163話 ラベンダーのサシェ

 ずっと胸がドキドキしていた。

 光流の文化祭のライブ映像を見始めた時から、ずっと。


 光流の演奏が凄くて、光流の声が凄くて、光流のオリジナル曲が嬉しくて、光流が私の歌を歌ってくれたことが嬉しくて……。


 色々なことが詰め込まれたライブになっていて、私はただ泣いてばかりだった。

 二曲目までは既存バンドの曲だったのに、三曲目からはずるいとしか思えなかった。


 あんなの見せられたら泣いてしまう。

 必死に歌い、演奏する光流の顔が真剣で……でも笑っていて、とても楽しそうで。


 かっこよすぎて、どうにかなりそうだった。



「光流、すっごいモテそう……」



 あのライブを見て、たくさんのファンができたんじゃないかと思った。

 多分私じゃなくてもライブに感動した人は多いはずだ。


 それだけの何かが、あのライブには詰まっていた。


 四人全員が本気で力を出し切り、一曲終わるごとにそれぞれがとても良い表情をしていた。



「羨ましい……」



 光流と一緒にこんなに素敵な演奏ができること、なんて羨ましいと思った。

 藤間しずはちゃんもとても美人で、可愛くて……光流が本当に告白を断ったとは思えないくらい素敵な子に見えた。


 ただ、最初に大声を出したり、普通ではないレベルのキーボード捌きを見せていたことからも、想像していた子とは全く違うことに驚いた。


 私のイメージでは、もっとお淑やかなイメージだった。

 でも私がライブで感じたしずはちゃんは、明るくて、激しくて、とてもロックだった。


 もしかして、しずはちゃんも光流に何か変えられたのかもしれない。

 もしそうなら、やっぱり光流はすごい。



 光流がお茶を淹れに一階へ行き、部屋で一人になってから少し落ち着いた。


 だから私は再度部屋を見回してみることにした。



『男の子の部屋にはえっちな本とかあるかもしれないから、探してみたら?』



 昨日、家で真空に言われたことだ。

 とんでもないことを言い出す真空。私の顔が真っ赤になるのを良いことに、こうやっておちょくってくる。


 そんな真空は、なんと今日はジュードと出掛けるらしい。

 どこに行くとかは全く聞いていない。ともかくどういう経緯でそうなったのかは知りたい。


 あとで真空には詳しく聞きたいところだ。



 私は立ち上がり、光流の部屋を端から見ていくことにした。

 机は先ほど見たので、そこはスルーして、まずはベッド。


 光流が私の家に来た時にはベッドはあまり見ないでと言ったくせに、やはり光流のベッドが気になった。


 私は耳を澄ませて、光流の足音がまだ聞こえないことを確認する。


「少しだけ……少しだけ……」


 さっきとは別の意味でドキドキした。


 私が光流のベッドに腰を下ろすとギシ……という音を立てて、低反発素材のマットレスが私のお尻を軽く包んだ。


 そしてそのままうつ伏せになり、光流の枕に顔を埋めた。


「すぅぅぅぅぅぅ〜」


 落ち着く。光流の匂いだ……。


「…………」


 危ないっ。寝ちゃうところだった。


 というかこのままベッドに上がって良かった? 光流は潔癖症じゃない? 

