232話 接触

「終わったー!」


 隣の席でルーシーがそう言いながら天井に両手を伸ばしていた。


 二日間に渡る中間テスト。

 その全日程が終わり、俺たちは勉強地獄から解放された。


 俺は地獄だとは思っていないが、大体の生徒がそう思っていることは確かだ。


 ちらりと右前方、麻悠の席のほうを見る。すると同じく麻悠も俺の方へと視線をくれた。

 大きめの伊達メガネのフレームに触れながら目だけを動かし、ニヤリといった具合でアイコンタクトをくれた。


 麻悠は今回のテストに自信があるようだ。

 ギターの練習をしなかったお陰か、勉強する時間が膨大にとれたこの二週間。

 自信があるのは俺も同じだった。


 この先一週間の間で返却されるテスト。そして全てが揃ってから順位が記載された紙が配られることになる。中学と同じ仕組みでのテスト結果の通知だ。


 中間テストが終わったということで、部活も再開される。



 放課後、俺は皆を先に部室へと行かせて、トイレに向かった。

 そのトイレから出て、廊下を歩いている時だった。


「いたっ」


 向こうから歩いてきた三人組の男子生徒の一人と肩がぶつかり……いや、擦れた程度だ。

 その相手から痛いという言葉と共に睨まれたのだ。


「あ、ごめん」

「あぁ?」


 日本人の悪い癖かもしれないが、なんとなくすぐに謝罪の言葉が出た。


 ただ、その男子生徒はこの学校にしては……いや、そんなことは関係ないか。ともかくガラの悪い男子生徒だとすぐに感じた。


托真たくまおっまえ。絶対当たってないだろ〜っ!」


 すると隣にいた男子生徒が、ほぼ接触していない様子を見ていたのか、笑って指摘した。


「俺は肌が敏感なんだよ。少し触れただけで骨が折れちまうんだ」

「さすがにそれは弱すぎ! ぎゃはははっ」

「…………」


 人を小馬鹿にしたような会話。

 雰囲気的に関わり合いたくない相手だと感じた。

 そういう変な匂いを感じたのだ。

 匂いというのは物理的な匂いではない、感覚的なものだ。


「ひっかるぅ〜! まーだここにいたの!?」

「えっ!?」

「ちょっと急がないと大変だよ! ほら!」

「あ、ちょっと!」


 突如現れた、肩まで伸ばしたウルフカットの女子に俺は腕を引かれ、三人組の男子から遠のいていく。

 その様子を見ていた三人組はポカンとして、俺を追って来る様子はなかった。


 ただ、少ししたあと、後ろから汚い笑い声が聞こえてきた。



「も、守谷さん!? どうしたのさっ」


 俺の腕を引いて、どこかへ連れて行こうとしていたのは同じクラスの守谷千影さんだった。

 名前もいつもなら九藤くんと呼んでいたはずなのに、さっきはひかると呼んでいた。


 彼女の態度にどこかおかしく感じたのは、間違っていない。


「久しぶりに九藤くんと話したくて!」

「いや……そんなキャラだったっけ?」

「たまにははっちゃけキャラになってみたり〜?」


 指を口元に当てながら少しあざとい笑顔を見せた守谷さん。

 俺の質問には本当のことを答えてくれなさそうな感じがした。


「まあ、いっか……」

「そういえば、焔村さんとはもう大丈夫なんですか〜? なんか少し前から宝条さんたちとも仲良く話していたみたいですし〜」


 良く見ている……いや、良く見なくても焔村さんはとても変わった。

 クラスでの高飛車な態度は鳴りをひそめ、普通にクラスメイトと会話しはじめた。


 ルーシーたち以外、いつも焔村さんのご機嫌とりをしていたクラスメイトとも上から目線ではない普通な会話をしはじめたようだった。

 だからかそのクラスメイトは最初はポカンとしていたが、今では少し対等な会話をするようになってきていた。

 ただ、やはり彼女は女優であり、オーラが違った。焔村さんの態度が変わっても、今まで会話してきたクラスメイトはどこか芸能人を見るような目で見ていたことには変わりなかった。


