225話 エナドリぶち込んで全て忘れろ!
家族が家に戻ってきて、俺もやっと自分の家の中に入ることができた。
鞠也ちゃんの家からノワちゃんも回収したことで、いつもの家族の風景となった。
昨夜起きた出来事を一通り家族には話した。
姉はふんわりとアーサーさんに内容を聞かされていたようだったが、俺がダンスを踊った言うと笑っていた。
俺にダンスは似合わないと思ったようだ。
でも母だけは、俺がルーシーの手を取ったことについて、本当に王子様みたいね、と言ってくれた。
実際にルーシーもそう言ってくれていたけど、多分あの時は社交界マジックのようなものが働いていたと思う。
◇ ◇ ◇
ゴールデンウィークも終盤に差し掛かり、今日は真空のための曲を合わせる日となった。
スケジュール的には今日を合わせて二、三回しかできない。
麻悠との勝負である中間テストも控えているため、そちらにも時間を割かなくてはいけないからだ。
そして合わせ練習は真空にはバレてはいけない。
なのでルーシーの家での合わせ練習はできなかった。
そこで今回は、部室を使わせてもらうことになった。
もちろんルーシーには真空にうまく言い訳してもらって家を出てきてもらっている。
ただ、今日は驚くべきことが起きた。
「――しずは、どういうこと?」
部室に集まって最初に疑問を呈したのはルーシーだ。
しずはの合わせ練習は恐らくこの一回しかできない。それはこちらも理解しているのだが、今日はなぜか深月を連れてきていたのだ。
俺も話を全く聞いていなかったので、ルーシーと同じ疑問を持っていた。
ちなみに冬矢もこの話は知らなかったらしい。
深月とはうまくやっているんじゃなかったのか。
「結論から言えば、私はドラムをやって、深月がキーボードをやる」
「「ええっ!?」」
俺とルーシーが同時に驚いた。
真空が参加しないので元々ドラム部分は音楽を流して補う予定だった。
だからドラム無しで臨む予定だったのだが……。
「色々考えたけど、中途半端にやりたくないのよね。やるなら全部生音でやりたいと思ったのよ」
「しずは……っ」
「勘違いしないでね。別に真空のためとかじゃないから」
しずはがいきなりツンデレっぽい言葉を喋りはじめた。
昔に戻ったようだ。
「私だって同じ。しずはが言うからしょうがなくやるけど……一番だけなら短いし」
「深月ちゃん……っ」
ルーシーが二人に感動し、徐々に近づく。
「ちょ、何よ。近づかないでよ」
「え、なに……?」
「ありがとうっ!!」
「うわっ!?」
ルーシーがしずはと深月に同時に抱きついて喜びを伝える。
引き気味な二人は、眉を寄せながらルーシーを必死に引き剥がそうとしていた。
ただ、ルーシーには体格的にも力的にも勝てないようで、なかなか引き剥がせなかった。
「とりあえず深月ならキーボード完璧にやってくれるから。曲作ったの自分だしね」
「しずは、でもお前はドラムなんだろ?」
「まぁね。中学の時に借りたドラムあったでしょ? あれまだ家にあるのよ。別に上手いってほどにはできないと思うけど、最低限のことはできると思うから」
「マジで天才じゃん……」
小学生、はじめてしずはの家に行った時のことだ。
楽器の部屋に案内してくれたしずはは、ピアノ以外にも父のギターや姉のベースも弾いて見せてくれた。
そして今度はドラムだ。何でも出来すぎて言葉にならない。
「まあいいじゃん。時間もったいないから、早く合わせよう」
「うん! 今日は貴重な時間くれてありがとう。二人ともよろしくね!」
…………
「――よお。準備はできたかお前らぁ?」
ドスが聞いた声で部室奥に楽器を準備した俺たちをいつもお茶をしている机から眺めていたのは、下澤先輩だ。
お嬢様だという彼女だが、わざとこんな口調にしているらしい。
隣には神崎先輩と湯本先輩も同席している。
真空の誕生日まで時間がない。
だから今日は三年の先輩たちに直接聴いてもらって、早めに改善しようと考えた。
ただ今回、俺たちがはじめて先輩たちに見せる演奏だ。
真空がいない即席バンドではあるが、どう見えるだろうか。
「皆、大丈夫?」
俺がそう声をかけると、それぞれ頷いてくれる。
「大丈夫です。じゃあやります! しずは、お願い」
「じゃあ行くよ!」
これまでとは違うキーボードではないポジション。
