170話 思い出したい
一月二日。
私は真空と共に、祖父母の家に来ていた。
日本に戻ってきた日に実家で再会したのだが、あのあと腰を悪くしてあまり動けないとか。
だから今回は私たちの方からこの家に来ることになった。
祖母は、私がアメリカに戻る前に渡したいものがあるということだった。
「ルーシー、真空ちゃん。よく来たね」
「ゆっくりしていってくれ」
私たちが家の中に入ると祖母と祖父がそれぞれリビングの一人掛けのソファに座りながら優しく出迎えてくれた。
祖母のソファのすぐ横には杖が立てかけられていて、歩くのに必要だと思われた。
ちなみに祖母の家は、高級住宅街にある二階建ての一軒家だ。
ただ、私の実家よりもかなり小さくて、光流の家と比べると二倍くらいの大きさ。
年齢が年齢なので、広い家だと移動距離も長くなり、いちいち大変なために小さい家の方が住みやすいらしい。
一応、食事や掃除をするためのお手伝いさんも常駐している。
そして、それ以外の人物でよくこの家に顔を出すのが、私の父の妹である伊須実おばさんだ。
「あぁ……ルーシー……あなた……っ」
自分の子供のように伊須実おばさんは私を抱き締めてくれた。
彼女と再会するのも五年振りだった。つまり、病気になって以降、素顔を見せたのはこれが初めてだ。
伊須実おばさんは既婚者だ。今は八歳ほどになる娘が一人いる。
小さい頃に私とは会ったことはあるらしいが、小学生の時の暗黒時代だったのであまり印象はない。
彼女は子育てもあるので頻繁には来れないが、祖母の体のこともあり、最近はよくこの家に来ているらしい。
「お久しぶりです……」
「なによ、敬語なんて使っちゃって」
「久しぶりなので、どんな言葉遣いで話していたかわからなくて……」
久しぶりに会う人との会話って難しい。
「今からルーシーは敬語禁止ね。普通に話しましょう」
「わかり……わかった」
目に涙を溜めながら私の肩を掴んでまっすぐに顔を見つめる。
そんな伊須実おばさんはまだ四十歳手前。父の妹ともあって身長が高い。
「それにしてもこんなに大きくなっちゃって……」
「伊須実おばさんの方がまだ大きいけどね」
私の身長を確かめるように伊須実おばさんが頭に手を置く。
その手は以前より小さく感じた。それもそうだ。私が大きくなったんだから。
私は百六十五センチだが、伊須実おばさんは光流と同じくらい。百七十センチほどあるように見えた。
胸までのロングヘアは真空と同じで、糸のように細く綺麗な髪が窓から差し込む陽の光に当たって艶めく。しっかりと髪をといたり丁寧にケアをしているとわかる髪だ。
現在リビングには、おばあちゃん、おじいちゃん、伊須実おばさん。そして私と真空がいる。
その中でお手伝いさんが、お茶とお菓子を用意するためにキッチンとリビングを行き来していた。
「お友達もできたのね……」
「うん。友達の朝比奈真空。アメリカでできたんだ」
「初めまして、朝比奈真空です。来年から宝条家でお世話になる予定です。よろしくお願いします」
私に紹介された真空は、伊須実おばさんに対して綺麗なお辞儀をした。
頭を下げたことでたらっと地面に向けて下がる絹のような黒髪は女優やモデル顔負けの美しさだ。
「丁寧にありがとう。これからもルーシーと仲良くしてあげてね」
「はい。もちろんです」
「じゃあとりあえず座りましょうか」
…………
テーブルの上には、イギリス産の紅茶が入ったティーカップにフランスの高級ブランドのクッキー。
私たちは五人でお茶を飲み始めた。
「おばあちゃん、腰悪くしたんだよね? 大丈夫なの?」
シナモン香る丸いクッキーを一枚手に取りながら、祖母の体の心配をした。
「しばらくはうまく歩けないねぇ」
「そっか。無理しないでね」
「ありがとう」
傍で祖母を見ている感じ、なんら問題なさそうに見える。
ただ、立ったり歩いたりすると腰が痛くなるのだろう。
「伊須実、あれ持ってきてもらえるかい?」
「わかったわ」
祖母が伊須実おばさんに何かを持ってくるように伝える。
私へ渡したいと言っていたものだろうか。
