155話 見守る姉
午後四時になり、勉強の手を止めた。
机の上を片付けてから姉にコーディネートしてもらったPコートを着込む。
あとはヘッドホンを装着し、財布や鍵を持って準備万端だ。
俺はカバンなどを持たないタイプで、財布はいつもズボンのお尻のポケットかアウターの内ポケットに入れている。
ただ、今になってハンカチとかティッシュとか、何かあった時のための小物を入れるためにポーチくらいは持っていたほうが良いかもしれないと思った。
そうして俺は姉の部屋へと向かい、出発すると声をかけた。
「光流、良いじゃないか。お父さんが着るよりも似合ってるぞ」
「そう? 姉ちゃんのおかげだよ」
「でしょ〜」
姉と共に一階へ降りると、俺の服装を見た父が感想をくれる。
姉は父に服を借りることについて、ちゃんと承諾をとっていたようだ。
「じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
父に玄関で見送られ、俺は姉と共に家を出た。
◇ ◇ ◇
――原宿駅まで移動する電車の中。
「ルーシーちゃん楽しみだなぁ〜」
電車の座席で俺の隣に座る姉がニコニコしながらつぶやく。
ルーシーを見る気満々だった。
「姉ちゃん……ちゃんと家連れてくから、ほんとに遠くからでお願いね」
「わかってるって〜」
俺がそう釘を刺したものの、姉の表情は笑顔のまま。
本当に大丈夫かと思ってしまう。
「あの天使が実在するだなんて……あんたは本当に凄い人と知り合っちゃったのね」
「うん……ルーシーだけじゃなくて、ルーシーのお家も凄いからさ。俺もそれに見合う人間にならないと」
須崎さんに言われた言葉。
関係者に言われるとより真実味を増してくる。
ルーシーと俺はあまりにも身分差のある関係。ただの会社の社長の娘ではない。複数の会社を束ねるグループ企業、戦前から一部事業を独占していたほどの名家だ。
それを考えると俺の存在なんて、ちっぽけなものかもしれない。
でも、そんなことで諦められるわけがないんだ。
「無理しすぎないようにね」
「でも、無理しないと届かなくなるかもしれないから」
「……切羽詰まった時は、絶対に誰かに相談しなよ。光流にとってはルーシーちゃんが一番大事かもしれないけど、私たち家族にとっては、あんたが一番大事なんだからね」
「…………」
そっか、そうだよな。
俺は既に一度家族にそんなことを思わせる経験をさせている。
それは俺が腎臓を摘出した時だ。
事故でボロボロ、そしてまだ十歳という小さな体にメスを入れて俺の腎臓を摘出すること。
成功率は高い手術ではあるが、死亡率はゼロパーセントではなかった。
だから、俺が死ぬかも知れないという気持ちを家族には一度味わわせてしまっているのだ。
「うん。自分のことも大切にする」
「そう言いながら昨日はまた事故に巻き込まれてさ」
「ごめん……」
「それがあんたの良いところなのかもしれないけどね」
体が勝手に動いてしまう現象はどうにもならない。
自分を大切になんて思っていても、どうしようもない時はある。
「まぁ、でも今はルーシーちゃんと再会できた幸せを噛み締めな。二人はこれからなんだから」
「十分噛み締めてるよ。今日だって再会してから二回目なんだから」
そう、まだ二回目。そしてルーシーが起きている時と比べたら、一週間と二日。
これからたくさんルーシーのことを知っていきたい。
◇ ◇ ◇
姉としばらく会話していると原宿駅に到着した。
「姉ちゃん、行こうっ!」
「張り切ってるねぇ〜」
「そりゃもちろん!」
俺は原宿駅に近づく度にワクワクしていた。
それが言葉自体にも影響が出ていたようだ。
俺と姉は改札でスマホをタッチ。交通系ICカードのスマホアプリを使い改札を出た。
「じゃあ、ここでね」
「うん。コソコソ見ておくからっ」
俺が事故に遭わないように見守るという大義名分のもと、姉はルーシーの姿をこの目で見ようと駅の建物の影に隠れた。
そうして、俺は姉と別れた。
…………
駅を出た俺は、ルーシーに電話をした。
「は、はいっ!!」
すると、緊張したようなルーシーの高めの声が聞こえた。
そういえば、ルーシーと電話するのって初めてなんだよな……。
ルーシーも既に到着しているというので、俺は周囲を探してみた。
目を向けると、チラチラと通行人に目を向けられている車があった。
長い黒塗りの車――リムジンだった。
あれしかない。
それにしてもこんな場所にリムジンで来るなんて……凄いな。
そのリムジンを見ると、ちょうどルーシーと思われる人物が扉から出てきた。
「ルーシーっ!!」
俺はスマホを耳から放し、手を振りながらルーシーの名前を呼んで小走りで近づいた。
「ひかる〜っ!」
すると俺に気づいたルーシーが同じように笑顔で手を振ってくれた。
もう可愛い。遠くから見ても可愛い。
あの場所だけスポットライトが当たっているかのように輝いていた。