 勢いでこんな行動をとってしまったが、外着の服のままベッドに横になってしまった。


 光流ごめん……。


 そう思いながらも、ふとベッドから部屋を見渡した。

 すると、部屋に入った時には気にならなかったものが目に入った。


 それは、ベッドサイドにある恐らくインナーなどが入った茶色のチェストの上。

 ギターのタブ譜のようなものが並ぶ中、気になったのは小さな布の袋だった。


 なんとなく、その袋が気になった。


 ベッドから起き上がり、軽く鼻を近づけてみた。




「――――!?」



「うっ………」



 その袋の匂いを嗅いだ瞬間、突然頭痛に見舞われた。


 袋からした匂いは、消えかけのラベンダーのような香りだった。





『――私もほしいっ!!』



 突如目の前に広がったのは、視界のほぼ全体に白い靄がかかっている空間だった。


 そこから、まだ幼いと思われる女の子の声がした。

 そしてその女の子は、何かを欲しがっていた。



『ごめんねぇ。今日はもう受付してないみたいなのよ……』



 その声に返事をしたのは、老齢の女性と思われる声。

 少しだけ聞き覚えるのあるような声だった。



『ほしいっ! ほしいっ!』



 しかし、その女の子はワガママだったのか、泣き叫ぶように何かを欲しいとねだる。



『うーん。どうしたものかしら……』



 女性は女の子の願いを叶えたいものの、それができずにいることに頭を抱える。

 その間、女の子はぐずって喚いていた。


 そんな時だった――、



『――ねぇ……これ、あげるよ』



 女の子の後方から、同じくまだ幼いと思われる男の子の声がした。



『えっ? いいの?』



 振り返った女の子が男の子から差し出されたのは小さな袋。

 しかし、女の子の手は小さい。両手で持たないといけないくらい大きな袋に見えた。



『ほんとはおねーちゃんにあげる分だったんだけどいいよっ。またこれるし』



 自分の姉の為にその袋を用意していたはずなのに、男の子は目の前の女の子を優先して、その袋を渡した。



『ありがとう……いいにおーい』



 お礼を言った女の子の顔は見えないが、その声音は心からの感謝だった。

 そして、袋に鼻を近づけた女の子は満足そうに感想を述べた。




『あっ……こんな……ろ……たのっ! ……か……!』




「うっ…………」



 最後、男の子の後ろから、目の前で会話していた女の子とは別の女の子の声がした。

 しかし、その途中で私の意識は白い空間から切り離された。


 まだ少しだけ頭がズキズキしていた。


 私はチェストの前から光流のベッドに手をついて、なんとかベッドの上に転がった。

 すると、なぜか頭痛と共に急激に眠気に襲われた。


「少しだけ……休ませて……ひ、か……」


 ――私は意識を手放した。




 ◇ ◇ ◇




 リビングに入ると、既にルーシーの両親は帰っていた。


 お茶を淹れにきたと俺はキッチンへ進む。

 すると、なぜか両親と姉から変な視線を向けられた。


「光流……お前本当に何かの縁があるんだろうな」


 飲みかけのコーヒーを口に含みながら父が話す。


「ん? まぁ縁はあるんだろうね」


 よく意味はわからないが、そう返しておいた。

 五年越しに会えるなんて、縁があったからとしか言えない。


 あの公園を通って、たまたまドーム型遊具の中に入ってみたことだってそうだ。

 何か一つでも違っていたら、俺はルーシーとは出会っていなかったし、再会することもなかったかもしれない。


「実はな、宝条さんから菓子折りもらったんだ。お茶持ってくなら食べるか?」

「あなた……あと一時間ちょっとでご飯じゃない。今はダメよ」

「あぁ、そうだったな。食べるなら夕食後が良いな」


 いつも通りの会話に戻った。

 俺がさほど気にするような内容ではないらしい。


 やかんでお湯を沸かしている間、ポットにお茶の葉を二杯入れ、湯呑みを二つ用意する。

 少しだけ待つとお湯が湧いたので、やかんからポットにお湯を注ぎ込んだ。


 三十秒ほど待って抽出が完了すると、ポットの中身を湯呑みへと移す。

 そうしてお茶が入った湯呑み二つをトレーの上に置くと、俺は二階へと運んだ。




 ◇ ◇ ◇




「ルーシーお茶持ってきたよ〜……あれ?」



 部屋に入った瞬間、その光景が目に入った。


 俺のベッドの上に天使が寝ていたのだ。



「ど、どういう状況!?」



 俺は湯呑みが乗ったトレーをテーブルに置くとルーシーが寝ている自分のベッドへと近づく。

 すると、スースーと静かな寝息を立てているのがわかった。


「日本に帰ってきたばかりでまだ環境に慣れていないとか? 疲れが結構溜まってたのかな……」


 俺は恐る恐る、ルーシーの頭に手を伸ばすと、起きないように指先だけで軽く撫でてみた。



「…………」



 改めて見ると、とてつもなく綺麗な髪だった。

 絡まず水のようにするすると指の間にルーシーの髪が通る。


 その綺麗な髪の下にある綺麗な顔。

 眠っているルーシーの顔は安心しきっており、あまりにも無防備だった。


「もう、俺が野獣だったらどうするんだよ……」


 少し心配になりながらも、ずっと眺めてしまいたくなる顔。


 心地よく眠っているルーシーを起こす気にはなれず、俺は夕食の時間になるまで寝かせておくことにした。

 そして、少しだけ心に邪念を残しながら、ベッドの空いている位置に腰を下ろした。


「ルーシー、何にもしないから安心してね」


 俺は眠っているルーシーに小さくつぶやきながら、体を横にした。

 そうして、可愛いルーシーの顔を見ながら、自分も同じように目を瞑った。




 ◇ ◇ ◇




「――光流〜ルーシーちゃ〜ん、ご飯だよ〜」



 夕食の時間になり、灯莉が二階へと呼びに来た。

 反応がないので、光流の部屋の扉をゆっくりと開いてみた。