見慣れないドラムスティックを持つしずはだったが、その姿は様になっていた。
そうして、しずははスティックを打ち付けてリズムを取った。
俺たちは演奏を始めた。
…………
「うぉおおお……お前らマジか……」
下澤先輩は俺たちの演奏を聴いて、驚きの声を上げた。
誰が見ても、称賛しているようなつぶやき方だった。
しかし――、
「バラバラじゃねーか」
全然褒めていはいなかった。
初めての曲で練習期間はまだほんの一週間程度。うまく行くわけもなかった。
「まあ、バラバラなのは置いておいて……一人一人のレベルは、その歳にしちゃあ凄えと思う」
これは褒め言葉だった。
人差し指を親指で自分の顎を挟みながらこちらに視線を送る下澤先輩。
彼女に褒められるというのは、多分かなり良い評価だ。
少なくとも数回会った下澤先輩は、嘘を言う人物には見えないし、ストレートに言ってくる人だと思っている。
「ベースはともかく、ボーカルとキーボードは特にやべえな。てかボーカルなんてどっかで聴いたことのあるような声に聴こえたが……ともかくやべえ声だ」
「ありがとうございますっ」
下澤先輩がルーシーを褒めると彼女は頭を下げてお礼を言った。
褒められたキーボードの深月は無反応だ。
唯一微妙な評価を下されたベースの冬矢はがっくりとしていた。下澤先輩はベース担当だからよくわかるのだろう。
しずはが褒められなかったのは付け焼き刃のドラムだからだろう。
ただ、想像以上に叩けていたので、俺は十分だとは思った。
「育人、洸平。なんかあるか?」
すると下澤先輩が一緒に聴いていた他の先輩に感想を求めた。
まずは軽音部の部長でありギター担当の神崎先輩。
「俺は演奏に関してはかなり良い線いってると思うな。海凪が言う通り初めての合わせならバラバラなのはしょうがない。でも、一つだけ言うなら、もうちょっと笑顔になったらどうかな?」
「――え?」
まさかの感想だった。
楽器の上手さがどうとか、演奏の質がどうとかを期待したのだが、全く別方面の感想だったからだ。
「多分皆合わせることに必死でそのままこっちまで必死感が伝わってきてるんだよね。音楽ってさ、バンドやってた九藤君ならわかるでしょ? 楽しむこと、楽しませることが重要だと思うんだよね」
「あ……」
当たり前のことを完全に忘れていた。
あの中学の文化祭ライブ。死ぬほど楽しかったし、皆も楽しんでくれた。
必死にはやっていたかもしれないけど、自分たちが楽しんで演奏しているんだって観客に伝わっていたと思う。
「宝条さんの歌にも驚いたよ。ぎゅっと心臓が掴まれるくらいの声……プロ目指せるくらいのね。初めて聴いたから間違っているかもしれないけど、もっと楽しそうに歌えれば、今以上によくなると思う」
「わ、わかりました!」
神崎先輩のアドバイスはかなり的確だった。
特にバンドが初めてのルーシーにとっては、かなり良いアドバイスとなったことだろう。
次はドラム担当の湯本先輩からの感想だ。
「僕から言いたいことはほとんど育人に言われちゃったけど、付け加えるなら、今回って朝比奈さんの為の曲なんだよね? なら、朝比奈さんの為にって思いながら演奏したら良いと思う」
これも目から鱗だった。
俺たちは今、真空のために曲を作って歌って演奏している。
けど、恐らくほとんどのメンバーが演奏することだけにしか集中していなかったと思う。
それは、今の皆の顔を見ればはっきりしていた。
ただ、しずはと深月はそれほど真空と仲が良いとは思っていない。
だから、気持ちを込めて演奏しろなんてことは言えない。その部分はどうしようもないのだ。
しかし、その二人はもうプロの領域に足を踏み入れている。
この中では一番演奏できていたはず。なら、ほんの少しだけ意識を変えれば良い。
「ありがとうございます。先輩たちに見てもらって正解でした。やっぱり先輩たちって凄いですね」
「ははっ。九藤、褒め過ぎだ。私らなんて学生バンドマンの端くれだぜ」
「いえ、意識の違いだけで、演奏って変わるんだなって改めて理解させられました」
「ああ……なんのために音楽やってるのか。それを忘れんなよ」
「わかりました!」
お礼を言いつつ、俺たちはその後も何度か合わせて、今回の曲の完成度を上げていった。
そして、真空はいないが、先輩たちに聞きたいことが他にもあった。