数分後、伊須実おばさんが小さな白い紙袋を持ってくるとそのままテーブルの上に置いた。
「ルーシー、私からのプレゼントよ。持って帰るのも良いし、こっちの家に置いておくのも良いし、好きにしなさい?」
「おばあちゃん、ありがとう……」
私は紙袋を自分の目の前へと引き寄せて、付いていたテープを剥がして中身を開けた。
そうして中に入っていた物を手にとって自分の目の前に置くと、それは見覚えがあるようなフォルムだった。
「……サシェ?」
ドクンと心臓が高鳴った。
その理由は明白。少し前に光流の家で見たからだ。
「サシェってなんだっけ?」
すると横に座っていた真空が珍しいものを見るようにして、サシェを覗き込んでいた。
「簡単に言えば匂い袋かな。ドライフラワーとかを包んだりするらしいよ」
「そうなんだ。女の子が好きそうなアイテムだね」
真空の言う通りだ。確かにこれはどちらかと言えば女の子が好きそうなもの。
男の子があまり持っているとは考えられないものだった。
私はベージュでリネン素材のサシェを手に持って匂いを嗅いでみた。
「良い匂い……」
サシェからした匂いは、オレンジ……もといベルガモットのような柑橘系の匂いだった。
「良かったわ……」
祖母がほっとした表情で胸をなでおろしていた。
ただ、私は一つ期待をしていた。
それは、光流の家で起きた頭痛のこと。あの瞬間、何か昔の記憶を垣間見たような気がした。
だから、今回も似たようなことが起きるかもしれないと思ったのだが、その反応はなかった。
「おばあちゃん。こんなこと聞くの変かもしれないけど、サシェにしてくれた理由ってもしかしてあったりする?」
数あるものの中から選んだサシェ。
何かある気がして仕方なかった。
「…………」
しかし、私がそう質問すると、祖母は少し困ったような表情をしてしまっていた。
「あ、言いにくいことなら全然大丈夫だけど……」
すると祖母ではなく、ずっと静かに私たちの様子を見ていた祖父が一言。
「加津江、良いんじゃないか? 言っても。ルーシーはもう元気じゃないか」
「……そうね。もう、大丈夫かしら」
二人は何かを確認するようにして、頷き合った。
なんのことだろう、と私は考えたもののすぐには思いつかなかった。
そこで、話しにくそうにしていた祖母ではなく、伊須実おばさんが話しはじめた。
「ルーシー。あなた、五歳より前の記憶がはっきりしていないのよね?」
「あ……うん」
そう言われた時、ハッとした。
だから私に気を遣っていたのだと。
「あなたが記憶を思い出すことは良いことなのか悪いことなのかわからない。でも、五歳より前の時のあなたを見てきた私たちとしては、思い出しても大丈夫だと思ってるの。だから、こうやってあなたの記憶と関係ありそうなものをプレゼントしようと思ったのよ」
「そうだったんだ……」
それは嬉しい話だった。両親も兄たちも五歳より前の話はあまりしない。ふんわりとするだけで、詳細なことは何一つわからなかった。
多分それは、私が聞かなかったから。だから皆私に遠慮して、五歳より前の話をしようとはしなかったのだ。
でも、今の元気な私になって思うことは、五歳より前の記憶を知りたい、だ。
だから、伊須実おばさんは祖父母の心遣いは嬉しかった。
ではこのサシェは私の記憶と何が関係あるのか?
それを知りたかった。
「サシェはね、あなたが三歳か四歳くらいだったかしら。本当に昔で、私もほとんど覚えていないのだけど、あなたが大事にしていたと記憶してるわ。ただ、どこで買ったものなのか、もらったものなのかは覚えていなくて。サシェということだけはぼんやりと頭に残っててね……」
祖母が自分の記憶を呼び起こして、私に関係あると思いサシェを渡してくれた。
それがわかっただけで嬉しかった。
「ありがとう。十分嬉しいよ。サシェは私にとって、大事なものだったんだね。まだ思い出せないけど、手がかりはこれってわかった」
ただ、ここで一つ疑問が持ち上がる。
大事にしていたなら、私が三歳か四歳の時に持っていたはずのサシェは今どこにあるのか?
