216話 一足先に北海道へ
冬の匂いが消え、緑の葉っぱが春の陽気を吸い込む。
やっとのことで桃色の桜の花が咲きはじめた四月下旬。
俺は家族と北海道富良野市に来ていた。
「こっちはやっと桜が咲いてきたんだね」
「そうよ。北海道はゴールデンウィークが見頃なんだから」
俺の質問に窓の景色を見ながら答えてくれたのは助手席にいる母。北海道は関東に比べて約一ヶ月桜の開花が遅れるらしい。
一方、鼻歌を歌いながらレンタカーを運転するのは父だ。後部座席には俺と姉が座っていた。
ここ、北海道富良野市は俺の母の実家がある場所。
今回、富良野に来た目的は俺とルーシーとの繋がりを調べること。
アーサーさんの部屋で見つけたラベンダーのサシェ。
ルーシーはあのサシェで一部の記憶を取り戻し、ずっと昔、俺と会っていたことを教えてくれた。
悲しいことに俺は全く覚えていなかった。
ルーシーほど綺麗で可愛くて、包帯していても輝いて見えたの女の子だ。忘れるはずなんてないはずなのに。
夏休みに富良野へ一緒に行く約束はしている。でもラベンダーが咲く前に俺も何か思い出せればと思って富良野市までやってきた。
今回は本当に久しぶりに家族全員の休みや予定が合ったので四人で来ることができた。
ちなみに黒豆柴のノワちゃんは鞠也ちゃんのお家に預けているのでお留守番だ。
「――あ! 今思い出した! 光流ぅ〜、あんたに言いたいことがあったのよ!」
「いきなり何さ、姉ちゃん」
レンタカーで祖父母の家に向かう道中、姉が唐突に声を上げた。
怒ったような困ったような、そんな二つの表情が入り混じったような顔だった。
「アーサーさんよ」
「え、アーサーさん?」
「ルーシーちゃんのお兄さんのこと!」
「知ってるよ。どうしたのさ、いきなり名前出して」
なぜ姉がルーシーの二人の兄の一人であるアーサーさんの名前を出したのかわからずにいると、こちらをキツネのような顔で睨みつけながらその理由を話してくれた。
「あんたが私のことをアーサーさんに教えたんでしょうが!」
「あ、あ〜。そういえばそうだったかも……」
完全に忘れていた。
合わせ練習のためにルーシーの家の地下室に初めて行った日のこと。
ちょうど皆で食事をしている時にアーサーさんが『大学がつまらない』と話したので、俺は同じ大学に姉が通っていると話をしたんだった。
あれから既に二週間は経過しているとは思うが、やはりアーサーさんは姉に接触したということだろうか。
「ほんっと大変だったんだからね! というか今もだし!」
「はは……ごめん。具体的に何があったのさ」
姉から大学で起きた出来事について教えてもらった。
まず、アーサーさんは突然学食に現れて「九藤光流の姉はいるか!」と大声を出したんだとか。
姉はまだ大学に入ったばかりの新一年生。やっと少しずつ大学生活に慣れてきたというのにいきなり注目を浴びてしまったそうだ。
謎ダンスガールズたちも同じ大学らしく、そこで一緒に食事をしていたそうなのだが、いきなり同じテーブルに腰を下ろしてきたとか。
そこから一週間。姉とアーサーさん、謎DGの合計六人で車に乗って遊び回ったそう。ちなみに運転はアーサーさんではなく使用人をつけたらしい。
謎DGのアゲアゲ雰囲気のお陰で場は盛り上がったそうなのだが、その後が問題だったそうだ。
アーサーさんは大学でも有名人で、学年最後となる四年生よりも目立ち、大勢の女子から人気の存在らしい。
しかも自ら女子に声をかける姿を見た人はおらず、婚約者がいるという話も周知の事実だったそうで、それ故に初めて声をかけられた人物として変に目立ってしまったそう。
いじめられているわけではないが、校内を歩いているとヒソヒソ声で「あの子がアーサーさんに声をかけられた子らしいよ」などと言われるようになったそう。
謎DGとは一緒に遊びはしたが実際にアーサーさんが名指ししたのは姉。そのせいか、五人の中でも一番目立ってしまったのが姉だったので、変な噂が広がってしまったとか。
その変な噂というのが――、
「浮気相手だとか、ほんっと勘弁してほしいよね……」
「うわぁ、それは大変だったね……」
