閑話 深月と冬矢のクリスマスイブ

 十二月二十四日。午後五時頃。

 冬矢が光流に電話で呼び出される少し前のこと――。



「――で、なんで今日は来てくれたんだ?」



 テーブルの向かいの席の人物にそう語りかけたのは池橋冬矢だった。

 可愛らしいカフェ、そして目の前には大人気漫画のキャラである『ちるかわ』がモチーフされたデザートが二つのお皿の上に乗って置いてあった。



「あ、あんたがクリスマス限定のちるかわコラボカフェに行こうって誘ったからでしょっ!」



 そう強い口調で返したのは、話す度に怒ったような会話になってしまう相手。


 白のタートルネックに首元には二つのリングが重なっているシルバーのネックレス。

 普段はほとんどしないメイクも軽く施し、口元は薄紅色のリップが色っぽく艶めいている。


 ――いつも以上に可愛らしい姿の若林深月が、冬矢の向かいの席に座っていた。



 このようなお洒落をしている理由は、今日がクリスマスイブだからなのか、もしくは冬矢と二人きりで会うことになったからなのか。

 それとも、『ちるかわ』という推しキャラ相手に敬意を払ってのことなのか。

 それは本人にしかわからない。



「ちるかわだったら何でも喜ぶんだな」



 そう冬矢に言われ、自分でもチョロいと思ってしまう深月。


 このどうしようもない小さくて愛くるしいキャラの顔に心を掴まれてしまっている。

 限定とか特別と頭につくものであればノールックで食いついてしまう。それほど深月にとって『ちるかわ』は大好き過ぎるキャラなのだ。



「今日なんて、二人じゃないともらえないグッズがあるとか……どうしようもないじゃない」


 深月は頭を抱えながら、目の前のちるかわのデザートに目を向けた。


「そういうグッズって卑怯だよな。カフェに来させる為のうまい手法というか」


 深月の今日の一番の目的はその限定グッズだった。

 ちるかわのコラボカフェはこれまでに何度も開催されている。しかし、今回に限っては二人で来場したお客さん限定で配られる無料グッズがあったのだ。


 それが、サンタとトナカイの姿をした、ちるかわのキーホルダーだった。



「――ほら、俺のもあげるよ」


 冬矢がトナカイの姿をしたちるかわのキーホルダーをテーブルの上で深月に差し出す。


「…………」


 しかし、深月はそれを凝視しているが、受け取ろうとはしなかった。


 このグッズは入店者には無料でもらえるのだが、二種類のうち一つずつしか渡されない。

 なので、一人が二種類のグッズをもらうには、片方の人から一つもらうしかないのだ。


 しかも一度グッズをもらったお客さんには再度配られないルールになっていたので、二度コラボカフェに訪れてももらえない仕組みだった。

 一応転売対策とも言える。


「どうしたんだよ。いらないのか?」


 手を伸ばさない深月に対し、しかめ面をする冬矢。


「――それ、あんたが持ってなさいよ」


 すると、深月が本当は欲しいはずのキーホルダーをテーブルの上で押し戻す。



「…………わかったよ」



 深月が何を思ってそう言ったのか真実はわからない。

 ただ、二人で一緒に同じキャラのグッズを持つということがどういうことなのか、それに気付かない冬矢ではなかった。


 深月は自分にそれを持っていてほしい、そう冬矢は認識した。


 冬矢はそのキーホルダーを手に取り、そのままアウターのポケットに仕舞った。




 ◇ ◇ ◇




 ――なぜこいつは、私によく話しかけてくるのだろう。



 最初にこいつを見たのは、小学校のピアノコンクールの時だった。

 私の永遠のライバルである藤間しずはの演奏を観に来ていた時だ。


 一度目は遠くからちらりと見ただけだったが、二度目はコンクールが終わったあとに少し話した。


 いきなり私のことを"深月ちゃん"などと呼び、なんてチャラいやつだと思った。私が一番嫌悪する相手だった。

 今はちゃん付けはしてないけど……。


 とにかくこいつはいつ見ても、ムカつく相手だった。


 中学校に上がり、一緒の学校になってからは流れるように交流が始まった。

 サッカーの試合に呼ばれて、しょうがなく皆で観に行った時には、なんてつまらないと思った。


 ルールもわからないので、面白いと思えるはずがなかった。

 ただ、こいつの負ける姿が見れるなら面白いとは思った。

 しかしムカつくことに活躍しまくってしまった。


 最後に私たちに挨拶しにきた後は、冬矢ガールズなんていう気持ち悪いファンの下まで行って――。