「――あの、下澤先輩。ライブハウスってどうやったら使えるんですかね?」
「ああ? ライブハウス? お前ら箱でライブすんのか」
「まだ考えてる段階ですけどね」
今後の俺たちのバンド活動において、ライブハウスでの演奏を経て文化祭ライブを成功させる。
本番でうまく演奏するためにルーシーや真空のとっては良いとは思ったのだが……。
「――悪い事は言わない。辞めとけ」
「え……」
思いも寄らない答えだった。
今回の下澤先輩の声は本当にドスが利いたような声だった。
「前にも言っただろ。方向性とかモチベとかそういうのが、バンドを空中分解させる」
「はい……」
「なら、考えてみろ。お前らはプロを目指しているかなんて今の段階では決めてないだろ?」
「そうですね」
正直に今の段階ではプロになるとかならないだとか、そんなことを考えるまでにも至っていない。
それは俺たち皆がそうだと思う。
「ライブハウスがどんなところか知ってるか?」
「ライブをする……場所、ですよね」
「そうだ。ただ、客が入る。その客ってのはお金を払って来ているわけだ。新しいバンドを見つけたいやつもいれば、目的のバンドがあって来るやつだっている」
「はい」
「お金のあるなしが出てくるってことは、それはもうプロを目指しているのとほぼ同義なんだよ」
「あ……」
下澤先輩が言っていることは極端かもしれない。でも、言わんとしていることはわかる。
プロを目指しているバンドが多くライブハウスで活動しているし、プロだって利用する時もあるだろう。
「そんな箱にプロを目指していないような連中が来てみろ。いくら良い演奏ができても客もバカじゃねえ……バレるんだよ、こいつらは遊びのバンドなんだってな」
「…………っ」
厳しい言葉に俺もルーシーも、そして冬矢も真剣に聞き入っていた。
一方のしずはと深月は当たり前のような表情をしていた。
そういえば、しずはもルーシーとの会話の中でコンサートをしないか聞かれた時、お金が発生することへの大切さを言っていた気がする。それは今回の話とも通ずる話だろう。
「ただ、ライブハウスでやるのを辞めろって言ってるわけじゃねえ。今のお前らには辞めとけって話だ。今後、本気でプロを目指そうと全員の意思がまとまった時、私は背中を押してやるよ」
「…………はい!」
ちょっと感動してしまった。
なんて強くて、かっこいい人なんだ。芯があるというか……でもこんな下澤先輩でも、プロを目指さずに大学を目指すという。プロは本当に厳しい世界なんだ。
「あー、もう私の発言で空気が重くなったじゃねーか! お前ら一旦休んでろ。私らが盛り上がる曲を一発やってやるからよ」
「えっ! 良いんですか?」
「ああ。育人、洸平、やるぞ」
「演奏するって聞いてないけど?」
「僕も今日は聴くだけって思ってたのに」
「あ〜、文句垂れるな! 良いからやるんだよ! 後輩のためだ!」
下澤先輩は口は悪いが、本当に優しい。
後輩思いで、本当に俺たちのことを思って発言してくれている。
こんな先輩に出会えて、俺たちは本当に恵まれている。
そうして、俺たちは一旦楽器を置いて机を囲んだ。
下澤先輩たちが準備を済ませるとマイクの前に立つ。
「じゃあ行くぞ――『エナドリぶち込んで全て忘れろ!』」
部活動紹介で聴いた『義務教育デストラクション』のようになんだか凄いタイトルの曲だった。
嫌なことがあった時、悩んだ時、エナジードリンクを体にぶち込めば忘れるという内容の歌詞だ。
エナドリはコーヒーのようにカフェインが多量に含まれて覚醒作用がある飲み物。エナドリを飲んだからと言って、問題が解決するわけでもなく、嫌なことを忘れるわけでもない。
けど、それは比喩的な表現で、エナドリのように何かに頼っても良いという意味が込められていた内容だった。
下澤先輩が考えた歌詞は、口が悪かったり、言葉が強かったりするが、なぜか心に響く。多分、彼女の生き方が歌詞や演奏に詰まっているんだ。
それはルーシーが考えた歌詞だって同じだ。
なら、俺たちにも同じような演奏ができるはずだ。
今日は、軽音部の先輩たちの先輩らしいところを感じれた日となった。
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