今日のルーシーの服装を見ると、淡い薄ピンクのコートにインナーは白のタートルネックのニットでその上からベージュのマフラーを巻いている。下はグレンチェックの細身スカートでストッキングに白い靴下、靴は黒のブーツを履いていた。
さらによく見てみると、今日のルーシーの顔が少し違った。
昨日はメイクをしていないありのままの素顔だったが、今日はメイクをしているのか少し大人っぽい顔になっていた。
特に薄ピンクのツヤツヤした発色の良いリップが印象的だった。これは昨日真空とプレゼントし合ったリップかもしれないとふと思った。
髪型も少しだけ違う。俺と同じくヘアアイロンをしたのか、昨日はストレートだった髪が今日は少しゆるふわカールになっていた。
ともかく今日のルーシーはお洒落で美人で完璧に可愛い。直視するのが大変なほどだ。
「すっっっっごく綺麗で可愛いっ!! 昨日もすごく可愛かったんだけど、今日はもっと可愛いというか……なんだろ……メイク!?」
「うっ、うんっ!!」
冬矢からのアドバイスで女性の変化には敏感になれと言われていた。そしてそれを口に出せとも言われていた。
だから俺はルーシーの変化をそのまま伝えた。言葉足らずだったかもしれないけど。
「病気治ったらメイクしたいって言ってたもんね! あと……髪もちょっと違うし……服も可愛いっ! なんでこんなに可愛いんだろ……?」
夢が叶っているルーシーの顔を見て、また嬉しくなる。
本当にすごい。大切な人の夢が叶っているのを見ること、こんなにも嬉しい。
ふと、リムジンの窓を見ると中に人がいることに気づいた。
真空だった。
俺は真空に手を振ると、親指を立ててサムズアップしてきた。
ついでに隣にいた見慣れない使用人と思われる人物も同じようにサムズアップしていた。
俺たちを祝福してくれているということだろうか。
「光流、行こっ!」
「!?」
すると、突然ルーシーが俺の腕に絡みついてきた。
知っている人がいる前ではさすがに恥ずかしい。
「ルーシー、今度は俺が恥ずかしいかも……」
俺がそう言うとルーシーが上目遣いでこちらを見上げてきた。
その表情はやばいって……。
「だって……今日はデートなんでしょ?」
「そう、だね……」
「ならっ……これくらいっ!」
「うん、そうだねっ……行こっか!」
ルーシーに押し切られるようにして、俺は彼女に絡みつかせた腕そのままに歩き出した。
◇ ◇ ◇
光流の姉の灯莉は一人、駅の影に隠れて光流の下にルーシーが現れるところを今か今かと待っていた。
そうして光流がルーシーに電話をかけ始めると、黒塗りの長い車からルーシーと思われる人物が降りてきたのを確認。
「えっ……あれがルーシーちゃん?」
少し遠目ではあるが、灯莉は初めてルーシーを自分の目で目撃した。
「うわっ……モデルさん? 背も高いし、凄い綺麗な髪……」
もう陽が落ちてきてはいるが、ギリギリ外の光はまだルーシーの髪を照らしていた。
その少ない光であっても、ルーシーの髪は煌々と光り輝いていた。
「うっそ……ええ? どうしよう……可愛いくて美人すぎる! 本当にあの子なんだ……っ」
灯莉の胸は高鳴っていた。
勝手に将来を想像し、もしかするとあんなに可愛い子が自分の義妹になるかもしれないことを。
ルーシーと一緒にお出かけしたり、料理を作ったり、ショッピングをしたり……。
「さいっっっこうじゃんっ」
灯莉は確かに同性である母とお買い物はよく行く。同級生ともよく行く。
しかし、姉妹という存在がいないため、そのような存在との買い物に憧れていた部分もあった。
そうして、灯莉はルーシーと一緒に過ごせることを想像し、ワクワクしていた。
それが叶うかどうかは、今後の光流にかかっているのだが……。
「えっ!? 腕組んだ!? しかもルーシーちゃんから!? うわっ……えっ? 展開早くない?」
再会してまだ二日目だというのに、距離が近すぎる二人。
灯莉は戸惑っていた。
「えっ……もう確定じゃん。ルーシーちゃん百パー光流のこと好きじゃんっ」
女性から見ればすぐにわかる。ルーシーが光流を見つめる眼差し。
五年も会っていないはずなのに、光流も見た目が結構変わったはずなのに、なぜあのような目ができるのか。
「二人とも凄いなぁ」
灯莉は光流がずっとルーシーを想っていたことを知っている。
そして、今直接ルーシーを見て同じく彼女もこの五年間ずっと光流のことを想い続けていたのだと理解した。
手紙の件で多少なり、ルーシーの想いもわかっていたつもりだが、それでも五年という月日は途轍もない年月だ。
なのに、お互いに少しもブレることなく相手を想っていた。
普通ならそんなに長く想い続けることはなかなかできないだろう。
「やっぱり光流が腎臓を渡して、生かしてくれたからかなぁ? それとも――」
灯莉も光流がルーシーと一週間しか会っていないことを知っている。
たった一週間。そんな短い時間で仲良くなるなんて、そこから五年間も想い続けるなんてことは普通はできない。
でも、そこに自分を生かしてくれたというものがあったなら?