アメリカの家にはどう考えたってあるわけがない。私の意識がないうちにわざわざ選んで持っていってくれていたなら、気づく場所にあるはずだから。
あるとすれば、実家のどこか。
もう明日、アメリカに戻ってしまうが、帰るまでにやることができた。
「一つだけヒントがあるとしたら、私たちとルーシーは勇務やオリヴィアさんが着いてきていない状態で何度か旅行したことがあるのよ」
「じゃあ、東京とは関係ない場所ってこともあるのね」
「旅行先は絞れないけど、旅行はしていたわ」
嬉しいヒントだった。ただ、同時に悲しくもなった。
旅行は本来楽しいもののはず。なのに、私は旅行した記憶が一切なかった。ぼんやりではなく、全く思い当たる節がなかった。
思い出したい。大事なものもそうだし、大事な思い出もだ。
今日、ここに来て良かった。私の過去を取り戻す動機を作ってくれた。
「ありがとう。何か思い出したら、また話しにくるからね」
「じゃあ、今日はアメリカでのルーシーのお話を聞こうかしら」
そうして、このあと夕方まで、アメリカでの生活を祖父母と伊須実おばさんに話すことになった。
真空もいたので、私のドジだった部分も暴露され少し恥ずかしかったが、その話の流れから教えてもらったのだが、私は小さい頃も少しドジなところはあったらしい。
新たな発見もありながら、私たちは祖父母の家をあとにした。
◇ ◇ ◇
「ルーシーの五歳より前のこと、すっごい気になる」
帰りの車の中で、真空がお土産でもらった焼き菓子を一つ口に入れながら言う。
「私も知りたい。多分、大事なことがいくつかある気がする。思い出した方が良いことが絶対ある気がするの」
「うん。何かわかったことがあったら、一緒に考えるから言ってね」
そう会話しながら、真空からお土産の袋を奪う。「夜ご飯食べられなくなるよ」と諭した。
真空は胃袋大きいから大丈夫だと話したが、私も食べたくなるので返さなかった。
「実はさ、光流の家に行った時なんだけど、部屋にラベンダーの香りがするサシェが置いてあったんだ」
「……え?」
私はあの時、もしかして……と少しだけ思ったが、確証がなさすぎた。
しかし、今日祖母からサシェをもらったことで何かが繋がったようにも感じていた。
「少し頭痛がして、ベッドに倒れ込んじゃったんだけど、その時に昔の記憶みたいなのが見えた気がするの」
「それ聞いてない話だ!」
「うん、まだ情報が少なかったから。それで今日サシェもらったから、何か関係あるのかなって思って」
「でも、その様子だと、今日のサシェでは何も思い出さなかったってことだよね?」
「そうなの。だから何がどうなのかまだわからなくて」
真空なら何かに気づくだろうか。
私には考えが及ばないなにかに。
「サシェで反応しなかったってことは、ラベンダー……今日はベルガモット……。ラベンダーが鍵なのかも」
真空がぶつぶつ言いながら最後には考えを伝えてくれた。
「そっか。サシェに反応したんじゃなくて、私はラベンダーに反応したってことなのか」
「そうかもしれないね」
「なら、アメリカ戻った時に、ラベンダーの匂いがする何かで実験してみようかな」
「いいねっ。でも何かあったら困るから、受験が終わってからにしなね」
「あ、そっか。頭痛がしたくらいだもんね」
ひとまず、この件は受験が終わるまでは触れないことにした。
今日帰ってから家の中に私が持っていたはずのサシェを探そうと思ったが、それも辞めておいた方が良いだろう。
明日はついにアメリカに戻る。
そして、光流が空港まで見送りに来てくれるとのことだ。嬉しい。
私は光流としかやりとりはしていないが、しずはは来てくれるだろうか。
空港まで行くにも時間がかかる。わざわざそんな時間がかかるところまで足を運ぶのは、なかなか想像できなかった。
友達にはなれなかったけど、彼女とは良い関係になれるような気がしている。
でも、光流の取り合いになるだろう。
そうなった時、私は冷静でいられるだろうか。
私は少しおかしい。普通私の立場なら光流のことが好きな女子に塩を送るような真似するはずがない。
でも、私はしずはに発破をかけて、抑えていたであろう気持ちを開放させてしまった。
もし、何かの手違いで、私と光流が結ばれなかったら。
その時は光流とはしずはが結ばれてほしい。
多分、彼女なら私は許してしまうだろう。
それくらい、言葉にできない何かを彼女から感じていた。
でも、光流は渡さないよ……しずは。
車の窓から陽が落ちる景色を眺めながら、真空の肩に寄り掛かる。
それを嫌とはせず、真空は無言で私を受け入れた。
真空の肩を借りているうちに小さなあくびをしてしまう。
少しずつ意識が遠のいていき、家に到着するまでそのまま眠り続けた。
そして、翌日の一月三日。
私と真空がアメリカに戻る日がやってきた。
―▽―▽―▽―
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