 灯莉の中でまさかいかがわしいことをしているのではないかということが脳裏を過ったが、そんなことはなかった。

 しかし、それに近しいことが絵の前に広がっていた。



「ど、どういう状況!?」



 灯莉は光流と全く同じ言葉を呟いた。


 光流のベッドには、ルーシーと光流、二人が並んで気持ちよさそうに眠っていた。


 しかもお互いの顔は向かい合わせになっていて、片手同士が重なっていた。



「再会したばっかなんだよね?」



 距離感おかしいだろと思いつつも灯莉は懐からスマホを取り出す。


「良い場面見ちゃった〜」


 灯莉は恐る恐る忍び足でベッドに近づいた。

 そしてスマホを掲げ、二人の顔が映るようにして、パシャリとその姿を写真に収めた。


 任務が完了すると、灯莉は光流の部屋から一度出る。

 そして扉を閉めると――、


「夕食できたよー!!」


 少し大きめの声で扉越しに中にいる二人へと呼びかけ、そのまま一階へと下りていった。




 ◇ ◇ ◇




「んっ…………」



 あれ、私……どうして。



「夕食できたよー!!」

「!?」



 まだ意識がぼんやりしている中、光流のお姉さんである灯莉さんの声が扉の向こうから聞こえた。

 私はその声に驚いてしまい、ビクッとしてしまう。



「えっ!? 光流!?」



 なぜか私は光流と一緒に光流のベッドで寝ていた。

 しかも光流の顔が私の顔から数十センチという距離でさらに驚いた。



「ど、どういう状況!?」



 私は混乱した。

 しかもなぜか光流の手の上に私の手が置いてあった。


 寝返りでもしたのだろうか。

 ってそういうことじゃない。


 なんで私は光流と一緒に寝ているのかということ。



「でも……光流の寝顔……かわいい」



 正直、なんで光流と一緒に寝ているのかはどうでも良かった。

 大好きな人が目の前にいるんだから、一緒に寝たっていいじゃないか。


 ただ、眠る直前のことを振り返りたかった。


 確か光流がお茶を汲みに行って、この部屋に私が一人になってから、何かないかなと見て回った時にチェストの上にあった袋が気になって、匂いを嗅いでみたら……あ。


 突然頭痛がして、よくわからない光景が見えたんだった。

 だから、少し休ませてもらおうと思ってベッドに横になったら眠気に襲われて、そのまま……。


「あ、お茶がある……」


 ベッドからテーブルの方に目線を向けるとそこには湯気も立っていない湯呑みが二つ。

 せっかく光流が淹れてきてくれたのに、私が寝ていたせいで飲まなかったんだ。


「光流……ごめんね」


 私は光流の頭に手を伸ばし、髪を軽く撫でた。


「んんっ……」


 すると、光流が目を覚ましたようだった。


「光流……おはよ」


 私は優しく目の前で呼びかけた。


「うわぁっ!?」


 多分、私が寝たあとに光流がベッドに潜り込んできたはずなのに驚いていた。

 私と一緒に寝ていたことを忘れていたんだろうか。


「女の子が眠るベッドに入ってくるなんて……えっち……」

「あ〜はは。なんにもしてない。なんにもしてないから安心して!」


 私はいじわるな言い方をした。

 光流は必死になって何もしていないことを主張した。


「ふーん(別に光流なら何かしてもいいけど……でもするなら起きてる時がいいな……)」

「ルーシーの寝顔が可愛かったから、つい……」

「ふふ、光流の寝顔も可愛かったよ……」

「見られちゃったか」

「見ちゃった……」


 そんな会話を交して私たちは二人でベッドの上で笑い合った。

 光流の手の上に重ねてあった私の手は、いつの間にか光流の手と指が絡まっていた。


「灯莉さんが呼びに来てたよ。夕食できたみたい」

「……じゃあ一階に降りよっか」

「お茶ごめんね、飲めなくて」

「ルーシーの寝顔見れたから、気にしてないよ」

「もう……っ」


 手を握ったまま私たちはベッドから起き上がった。

 そして、ふと視線を向けたあの微かな匂いがする小さな袋。


「ねぇ、光流。あの袋なんだけど、どんな袋なの?」


 恐らく頭痛の原因はあの袋の匂いを嗅いだこと。だからあれが何なのか聞きたかった。


「あれは、ラベンダーのサシェだよ。匂い袋みたいな」

「サシェって言うんだ。初めて聞いた」


 だから微かにラベンダーの香りがしたんだ。


「でもあれ、すっごい小さい頃に買ったみたいで全然覚えてないんだよね。だから時間も経ってるしラベンダーの香りなんてほとんど消えちゃってる」

「でもあそこに飾ってるってことは、大事なものってこと?」

「聞いた話だとおばあちゃんの家に行った時のものらしくて、それで俺が大事そうにしてたとか。何か思い出せないかなって置いてるんだ。ちなみにそのおばあちゃんの家は北海道の富良野なんだけど」

「富良野……そうなんだ……」


 話を聞いてみたけど、よくわからなかった。

 あの頭痛の時に見た光景は本当に断片的で、顔は見えないし、動きもぼんやりしかわからなかった。ただ、袋が重要な気がした。


 私は五歳より前の記憶があやふやだ。

 ほとんど忘れているといっても良い。


 顔の病気がよほどショックだったのか、その影響でそれ以前の記憶がなかったかのようになっている。だからどんな性格だったのかなど全くわからない。もしかすると今の私とは性格がかなり違っているかもしれなかった。


「私って、昔はどんな子だったんだろう……」

「ルーシー?」

「あ、いや……大丈夫。ほら、皆待ってる。行こっ」


 ひとまず、この頭痛の時に見た光景は胸の内に仕舞って、もう少し何かがわかってから、光流に言おうと思った。












 ―▽―▽―▽―


この度は本小説をお読みいただきありがとうございます!


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