176話 中学最後のバレンタイン

 休みが明けて、再び学校が始まった。


 俺たち三年生が残すイベントとしては、入試の合格発表と卒業式のみ。

 やることはほとんどなかった。


 卒業式までは通常と同じ通りに授業をしていく予定とのことだが、朝、学校に行くと教室の中がどこかザワザワした雰囲気になっていた。


 皆受験を終えて浮ついた気持ちなのかもしれない。

 それは俺も同じだった。


 しかし、この異様な雰囲気はすぐに受験とは関係がないと気づくことになる。


 

「千彩都、おはよう」

「おはよー光流」


 いつも通りに彼女を挨拶を交わす。

 試験後も試験前と変わらない様子だった。


 千彩都は勉強会メンバーではなく、いつも開渡と一緒に勉強していたために、どのくらい勉強していたのかはよくわかっていない。

 ただ、二人共しずはより成績が良いというのは知っていた。


「千彩都はどうだった?」

「ぼちぼちかな。それなりにはできたと思う」


 メッセージでも開渡と千彩都には入試の手応えを聞いていたのだが、直接も聞いてみたかった。


「光流は聞くまでもないね。どうせかなりできたんでしょ」

「まぁ全部埋めたけどさ」

「そもそも全部埋める事自体おかしいからね。全部の問題をスムーズに回答できないと制限時間きちゃうし」


 千彩都の言う通りだった。特に計算問題は一つの問題に時間をかけてしまうと全ての問題を解く時間はなかった。

 俺の場合は、躓く箇所は基本的にはなかったので、全ての問題を解くことができたが、気づかない小さなミスはあったかもしれない。


 そんな会話をしていると千彩都がカバンをごそごそしはじめ、そこから小さな箱を取り出した。


「そういやこれ」

「あ……そっか今日は――」


 バレンタインチョコだった。


 入試のことしか考えていなかったために完全に頭から抜けていたイベント。

 今日は二月十四日だった。


「ありがたくもらうね」

「お返し期待してるから」


 そういえば、去年は千彩都からはチョコをもらわなかった。

 そこで三年生になり同じクラスになった時にお返しに手作りチョコを渡した話をしたら、私も渡せば良かったと言われていた。


「それを目的にしないでくれ」

「私のだって一応手作りなんだからいいじゃーん」


 そう言われてしまうと、今年も手作りチョコを作らなくてはいけなくなるじゃないか。

 去年は姉や母に手伝ってもらったとはいえ、慣れない手作り作業は大変だった。


「普通にチョコを買うよりは安く済むから手作りにしただけなんだけど」

「もらった人全員の分買うわけにはいかないしね。十円くらいのチョコなら別だけど」


 俺にはそんな小さなチョコをお返しする度胸はなかった。

 最低でも同じくらいの量を返したかった。


「あ、しーちゃんきた。今年のチョコはどんなんだろーね?」

「あぁ……去年は酷かった」


 去年しずはからもらったのは、ロシアンルーレットの生チョコ。

 俺に告白を断られた腹いせで超絶苦いチョコを混ぜていたのかわからないが、食べた瞬間しずはのほくそ笑んだ表情が浮かんだものだ。

 姉を巻き込んだおかげで、一つ当たりを減らせたのは良かったけど。


「二人ともおはよーっ」


 しずはが自分の席にカバンを置くなり、そこから紙袋を持って俺たちの席に近くまでやってきた。


 彼女の動きに合わせて、クラスの男子たちの目が血走る。

 しずはにチョコをもらえないかと鼻息を荒くしているのだ。


「あ、ちーちゃんはもうあげたんだ」


 俺が千彩都に渡されたチョコを持っていたので、しずはがそれを見て言った。


「うん。今日の初チョコ」

「初ぅ!? ……もっと早くくればよかった」

「しーちゃんごめんね〜」


 初というキーワードに反応したしずは。千彩都は謝る気のない謝罪をした。


「じゃあ二番目で我慢してやるか」


 チョコを渡すような言葉ではないが、持ってきていた紙袋の中から包装された箱を取り出し、俺に渡してくれた。


「ありがとう……ロシアン、じゃないよね?」

「当たり前でしょ。これくらいはルーシーに負けてらんないし」

「あー。そもそもアメリカだし、送ってこないんじゃないかな?」

「海外でも冷凍での配送できるでしょ。でも一度冷凍したら食感とか味変わっちゃうんだよな〜これは勝ったかな」


 ルーシーからチョコをもらえるとはまだわかっていないのに、勝利宣言をするしずは。

 今回ばかりはガチで美味しいチョコを作ってくれたのだろうか。

 夜に食べるのが楽しみだ。


「今回は同じクラスだしちーちゃんにもあげる」

「ほんと! 嬉しい!」


 目の色を変えて喜ぶ千彩都。

 俺のとは箱が違った。


「やっぱり光流とは中身が違うようだね」

「そりゃそうでしょ。本命だし」

「教室では口を謹んでくれ〜っ!!」


 心臓が持たない。

 誰も俺たちの会話は聞こえてないよな?


 もう卒業だからと俺の身が危険になることを公に言わないでほしい。

 クラスの男子が怖いよ。


「それはそうと光流。今年はちゃんと手作りのお返し期待してるから」

「しずはもかよ。さっき千彩都にも言われたよ」

「去年は一応余ってたやつもらったけど、余ってないやつを最初からもらいたい」

「受験も終わったし時間もあるからできないことはないけどさ」


 本腰を入れて手作りをしなければいけないかもしれない。

 去年はクッキーだったが、同じくクッキーで良いだろうか。それとも他の……?