 学校で見る度にこいつは女とばかり会話していた。

 聞く話によればこれまでに多数の女子と付き合ってきたらしい。


 そういうことは私には縁がないというか、考えもしないことだった。


 しかしそんなこいつも、いつしか私に対する態度が少しずつ変わっていったように思えた。




 ――なぜこの人は、私の好きなものがすぐにわかるのだろう。



 ホワイトデーの『ちるかわ』の限定チョコ、プールでの『ちるかわ』のビーチボール。

 そして、今日の『ちるかわ』のコラボカフェ。


 ………まぁ、ちるかわばかりだけど。



 それでも、私が大好きなちるかわのことを出してくれている。


 それに、今日も去年プレゼント交換で用意した私が作った手袋をしてきていた。

 私が作ったものだと知っているかはわからないけど、律儀に一年も使うだなんてらしくない。


 まぁ、私もこの人がプレゼント交換で用意したミトンの手袋をしてきているけど……。



 藤間しずはが大好きな九藤光流の信頼を得ていて、女子にも男子にも人気があった。

 いつも明るくて場を盛り上げるような人物がこの人だ。



 ただ、最近気づいてきたことがある。



 サッカーのことを話題にだすと、一瞬だけ顔が曇ること。

 明るい顔で話してはいるが、それがどうにも気になる。


 多分、親友の九藤光流もまだ気づいていない。気づいているなら、既に解決に走っていると思うから。

 でもそれも時間の問題。九藤光流もいつしか気づくことだろう。

 ただ話によれば、九藤光流からこの人には相談ごとは多いが、逆は少ないらしい。


 この人のことはまだよくわからない。だって、その裏に隠している顔を見せないのだから。

 そんなことでは、私と仲良くなることなんてできるはずがないのに。


 この人は藤間しずはの恋より九藤光流の恋を応援しているらしい。

 それはそうだ、仲が良い方の肩を持つ。私だって肩を持っているのは藤間しずはの方だ。


 ただ、それでも九藤光流が藤間しずはを振ったことに関しては、勝手ながら憤りを感じている。

 あれだけ、五年間も一途に想って。それなのに――。


 でも仕方ない。そのルーシーとかいう相手に五年も一途に想っていたのは九藤光流も同じだったから。

 一つ感謝をしていることがあるとすれば、九藤光流のお陰で藤間しずはは強くなったということ。


 そのせいで私を置き去りにするような実力者になってしまい、今ではライバルだと自信を持って言えなくなってきている。

 もう追いつけないのではないかとも思っているくらいだ。




 そんなことを考えながら、目の前のお皿にある、ちるかわのデザートを口に入れる。



 …………美味しくはない。



 コラボカフェの料理やデザートは見た目はそれなりになることもあるが、味はそうでもない。

 本格的なお店で食べた方が美味しい。



 そう思って次々とデザートを頬張っていると、冬矢のスマホに着信がきた。



「――深月、ちょっと悪い。電話出るわ」



 そう言って、スマホを耳に当てると電話口の相手と会話を始めた。



「――どうした? お前、この時間はもう……」



 電話をとってすぐに冬矢の表情が真剣なものに変わった。

 私もデザートを食べる手を止めて、冬矢の声に集中した。



「はぁっ!? お前何してんだよ! クソっ……しゃーねえ!」



 少しキレながらも、嘆息する冬矢。

 そして、何かを決めたようだった。


 一時的に耳からスマホを離すと、電話の相手から送られてきた何かを画面で確認する。



「――ここなら十分くらいで行けそうだ。……待っとけ!」



 そう言い放ったあと、冬矢は電話を終えた。


 スマホをポケットに仕舞った冬矢が私の目をまっすぐに見つめた。



「…………深月、わるい。俺、行かなきゃならなくなった」



 頭をかきながら、申し訳無さそうに謝る冬矢。



「ふーん。私を一人にするんだ」


 少しいじわるなことを言ってやった。



「ごめん。本当に悪いと思ってる……」


 もうここまでの付き合いになると大体わかる。

 冬矢が頭を抱えてまで真剣になる相手。それは九藤光流しかいないのだ。



「光流なんでしょ――どうせ」

「深月……わかってたのか……」


 ほら当たった。

 こいつは意外とわかりやすいんだ。


 外ではへらへらと笑ってばかりのくせに、九藤光流のこととなると急にこうなる。

 他の誰にもこうはならない。それが冬矢にとっての唯一の親友だからだ。



「――行けば?」



