123話 舞台上の悪魔

 文化祭を前日に控え、ついにリハーサルの日となった。


 俺と冬矢、そしてしずはがいつもとは違う装いで学校へ向かうと、クラスメイトや友達から声をかけられる。


 リハーサルということで、今日はギターにベース、キーボードを背負って登校していたからだ。

 ちなみにドラムやアンプなどの他の機材は放課後に透柳さんが車で学校まで運んできてくれることになっている。


 既にバンドをやることを周囲には知られてしまっていたが、楽器を持ち込むとそれが現実味を帯びたのか、周囲が物珍しそうに見てきた。


 いつも通り授業が始まるも、俺はずっとドキドキしっぱなしだった。

 このあと学校でリハーサルとは言え、演奏をする。


 文化祭実行委員とリハーサルをするダンス部などの関係者くらいしか顔を出さない。

 それでも少人数の生徒たちが俺たちの演奏を見るのだ。


 いつもより注目されたり、見られているせいか、緊張がすごい。

 冷え性のように手が冷たくなり、手汗も多い。こめかみからも冷や汗がツーっと流れていく。


 昼食のお弁当もほとんど味がせず、俺の表情がおかしかったのか、しずはと千彩都が心配してきた。


 結局、俺の緊張は放課後まで収まることはなかった。




 …………




 俺たちはそれぞれ楽器を持って体育館に向かった。


 すると、ちょうど透柳さんが学校に到着したので、皆でドラムやアンプなどを体育館まで運んだ。


 透柳さんはリハーサルだけでも見たいと駄々をこねていたが、しずはが無理やり帰した。

 ちょっとかわいそうだった。



 体育館で文化祭実行委員から最終スケジュールを確認する。


 俺たちは、同じ三年生の別クラスで行う演劇やダンス部のあと……最後の最後だった。

 つまり、大トリである。


 それを知って、俺はさらに緊張度が増してしまった。


 そうしてバンドメンバー四人と朱利、理沙、理帆と共に舞台袖で自分たちの順番が来るのを待っていた。


「光流……顔色悪くない? 大丈夫?」


 朱利が俺を心配してくれる。


「うん……大丈夫。心配ありがとね」


 明らかに大丈夫ではない受け答え。全く覇気がない小さな声で返事をし、顔も下を向いていた。

 多分この場にいる全員が俺の良くない状態を察したことだろう。



「――次、バンドの皆さんお願いします!」

 


 しかし、俺の緊張状態は改善されることなく、リハーサルの順番を迎えてしまう。


 文化祭実行委員の女子生徒が、俺たちを呼んだ。


 そうしてそれぞれ機材を壇上へと運び込み、セットしていく。



「…………」

 


 無言でギターにケーブルを繋いでアンプに接続。自分たちの立ち位置とマイクスタンドの位置も確認。


 ギターを軽く弾いてチューニングしていく。

 他のメンバーも同様に楽器を調整していった。



「あー、あー……マイクテスト、マイクテスト」



 俺は覇気のない声のままマイクテストをはじめた。


「あの、もうちょっと音上げてもらっていい?」


 理帆にお願いする。横には放送委員も一緒にいた。


「わかった!」


 理帆が音響を調整し、再度声を出した。


「おっけー、ありがとう」

「どういたしましてっ」


 マイクの調整が終わる。


 もう、演奏する準備が完了した。



 前方左側にはビデオカメラを構えた朱利。そして後方中央にも、もう一台のビデオカメラを構えた理沙がいた。

 取りこぼしがないようにと二台のカメラで撮影することになった。



「光流……気負うな。とりあえず好きにしてみろ」

「ありがとう」


 冬矢が演奏直前にそう声をかけてくれる。


 文化祭実行委員の合図で幕が一旦閉まる。

 俺たちの目の前は赤茶色の大きなカーテンで視界が塞がれた。



「ではいきます!」



 横でマイクを持った文化祭実行委員が声をかける。


 そして、本番のように俺たちをマイクを通して紹介した。


「次は赤峰小学校出身メンバーによるバンド演奏です」


 『ビーっ』という短い電子音と共に、前方の幕がゆっくりと開きはじめた。


 そして、全てが開くとそこに広がったのは先ほどまで見ていた広い体育館。


 奥まで見渡すと、先生、文化祭実行委員、ダンス部、演劇をするクラスの生徒など総勢三十名ほどがまばらに立ったり座ったりしており、俺たちがいる舞台を一斉に注目した。



「――――っ」



 その視線を浴びた瞬間、俺は顔が硬直し、息が詰まった。



 しかし、時間はそれを許してくれない。


 当初の予定通り、一曲目は自己紹介もなくいきなり演奏をはじめる。

 自己紹介のMCは一曲目のあとだ。


 有名バンドでもよくこんな始まり方をしているので、俺たちもそれを参考にした。



 俺は、虚ろな目を三人へと向ける。

 それぞれ頭を縦に振って頷いた。



「――行くぞっ!」

 


 陸が意気込むと、スティック同士を四度ぶつける。



 そうして、それぞれが楽器を動かし伴奏が始まり、理帆にお願いしていた音楽もベストタイミングで流れていく。



 伴奏が終わると、歌唱部分がついに始まる。


 俺は手と指を動かしながら、息を吸い込み、歌の準備をした。



 しかし――、




「ぁ…………っ」




 あれ……?