「おい! 九藤が藤間さんからチョコもらったぞ!」

「お前知らないのか? あいつ去年ももらってたんだぞ」

「小学校からの友達ってのは周知のことだろ。友チョコってやつだよ多分」


 やはりというか男子からの視線が痛くなってきた。

 ただ、今年はさらに良くないことが起きる気がしていた。


「はいっ、九藤くん。あげる〜」


 すると、クラスメイトの女子の一人が俺に包装された箱を渡してくれた。

 彼女は三年生になって、初めて同じクラスになった女子だ。


「あっ、ありがとう」

「去年のこと二年の時に九藤くんと同じクラスだった友達から聞いたよ〜。チョコ渡したら手作りでお返ししてくれるんでしょー?」


 噂が広がっていた。

 しかも一年も経過しているのに、だ。


「去年はそうしたけど、今年はどうするか決めていないというか……」

「そうなんだ! でも期待してるからー!」

「あ…………」


 その女子はそう言い放つとすぐに自分の席へと戻っていった。

 期待してると言われたら俺の性格上断れないのだが……。


「光流はバンド効果もあるしね。認知度はえらいことになってるだろうね」

「え、どうしよう」


 千彩都にそう説明されると、確かにとは思ってしまう。

 チョコをもらえることは嬉しいのだが、もしこのあとたくさんもらうことになったとしたら、全員分を手作りで返すだなんて現実的に難しい。


「バーカ」


 微笑みながら俺に言葉を飛ばすしずは。

 この言葉を最初に聞いたのは、最初にしずはのピアノコンクールに行った時だったろうか。


 それから何度かこの言葉を聞いている。

 だからわかる。本気でそう思って言っているわけではなく、愛情がこもったバーカだ。


「ほら、次くるよ」


 すると、また一人こちらにクラスの女子がやってきた。


「義理だけどあげるね〜! お返し期待してるー!」

「あ、ありがとう……」


 義理とは言いつつもちゃんと手作りだ。

 今の女子からもらったチョコは箱ではなく透明な袋から中身が見えた。義理とは言っていたが、明らかな手作りだった。


 これは去年も一緒だった。

 もらった全員が手作りのチョコだった。だから俺も簡単なもので返そうとは思わなかったのだ。

 気軽にぱっと渡されたものではあるのだが、俺はこういう手作りとか、頑張って家で作ったんだろうなと考えるとどうしても蔑ろにできないのだ。


「頑張るか……」


 諦め半分で今年も手作りチョコでお返しすることに決めた。

 でも、こういう気持ちで作るのは返す相手に申し訳ない。なら、チョコだけでも去年よりは良いものを作ろうと思った。


 このあと、他のクラスの女子からもチョコをいくつかもらうこととなった。

 俺のカバンや机の中にはどうしても入り切らなかったために、しずはが持ってきていた紙袋をもらってその中に入れた。




 ◇ ◇ ◇




 昼休み。


 それを知らせるチャイムが鳴った途端、教室の外が騒がしくなった。


 ご飯そっちのけでこの教室まできたのか、謎の行列ができていた。

 CDにサインをした時のような行列だ。


「九藤、藤間、お前らにお客さんだぞ〜」


 クラスの男子生徒から、そんな声が届いた。


「あ〜、今回は私もかぁ」

「しずはだって、バンドでもっと信者が増えたでしょ」

「宗教じゃないんだから」


 そんな会話をしながら、二人で教室の外へと向かった。


「はい、ひかる!」

「しずは先輩っ! どうぞ!!」

「九藤先輩、いつもお疲れ様です」


 まずは鞠也ちゃんと奏ちゃん、そして志波さんだった。

 それぞれチョコを渡してくれた。


 どのチョコが入った箱も可愛い包装がされており、それだけで美味しそうに見える。