 私は端的に、そしてぶっきらぼうにそう伝えた。



「いいのか?」



 OKを出しているのに、聞き返してくる冬矢。



「もう自分の中では行くことが決まってるくせに」

「ははっ。俺のことがよくわかってるな……」



 少し恥ずかしそうに笑う冬矢。

 なら聞き返すな。



「もう、目的は達成したし。あんたがここにいなくても問題ないわっ」



 キーホルダーはゲットした。コラボカフェのデザートも食べることができた。

 デザートを食べる前にイノスタ用の写真だって撮影した。

 十分に満足している。



「そうか……本当に悪いな」


 繰り返し謝る冬矢。

 暗い顔が似合わないことだけは知っている。


「――いいから早く行きなさいよっ! 待ってるんでしょ!」

「あ、あぁ!」


 まだ席から離れようとしないので、私は言ってやった。

 すると、冬矢が一瞬ビクッとして立ち上がる。


「これ! 今日は俺が誘ったし、全部払うからっ!」


 そう言って冬矢が財布から多めにお札を取り出し、テーブルの上に置いた。



「…………わかったわ。ありがとう」



 くれるならありがたく受け取っておこう。

 ちゃんとお礼くらいは言っておいた。



「じゃあ俺は先に行くわ! マジでごめん!」

「しつこい。早く行きなさい」


 何回謝れば済むのだろうか。

 さすがにうざい。


 私が最後にそう睨みつけてやると、冬矢は席から離れてお店を出ていった。



 しばらしくて、冬矢が外に出たことを今私がいるお店の三階の窓から確認できた。

 すると冬矢は目の前に止まっていたタクシーに乗り込んで、そのまま遠ざかっていった。




 ――池橋冬矢と九藤光流の関係。



 少しは理解できるところはある。



 私だって、藤間しずはとは色々あった。


 二年生の時の文化祭が終わった日。


 藤間しずはが九藤光流に振られた時、彼女を支えてあげられるのは私しかいないと思っていた。

 だから、わざわざ遅くまで学校に残り、それが終わるのを待っていた。


 九藤光流が私の前を通り過ぎてから音楽室へ行くと、案の定、藤間しずははボロボロぐしゃぐしゃになっていた。

 下手くそな演奏なんか披露しちゃって、廊下にまで全部聴こえてきていた。



 そうして藤間しずはから話を聞くとピアノへのやる気がなくなったようなことを言い出した。

 九藤光流は確かに藤間しずはをとてつもなく成長させた。けど、それを終わらせるのも九藤光流だったわけだ。


 でも、私はそんなことを許さなかった。

 当たり前だ。私が何年前から藤間しずはを知っていると思ってるんだ。

 それは九藤光流よりもずっと前からだ。


 小さくて、まだ私より下手くそで、コンクールで受賞できなかった時から知っている。

 いつの間にか私を追い抜いて、いつなんときもトップの座を譲らなくなった藤間しずはの成長を見てきているからこそ、ここで燃え尽きるなんて許せなかった。


 一番のライバルであり、一番尊敬しているピアニスト。

 私の勝手な願いを怒りと共にぶちまけてやった。


 振られたなら、もっとうまくなれと。

 今よりももっとうまくなって、あいつの手の届かない遠いところまで行って見返してやれと。

 そこで自分を振ったことを後悔させてやれと。


 そんなことをしても好きな相手と付き合うことができなければ報われないかもしれない。

 すぐに諦められるわけもないし、恋心はすぐには消えないのではないかとも思った。


 けど、藤間しずはにはピアノを続けていてほしかった。

 それが私のエゴ。


 私のうまい口車に乗って、藤間しずははまたやる気を出してくれた。

 半分は自分の為に言っていたはずなのに、まさかその自分まで泣くなんて思ってもいなかったけど。


 私が唯一本気で向き合える友達が藤間しずはだ。

 涙を見せるくらい気持ちをぶつけたのが、藤間しずはだ。

 藤間しずはの為にできることなら、何でもしたいとは思っている。


 だから、私と同じく友達を気遣ってあげられる人間は――嫌いじゃない。


 今回だって、池橋冬矢が友達の為を思ってこういう行動ができるところは嫌いじゃない。



「はぁ……今日のこの後の予定、なくなっちゃったな〜」



 そう私が虚空へつぶやくと、ブルルっとスマホのバイブ音が鳴る。


 スマホをカバンから取り出して画面を見ると、タクシーの中でメッセージをしてきたらしい冬矢からの通知だった。

 タップしてみるとそのメッセージが画面全体に表示される。



『今日の深月、お洒落してて可愛かったぞ!』