姉よ、マジですまん。
アーサーさんには俺からメッセージでも送っておくから少しの間耐えてくれ。
「ただね、あの人も色々あるらしくて。その……婚約者のことでさ」
「そうなんだ。ルーシーからもその話は聞いたことないな」
「ルーシーちゃんはずっとアメリカにいたし、わざわざ婚約者の話をする必要もないってことらしいよ」
婚約者がいるという話だけは知っているが、その相手は誰なのかは知らないということなのか。
でも、将来の義姉妹になる可能性がある相手だ。ルーシーもいつかは知らなくてはいけない時がくるだろう。
「まあ、いわゆる政略結婚ってやつらしくて。相手の企業もそれなりに大きいからこの結婚が成立したら宝条家としてもメリットしかないんだって」
うーん。政略結婚か。あの両親がそういうことを勧めるイメージはあまりないんだけど、本当に無理やりの婚約なのだろうか。
「でも光流もわかってると思うけど、アーサーさんってああいう人じゃん? ぶっ飛んでるというか、なんか面白いことが好きっていうか。だから、婚約者にも何かそういう部分があればって思ってるけど…………ってことらしい」
つまり、アーサーさんは婚約者には興味が持てないということだろうか。
政略結婚という結婚の仕方がまだこの日本に残っていることにも驚きだが、いきなりそんなことを決められても互いに困るだろう。
ただ、この後の姉の話を聞くと、相手の女性はアーサーさんと結婚することには大賛成でノリノリらしい。
美人で可愛くて真面目で……でもアーサーさんにとってはまだそういう対象としては見れないそうだ。
「だからね、私が言ってやったんだ。相手が面白くないのはあんたが面白くないから。なら、相手が面白いと思える人に変えられるよう自分も何か努力してみろってね! あんな話が出るくらいだもん。絶対そんなことしてないよ」
「姉ちゃんよく言えたね。まあ姉ちゃんも大概だもんね……」
記憶に新しいのは、文化祭前のリハーサルで失敗して元気がなかった時、皆が家に来てくれたあとに姉が全員とハグさせるという蛮行をしたこと。結果的には良かったけど、普通に頭がおかしい。
「そしたらさ、アーサーさんが『今まで自分は面白いやつだと思ってた』って言ったんだ」
いや、アーサーさんは面白い人だろ。アーサーさん、姉の言葉に惑わされちゃだめですよ……。
しかもかなり気も遣える人だ。俺とルーシーを影で繋いでくれていたのもアーサーさんだったし。
「だから、婚約者のことに関しても少しは態度変わるんじゃない? 今まで相手と会うことがあっても無視したり喋らなかったりとかクズみたいなことしてたらしいし」
「勝手に婚約者を決められたことには同情するけど、最低限の態度……いや、そんなこと俺に言う権利はないな」
「まぁね――でも光流。あんたもそこに片足突っ込んでるんだからね。ルーシーちゃんと将来どうなりたいのかまだ考えてないと思うけど、あの家とこれから付き合っていくなら、面倒なことが絶対に起きるよ」
それは俺も考えたことがある。
身分が違いすぎるが故に何かしらの障害は出てくるだろう。影で色々と言われることだってあるかもしれない。
「あ、見えてきたぞ〜」
姉とそんな会話をしているうちに祖父母の家が見えてきた。
ここまでなかなかの長旅だった。
飛行機に乗り、電車を乗り継ぎ、レンタカーを走らせ山道を通ってやっと祖父母の家へと到着。
父の言葉通り、住宅街の一角にある一軒家が見えてくる。
その建物はどこか懐かしいような、落ち着くようなそんな雰囲気を感じた。
「やっとか〜! 疲れた〜」
「二人ともお疲れ様。今日の夜はジンギスカンよ。北海道のジンギスカンは本当に美味しいんだから楽しみにしていなさい」
「ほんと! めっちゃ楽しみになってきた!」
夕食がジンギスカンと聞いてテンションが上がった。
かなり昔には食べたことがあるが、最近食べた記憶がない。どんな味だったか忘れたが、ラム肉に臭みがあるかないかでかなり味が変わってくると母から聞いたことがある。
そうして、レンタカーを降りた俺たちは祖父母の家のチャイムを鳴らした。
◇ ◇ ◇
――光流が北海道へ向かう少し前のこと。