「じゃあ私からも」

「えっ!? しずは先輩の!?」


 しずはは紙袋から取り出していたチョコを手に持っており、それを奏ちゃんへと渡した。


「ありがとうございますっ! 家に飾っておきます!」

「生ものなんだから食べてね」


 奏ちゃんはこの学校一のしずはファンだ。彼女以上にしずはを神格化している人はいないだろう。

 文化祭ライブでは見たことのないくらい発狂していたのが記憶に新しい。


「なんかすげーな。こんなに人いるのかよ」

「光流も人気者かぁ」

「ライブ成功させたんだもん。こうなるよ」


 そう言ってくれたのは、理沙、朱利、理帆の三人。

 彼女たちの手にもチョコが入った箱があった。


 去年は同じクラスだったのもありチョコをくれたが、三年になった今、クラスをまたいでやってきてくれたのは嬉しい。

 もう仲の良い友達になっていた。


「ありがとう」


 ありがたく受け取らせてもらった。


「しずはにもはい。友チョコな」


 理沙はそう言ってしずはにもチョコを渡した。


「はい、私からも」

「えっ、くれんの!?」


 しずはは理沙たちの分も作っていたようだった。

 遊んだり勉強会を通してある程度仲良くなったと思って良いのだろうか。


「九藤先輩! 来ましたよ!」

「なんかとんでもないことになってますね〜」

「モテモテですねっ」


 次に顔を出したのは、音源が欲しいと言ったことでCDを作るきっかけになった三人。

 二年の水野春瑠、綿矢陽真莉、森川伊世の三人だ。


「春瑠ちゃん、陽真莉ちゃん、伊世ちゃん。ありがとう」

「いえいえっ。高校でもライブ楽しみにしてますからね!」

「うん。そうなったらよろしくね」


 最初にバンドのファンと言ってくれた春瑠ちゃん。

 チョコもくれるあたり、今も楽しみにしてくれているようだ。


 ちなみにこのあとしずはには、頭を垂れて三人はチョコを渡していった。

 頭を下げるほど直視できないらしい。


「あ、あのっ。九藤先輩、受験お疲れ様でした!」

「一応渡しにきましたよ」


 そう言ってくれたのは、ライブ後に連絡先を聞いてきた一年生の双葉澄実と千波優季。


 双葉さんが俺に好意があるのは最初に会話した時でわかっていた。今も少し顔が赤い。

 一方の千波さんは彼女の付き添いだ。どちらかと言えば話しやすいのは千波さん。


「二人共ありがとう」


 ありがたくチョコを受け取らせてもらった。


 チョコを渡したあとの帰り際、千波さんだけが俺の下に戻ってきて、軽く耳打ちした。


「九藤先輩って手作りでお返しくれるんですよね? 楽しみにしてますよ……澄実ちゃんがねっ」


 そうイタズラな笑みを見せて千波さんは去っていった。


「どこで聞いたんだよ……」


 このような感じで、俺としずはは次々とチョコを受け取っていった。

 昼休みだというのに、二十分ほどかけてチョコの手渡しが行われ、弁当を食べる時間がほとんどなくなった。




 …………




「おい! 九藤どういうことだよ! お前だけそんなぁ……」

「許されない……これは許されないぞ!」

「一つくらい分けてもらっても良いよなぁ!?」


 クラスメイトの男子が、俺の机の上の山盛りになったチョコを見て、悲痛の声を漏らす。


「ええと、もらった相手に申し訳ないから分けるとかは……」


 そんなことチョコを渡してくれた相手の気持ちを考えるとできるわけがない。

 俺以外の人に渡したわけではないのに。


「あとしずはだって、あんなにチョコもらってるじゃん。今日はバレンタインなのに」


 教室の中央あたりの席にいるしずはの机の上にも俺と同じく山盛りのチョコが乗せられていた。


