあ皆には冴えないとは言われてるけど。


 筋トレをすることで自信がついたのは確かだ。肉体の成長は精神の成長にも繋がっていた。

 けど、どこかで引っかかりがあるのだ。それが、わからない。


 くる時が来れば情熱的にもなるし、強い想いをぶつけることだってできる。

 実際文化祭のライブの時だって、ルーシーとの再会の時だって、つい先日の社交界の時だってそうだ。


 本番に強いかと言われれば、半々だろう。

 文化祭ライブのリハーサルでの失態や入学式挨拶でマイクに頭をぶつけたりも失敗の一つだ。


「透柳さんは、どうやって自信をつけてますか?」


 すると透柳さんは俺の肩から手を放し、持ってきていたビール缶を開けだした。

 恐らく既にぬるくなっているであろうビール缶だ。


「はは、まさか。自信のないことだらけだったさ」

「え……?」

「昔話したろ。はなに告白した時の話」


 透柳さんが花理さんを射止めたソロでの文化祭ライブ。

 当時、学内では超美人で高値の花だった花理さん。しかし透柳さんは努力と本気を見せた結果、花理さんの心を掴むことができたのだ。


「付き合ったあとも散々だったぞ? 毎回のように俺がイケメンな行動ができるわけないだろ」

「そうだったんですか?」

「ああ、別にそこまで勉強できるわけでもないし、家事だってできるわけでもない。だからはなだって怒る時は怒ってたぞ」

「想像できると言えば、想像できるかもしれません……」

「おい」


 だって、しずがが透柳さんに怒っているのを見たことがあるからか、そのまま花理さんに変換できてしまうのだ。

 確かに透柳さんは、家事とかそういった家のことができるようにはあまり見えない。

 全体的にだらっとした服装だし髪型だし、ヒゲだし。

 スーツをビシッと着こなしエリートに見えるルーシーの父親――勇務さんとは正反対に見える人なのだ。


「すみません」

「とにかくだ。別に自信がなくたって良いんだよ。光流くんも自分でわかってるだろ? やるときはやれるって」

「…………そうかもしれません」

「いや、やれるね。なんだかんだ言って、君はそういうタイプだ。少し俺に似てるんだよ」

「はは……」


 見た目は全然似ていないけど、確かに恋に情熱的になって、本気で努力したことは似ているかもしれない。


「なら、心配する必要はない。今のままで良い。ルーシーちゃんを手放したくないなら、行動できる時に行動するんだ」

「透柳さんの話って、本当にためになりますね」

「ははっ。しずはにはこういう話絶対できないけどな」


 笑う透柳さんは、本当に楽しそうで。

 少しは子供のような年代と恋の話でもしたいのだろうか。創司さんは恋をするタイプではなさそうだし、多分そういった話はしてこなかったのだろう。


 ルーシーが戻るまで、約三十歳差の男同士で恋バナに花を咲かせた。

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