「うん。一緒にテスト勉強したりもして……。多分もうあんなことはしないと思う」

「そうでしたか〜、九藤くんは本当に凄いですね。体育倉庫での一件だけを見ると、これからが心配でしたが一ヶ月で解決してしまうなんて」


 守谷さんとはそれ以来少ししか連絡を取り合っていなかったが、彼女は最初の俺の協力者だ。

 あの時、守谷さんが助けてくれなかったら、今焔村さんとは友好な関係は築けていなかっただろう。


「守谷さんのお陰だよ。あの時のことはずっと感謝してるから」

「ふふ〜ん。どうしたしまして。それじゃあ部活頑張ってくださいね〜」


 会話もそこそこに、守谷さんは廊下を進みそそくさとどこかへ行ってしまった。

 本当に会話したかっただけだったのだろうか。




 ◇ ◇ ◇




「ふぅ〜〜。危ない危ない。反対側のクラスでもわざわざこっち通ることもあるんだね」


 千影は光流から離れてすぐ、物陰に隠れながら再度部活へ向かう光流の様子を伺っていた。

 そうして胸を撫で下ろし、ホッと一息ついた。


「連絡連絡っと――偵次兄ちゃん」


 右耳に指で軽く触れ、装着してある小型通信機を起動。兄へと連絡をした。


「どうした、千影」


 通信機越しに兄・偵次の声が聞こえた。


「うん。初めて光流くんが桜庭さくらば臼田うすたと接触したよ」


 神妙な顔で二人の名前を出した千影。その声音は先ほどまで光流と会話していた時とは違い、真面目そのものだ。


「まあ、全ては回避できないとは思っていたけどな。九藤の方は良いとして問題は宝条さんのほうだ。そちらには限りなく接触を邪魔するよう真護兄さんには言ってある」

「わかってるよ。でもあいつら、そういうの飛び越えていつかやらかしそうなんだよね」

「ああ。できる限りそうならないようにするのが俺たちの仕事だ。――もし何かあった時はそいつらの運命は決まってる」


 守谷三兄妹の仕事はルーシーと光流が何事もなく順風満帆な学校生活を送れるよう陰でサポートすること。

 邪魔者は限りなく排除する行動をとってはいるが、全ては排除しきれないことは理解している。

 だからこそ、常日頃からの監視が必要だ。


「こわっ……権力と財力って恐ろしいね」

「悪いことをするやつらを放っておくわけにはいかないからな」


 彼女らのバックには宝条家がいる。

 何かあればすぐに生徒会長のジュードや本来の依頼主のアーサーにまで連絡が行き、内容によっては対象に制裁が下される仕組みだ。


 制裁とは対象の家族にまで影響が及ぶ。

 ルーシーの小学校時代にはできなかった報復、成長したルーシーの兄たちの怒りは未だに収まっていないのだ。

 それはその家族にも責任があると思っている。


「ただ、他に一つ気になることがあって」

「なんだ?」

「二人と一緒に歩いてた男子がいたんだけど、なーんかね、パシリっぽいというか」

「……一応調べておくか」


 桜庭と臼田と呼ばれた男子。その二人と一緒に歩いていた男子がもう一人いた。

 光流は気づかなかったが、千影はその二人よりももう一人の男子の方が気になっていた。


 二人は笑っている一方、ピクリとも笑わず引き攣った表情。背が低めで小太りのその男子は明らかにおかしかった。


「うん、こっちには関係ないことだけどね。一応よろしく」

「わかった」


 そうして兄への報告が終わり、千影は通信機を切ろうとしたのだが――、


「――そういや千影、テストの方はどうだったんだ?」

「げっ」

「なんだよその反応」


 聞かれたくないことを聞かれ、千影は眉を寄せた。


「……そこそこだよ」

「つまり手応えはなかったんだな」

「そこそこって言ってるじゃんっ!」


 千影のそこそこは、そんなにできていない、と同義である。

 もちろん勉強だけに集中すれば、そこそこ以上の結果は残せる。しかし光流たちの監視という仕事が追加された高校生活、勉強時間は明らかに減っていた。


「……私も一緒に勉強合宿に参加したかったな〜」

「目の前で監視できるもんな。じゃあ露骨にもっと仲良くなったらどうだ?」

「それだとなんだかなあ〜」