「藤間さんは女子だろ!」

「そうだそうだ!」


 彼らの怒りをうまくいなせなかったようだ。


「あんたらね、チョコもらいたいならバンドでもやれば?」

「くっ……」


 前の席の千彩都がフォローを入れてくれる。


「俺だって、部活頑張ってきたのに……」

「文化祭だと多くの人の目に映るからね。部活なんてごく一部だし」


 確かに学校の生徒が自分の入っていない部活の大会を観に行く人なんて、本当に数が少ないだろう。

 甲子園に出て学校総出で応援しにいくくらい活躍していれば別かもしれないけど。


「俺にチョコくれれば、お返しで手作りチョコあげたかもしれないのに」

「「「男子にチョコもらって誰が嬉しいんだよ!!」」」


 彼らの揃った返事。

 それもそうか。


 卒業前なのに、さらに男子から恨みを買ってしまった。



 ちなみに深月からは、放課後の帰り際さらっと渡された。

 ちゃんと冬矢にも渡したのだろうか。




 ◇ ◇ ◇




 紙袋三つ分。

 余っていた袋をクラスメイトの女子からもらい、なんとか家まで運ぶことができた。


 去年より三倍ほど多くもらってしまった。

 バンドの力は絶大だ。


 バンドをやっていなければもらっても数人だっただろう。

 全員分を消費するまで何日かかるのか想像もつかない。

 賞味期限は大丈夫だろうか?


 そんな心配もしながら帰宅すると、母と姉がチョコを渡してくれた。


「姉ちゃん、勉強は大丈夫なの?」

「今回は簡単なやつだし、ほとんどお母さんにやってもらったから。少しは息抜き必要でしょ」

「そうだね。いつもありがとう」


 姉からもらったのは、言われた通りシンプルなチョコだった。

 チョコが入ったクッキーという方が正しいだろうか。


「光流、これもどうぞ」


 母から白い紙袋を渡される。

 俺はチョコだなと思いつつも、中から二つの包装された箱を取り出した。


 それぞれメッセージカードのようなものが付いており、そこには名前が書かれていた。


「ルーシーと真空……」


 アメリカからの贈り物だった。

 ルーシーが言っていたご褒美とはこのことだったようだ。


「大事に食べなさい……って言ってもそれだけチョコもらったら、どんなに凄いチョコ食べても舌がおかしくなりそうね」

「しょうがないけど、大事なチョコから優先して食べるよ」


 とりあえず、ルーシーやしずはたちのチョコから食べることに決めた。




 夕食後、俺はまず五つの箱を自分の部屋へと運んだ。


 ルーシー、真空、しずは、深月、千彩都のものだ。

 そして、ルーシーの箱から開けてみることにした。


 黒い箱に巻いてあった赤いリボンを外し、ゆっくりと蓋を外した。


 ついにルーシーが作ってくれたチョコが露わになる。



「――ゴールデンっ!?」



 箱の中にどっしりと鎮座していた大きめの五つのチョコ。

 四角、球体、星、ハート、楕円。


 そして、一際目を引いたのは上部が金色にコーティングされた星型のチョコだった。


 そのコーティングはおそらく金箔。その上には赤や黒のドライフルーツぽい小さな粒が乗せてあり、高級さとお洒落さを兼ね備えていた。


 添えてあったメッセージを確認してみると、『私と光流、五年分の想いがこもったチョコ。一個一年だと思って食べてね♡』と書かれていた。


 一個一年は、なかなかの重さだ。でもそれくらいの重さなら全部受け止める。


 俺は金色のチョコレートを手に持って口に入れた。






 ―▽―▽―▽―


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