その人のことを好きになってしまうかもしれない。
ただ、灯莉はそれだけではないような気がしてならなかった。
まだ全てを光流から聞いたわけではないが、自分の弟が周囲に影響を与えられる人物だと理解している。
だから、腎臓以外でも光流はルーシーに大きく影響を与えたのだと感じた。
「早くルーシーちゃん、お家に連れてきてくれないかなぁ〜……ん?」
ルーシーが光流の腕に絡みついて歩き出し、ちょうどデートが開始された時だった。
明らかに怪しい人物が、灯莉の近くで周囲をキョロキョロしていた。
「――冬矢、くん?」
「えっ?」
灯莉が名前を呼んだ相手、それは目深の帽子とサングラスで変装していた冬矢だった。
「その格好怪しすぎるでしょっ」
「はは……まさかバレるなんて。てか、もしかして光流とルーシーちゃん見にきたんですか?」
多分、もう少し軽い変装ならわからなかったかもしれない。
しかし今の冬矢の変装は怪しすぎるのだ。自然と目で追ってしまうほどに。
「そうそう。写真は見せてもらったんだけどね、直接目で見たくて」
「写真……? いつの間に写真撮ってたのやら……。灯莉さん、ルーシーちゃんどうでした?」
「可愛すぎて腰が抜けた」
「ははっ、ですよね」
そんな時、冬矢のスマホに着信が入った。
冬矢はペコリと軽く灯莉に頭を下げて電話を取った。
「もしもーし」
「あぁ、もう駅前にいるよ」
「あ〜、あっ……あった」
電話の相手と待ち合わせをしていたのかわからないが、冬矢はさっきまで光流とルーシーがいた方角に視線を向けた。
「灯莉さん、俺これから光流たちを尾行しますんで」
「うわっ、なにその楽しそうなこと! これからクリパがなければ……っ」
「はは。あいつらのことは俺に任せてください。昨日の事は聞いてるんですよね?」
「事故のことは聞いたよ。冬矢くんが見守ってくれてるなら安心だね」
「俺だけじゃないですけどね。とりあえず俺行ってきます」
そんな会話を交すと冬矢は灯莉の下から、ルーシーが降りてきたリムジンの方へと向かった。
しばらく冬矢の背中を見ていた灯莉だったが、そこから一人の女の子が降りてきたのを目撃する。
「え? あの子と一緒に尾行する気!? あの子もめっちゃ可愛いじゃん! もしかしてルーシーちゃんの友達なのかな……」
まだ真空の存在を知らない灯莉が、彼女を見てそう呟いた。
「でも……」
しかし、灯莉には少しだけ気になることがあった。
その視線の先は、たった今冬矢と合流した可愛い黒髪の少女。
「あの子……誰かに面影があるような、ないような……誰だろう」
会ったことのないはずの朝比奈真空。
真空は転勤族で小学校高学年までは日本にはいたが、それからはずっとアメリカ生活だった。
もし会っていたとするなら、小学校高学年までの間にはなるが……。
「――でも、あんな可愛い子だったら忘れるわけない、よね?」
どこか記憶の片隅に引っ掛かるような感覚。
しかし結局、灯莉が真空について何かを思い出すことは叶わなかった。
―▽―▽―▽―
この度は本小説をお読みいただきありがとうございます!
昨日の話のコメント欄で文字数についてのご意見をコメントくださった方ありがとうございます。このまま自分なりの文字数で進めていきたいと思います。
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