「〜〜〜〜っ!?」



 ムカつく、ムカつく。

 こういうところがムカつく。


 確かに今日は色々とお洒落をしてきた。


 だってお母さんがクリスマスイブなんだから、絶対お洒落していきなさいって言うんだもん。

 このお洒落はこいつのためにしたわけじゃない。クリスマスイブのためだ。

 だからこいつに可愛いなんて言われる筋合いはない。



『死ね!』



 私は手短に返事を送った。




 ◇ ◇ ◇




「…………もうっ。デザート残して行くんじゃないわよ……」



 そう小さな声で呟いた深月。

 自分と冬矢の席の前に置いてあったお皿を交換し、冬矢の分のデザートにも手を付け始めた。


 店内には女性同士の客やカップル客が多い中、深月のいる席だけは一人だった。


 でも深月はさみしくない。

 その表情を見れば誰でもわかる。



 今日、冬矢に訪れた最大の不幸は光流に呼ばれて急にお店を出ることになったからではない。

 否、それも関係しているとは言えるだろう。



『――今日の深月、お洒落してて可愛かったぞ!』



 その言葉を聞いて、こんなにも嬉しそうに可愛い笑顔を見せている深月の表情を目の前で見れなかったこと。

 それは冬矢にとって今日最大の不幸とも言えるだろう。




 ◇ ◇ ◇




 深月と一緒にいたお店から飛び出て、タクシーに乗り光流の下へ駆けつける冬矢。


 光流を心配する気持ちと、深月を一人でお店に残してきた申し訳ない気持ち半々の状態。

 しかし似たような状況の時でも、いつも優先するのは光流の方だった。


 冬矢にとっての優先順位ははっきりとしている。


 彼女がいる時だって、その場の彼女を放って光流の下へ駆けつけるだろう。

 そのくらい光流の存在は冬矢の優先順位のトップに位置づけられていた。


 冬矢が光流を尊敬している理由は、サッカーで悩んでいた時にかけてもらった言葉だけではない。

 他にも理由はあるのだ。


 光流からすれば、全く自覚はない。

 しかし冬矢からすれば、それは自分の人生観を変えるほどのことだった。



「――もうキャンセルはできねーし、しょうがねーか」



 スマホを開き、レストラン予約サイトを眺める冬矢。

 そこに表示されていたのは、渋谷駅と原宿駅の間あたりにあるイタリアンレストランだった。



「今日うまくいったら、誘う予定だったんだけどな〜」



 深月のために用意した素敵なイタリアンレストラン。

 今日の深月とのデート……と言えるかわからない二人きりのデート。


 深月と距離が近づくことができれば、明日予約しておいたレストランに誘おうと思っていた。

 しかし、途中であのお店から帰ったとなれば、もう誘えるわけもなかった。



「光流なら、うまく利用してくれるよな?」



 もう、冬矢にはイタリアンレストランに行く予定はない。


 スマホの連絡先にある女子たちに声をかければ、誰かしら行くという子も出てくるだろう。しかし、冬矢には呼ぶ気になれる相手は一人もいなかった。



「予約名って変更できたっけ? とりあえず電話してみるか……」



 冬矢はレストランに電話をして、池橋冬矢での予約名義を九藤光流名義に変更できるかを聞いた。

 お店側からすれば、キャンセルせずに来てくれるなら名義変更は問題ないという話だったので、冬矢は名義の変更をお願いした。



「これで明日、あいつとルーシーちゃんがデートできる展開にならなかったらお笑いもんだな」



 もしそうなれば、当日のコース料理代を支払わなければいけなくなる。

 利用しないのにお金だけを支払うなんて、とても悲しいことである。それもクリスマスともなれば尚更だ。



「ほんっと、あいつ何やらかしたんだよ。今日は大事な日だろうが……」



 冬矢がタクシーの後部座席で目を瞑りながらつぶやく。



「――お客さん、到着しましたよ」



 タクシーの運転手から声をかけられると、冬矢は財布から千円札を一枚取り出す。

 お釣りをもらい、タクシーから降りると――、



「あいつはしばらく友達離れできなさそうだな……まぁ、する必要もないか」



 そう微笑みながら、冬矢は光流がいるという場所に向かって足場が悪い雪道を駆けた。


 少し走っていくと、ベンチに座る光流と老婆の姿を発見し――、



「――見つけたっ!!」



 光流の救世主は大きな声で到着を知らせた。







 ―▽―▽―▽―


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