「――え、社交界?」
ゴールデンウィーク直前。
家族とご飯を食べていた時、父から久しぶりに社交界に参加してみないかという話を受けた。
光流は私の記憶のために北海道へ行くらしい。
夏に私と北海道に行く前に一度顔を出してみるとのことだ。
連休の始めの方に数日かけて滞在するそうで、その間光流は東京にはいない。
父に言われた社交界の日はちょうど光流が東京にいない期間だった。
「ああ、良い機会だと思ってな。ルーシーが大丈夫ならでいい。日頃お世話になっている関連企業のお偉いさんたちが集まる交流会だ。その会社の後継者やまだ小さい子供たちを連れてくる人もいるぞ」
父が私のことを思って参加を勧めてくれているとわかった。
ということは、もしかしてA組のあの子たちも参加したりするだろうか。
光流も私のために北海道まで行ってくれている。なら、私も何かすべきではないだろうか。
倉菱さんの話だと私は小さい頃こういった社交界にも顔を出していたらしい。
なら、自分の記憶を取り戻すきっかけの一つになるかもしれない。
「その社交界、倉菱さんって人も参加したりする?」
「ん、倉菱グループ……玲亜さんのことを言っているのか?」
「あれ、お父さん知ってるんだ」
「それは……まぁな。参加する予定はなかったと思うがルーシーが会いたいというなら連絡をとってみようか?」
「あ、うん! お願い!」
父は倉菱さんのことを知っていた。
ただ、何か含みを持たせるような言い方だったような気がする。
でもこれで私も光流と同じように記憶を探す行動をとれる。
あの子は私と仲良くしていたらしい。光流よりも前に友達になっていたらしい。
でも、それが本当なら思い出してみたい。
「今、玲亜さんは今ルーシーと同学年で秋皇に通ってるよ」
「そうだったのか。だから接点があったんだな」
「…………」
ジュードが私の代わりに説明してくれた。
父もそのことは知らなかったようだ。
「あ! 真空! 真空も一緒に参加しちゃだめ?」
「えっ、私!? そういう格式が髙そうな場所に私はちょっと……どうなんだろう」
「あ……ごめん。真空が行きたいってわけじゃないもんね。でも私一人だと寂しくて……」
いつも一緒に行動している真空。真空がいてくれたら心強いのに。
でも、真空だって嫌なことはある。いつも私を肯定してくれて味方になってくれていたから、勘違いしてしまっていた。
「朝比奈さんが参加する分には問題ない。アーサーもジュードも参加はするが、女性がルーシー一人では確かに寂しいだろう。私としても朝比奈さんが一緒にいてくれたら心強い」
「あ……でも……どうしよう……」
父も私のことを心配してか、そんなことを言ってくれた。
でもそれもこちらの勝手なお願い。真空が承諾する理由にはならない。
「そうねぇ。真空ちゃんならその美貌をもっと引き出してあげて、素敵なドレスを着れば誰も文句なんてつけないと思うわ」
「ド、ドレスですかっ!?」
「ええ、私ならそこら辺の企業の娘さんよりも何倍も綺麗にして見せる自信があるわ」
「そ、それはそうとドレス着れるんですか!?」
あれ。真空が食いついている。
これは行けるかもしれない。
「真空っ! 絶対真空ドレス似合うよ! うちですっごい素敵なドレスを選んで用意してあげるから、一緒に行こうっ!?」
「あ、あ……ドレス……ドレス……。素敵なドレスを着せてもらえるなら……!」
ふふん。真空も現金な子だ。
なら、絶対の絶対に可愛く綺麗に会場で一番素敵なドレスを着てもらうんだから。
「お母さん!」
「わかってる。でももう時間はないから明日すぐにドレスを見繕いに行きましょう」
「お、お願いします!」
結局、社交界には真空も一緒に参加することになった。
あ、せっかくドレスを着るなら、私も素敵なもの着て光流に写真送ってあげようかな。
光流に可愛いって言ってもらいたいもん。
ただ、一つだけ気になったことがあった。
いつもうるさいアーサーが今だけは終始無言だったことだ。
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