「探偵の張り込みに夢見すぎだろ」

「だってあんぱん食べて牛乳飲むのが探偵じゃん!」

「いつの時代の話だよ……」


 実際、千影は光流たちについていき、ルーシーの別荘近くのホテルに泊まっていたのだ。

 出先で何かあった時にも対処できるよう着いて行ったのだ。


 そうして、いざ双眼鏡で監視をしていると、どうだ。光流たちは楽しそうに勉強したり、バーベキューしたり、海で遊んだりしているではないか。

 千影もまだ高校一年生。少しくらいは青春に足を踏み入れたい年頃なのだ。


 そうやって監視ばかりしていれば、自分の勉強する時間は減る一方だ。

 中学の時より勉強時間が取れていないのは明らかだった。


「探偵はできる限りターゲットに接触しない仕事なの」

「細かく言えばやってることは探偵じゃないだろ。どちらかといえば護衛に近い」


 偵次の言うことはもっともである。

 探偵は職業的に見て、ターゲットに隠れて尾行し調査して依頼者に報告する仕事。

 しかし千影たちがしていることは、そこに護衛が付いて回る仕事でもあり、ターゲットの幸せな学校生活をサポートする役目もあるので、単に探偵とは言えない仕事なのだ。


「ぬうううう」

「ま、せっかく同じクラスなんだ。連絡先も知ってるんだし、もっと仲良くなってみろよ。勉強教えて、とかな。そしたら夏にプールでも誘われるかもな」

「ラブコメが始まりそうでこわい」

「……。公私混同は良くないからな。そこは千影が頑張って感情を制御するしかない」


 千影はため息をついた。

 これまでの監視で、焔村火恋や樋口ラウラの変化は見てきている。

 自分がもし九藤光流に近づけば同じようなことになってしまうのではないか。

 おかしな話だが、彼に近づけば近づくほど好きになってしまうのではないかという恐怖が千影にはあるのだ。

 既に相思相愛の二人、そこにわざわざ入って行くなんて、愚の骨頂である。

 ただ、そこに入っていっている人物が既に二人はいるのだ。


「そこは……また考えて行動するよ」

「ああ、お前次第だ。任せる」

「うん。じゃあ、またね」

「ああ」


 千影は兄との通信を切った。


 まだ高校生活が始まって二ヶ月だというのに、九藤光流と宝条・ルーシー・凛奈を取り巻く環境はとんでもないものになっていた。


 千影は二人のほとんどのことを知っているし、情報共有もされている。あの、社交界の出来事だってそうだ。


 実は光流、ルーシー、真空には気づかれないよう、離れた場所でウィッグを被ったり変装しながらウェイターの仕事をしていた。


 ただ、あの時はアーサーやジュードも現場にいたため、何かに介入するといったことはしなくて良いと言われていた。


 ただ、ウェイターとして静観していたが、そこでとんでもないものを見せられた。

 あんなことされたら、どんな女の子でも好きになってしまう。……いや、元々好意があったからこそ成立した登場シーン。


 それでも、まだ恋をしたことのない千影にとっては、胸をときめかせるのに十分な演出だった。


「真空ちゃんも、いつかは光流くんのこと、好きになっちゃいそう……」


 千影が気にしたのが、もう一人のこと。

 彼女も優先順位は低めだが監視対象ではあるため、目で追ってはいるが近くであんなものを見せられて、何も思わないわけがないと思っている。


 聞く話では真空とジュードは仲が良いらしく、たまに二人で遊ぶ関係であることは聞いていた。

 ただ、真空のほうはまだそういう感情は芽生えているわけではないとのことだ。

 なら、彼女の心を揺らすポイントはどこなのか。


 この先、真空の感情が何かの出来事によって揺れることがあれば。そしてそれをしてしまうのが光流であれば……どう転ぶかわからない。


「まあ、そこは私が関与するところじゃないけどね」


 もし、そうなった場合、ルーシーと真空の関係はどうなるのか。

 千影はターゲット同士の三角関係は大変そうだと思いながら、再び廊下を歩き出した。




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