 ――全く声が出なかった。




 声が出ない……前が見れない。

 出たのは、首を絞めらてるような呻き声だけ。


 視線は真下を向いていて、目の前に広がっている景色はギターと壇上の床、そしてマイクスタンドの足だった。



 ただ、なぜかギターは完璧に弾けていた。



 皆の音がよく聴こえた。だからかリズムもバッチリ。

 それもそうだ。何度も合わせてきたんだから。


 指の動きを自然と体で覚えていたのか、自分の演奏は止まらない。


 こんな状態なのに、左手の指は滑らかに動き完璧にコードを押さえ、ピックを持った右手はとめどなく六本の弦をカッティングできている。



 けど、声だけ……。

 声だけが全く出ていなかった――出せなかった。



 俺はそこにいるとは知らなかった"舞台上の悪魔"という魔物に飲み込まれていたのだ。



『――舞台には魔物が棲んでいる』


 世の中ではそう言われることがよくあるらしい。

 

 俺の場合、その魔物の正体が緊張なのかプレッシャーなのか、それとも別の何かなのかよくわからなかった。



 あんなに歌って練習してきたんだから、いつでもどこでも声を出せると思っていた。


 誰も彼もが、透柳さんのような優しい視線で舞台を見てくれるわけじゃない。

 観客が何を考えて壇上を見つめているのかわからない。


 その視線が怖くてなのか前が見れなかった。



 改めて二人のことを尊敬した。


 なんでこんなに注目された状況でピアノを弾けるんだ?

 なんであんなに大勢に見られながらサッカーで活躍できたんだ?


 俺だって運動会で走った時には、注目されていても力を発揮できた。

 それなら、何が違うのか。


 多分どれにも共通していること。

 それは――、



 ――本番を何度も経験したということだ。



 運動会だって、幼稚園の時から走ったことがあった。

 今の舞台と比べるまでもなかった。



 長い練習期間があったんだ。

 本番の環境に慣れるためにどこか演奏できる場所を借りて、知り合いを呼んで披露すれば良かっただろうか。


 でも、もう遅い。今更何を思っても遅い。

 本番は明後日に迫っている。


 結局、俺は甘く見ていたということだろう。

 この、観客の視線を一斉に集める舞台のことを。




 …………




『……あれ? これってインストバンドなの?』

『いや、マイク目の前に置いてるし違うでしょ』



 光流たちの演奏を聴いてるダンス部が不思議に思う。

 最初は「この曲知ってる!」となっていたが、今では険しい顔をしていて。


 その違和感はもちろん他の観客にも伝播していき――、



「ぁ………っ! ぁ………っ!」



 必死に声を出そう、出そうとしているのに。

 なのに、どうやっても声が出ない。


 俺を信じて他の三人は演奏を続けてくれている。

 一切歌声が聞こえないのに、練習で合わせてきた通りにそれぞれの音がハーモニーを奏でていた。


 あと一つ。

 たった一つだけそこには足りていなかった。


 その最後のピースさえハマれば、バンドは完成するはずなのに。


 それなのに――、




 ――結局、リハーサルの最後まで一度もバンドが完成することはなかった。




 ◇ ◇ ◇




「みんな……ごめん…………」



 機材を片付けて、舞台袖へと運んでいく。

 舞台から降りると普通に声が出た。さっきまでは全く声が出なかったのに。


 俺はずっと下を向いて作業をし、皆の顔を見ることができなかった。


 恐くて、恐くて。

 申し訳なさすぎて。


 何もできなかった自分が嫌すぎて、俺の心は深い闇の底に落ちて絶望した。




 …………




 誰も、何も、俺に対して声を発しなかった。



 文化祭実行委員の子も、俺たちがちゃんとしたリハーサルにならなかったことにあたふたしていた。

「もうちょっとやりますか?」と声もかけてくれたが、それは冬矢が止めた。



 三曲全て弾ききったのに、どの曲さえも声が出なかった。


 MCの練習もせず、俺を気遣ってかそのまま二曲目に突入。

 演奏は完璧だったのに……。


 一言、一文字すら俺は発せなかったのだ。

 喉の奥に何かが詰まったように、どうしても抜けない何かがつっかかっていて。


 それが最後まで抜けることはなくて――、




「――よし! 光流の家に行くぞ、お前らっ!」




 誰も俺に声をかけれない中、急に冬矢が切り出した。



「あっ……」



 俺は一瞬、冬矢の顔を見た。けど、すぐに視線を下げた。

 その誘いに良いも悪いも言えなかった。


「朱利たちも来いっ」

「いいのっ!?」


 別の嬉しさを見せる朱利だったが、さすがにちょっと複雑な表情をしていた。

 ただ、結局その場にいた七人全員が家に来ることになった。



 現在は午後五時。

 体育館の窓の外からは赤とオレンジが混ざった夕焼け色の光が差し込んできていた。



「ほらっ。お前ら早く準備しろ。行くぞ」



 それぞれカバンを持って、帰る準備をした。



 冬矢の強引な決定。

 俺はOKを言えなかったが、冬矢が勝手にそう決めた。


 百パーセントOKするだろうけど、俺はスマホを取り出して母に『今から友達と家に行くから』とだけメッセージをしておいた。




 ◇ ◇ ◇




 家へと向かう途中も俺を気遣ってか、皆は文化祭以外の明るい話題に花を咲かせていた。


 今、どこをどう歩いているのかわからず、ずっと地面のコンクリートばかり見ていた。

 視界の端に見える、前を歩く皆の足だけを見て、ただただ後ろをついていった。




「…………」




 皆が足を止めたので、家の玄関に到着したのだと気づいた。


 俺はポケットから鍵を取り出してガチャリと鍵を開ける。

 玄関の扉を開けて、中に皆を招きいれた。



「「「お邪魔しまーすっ!!」」」



 それぞれ中に入ると、元気よく挨拶した。


 リビングの奥から母がやってきて出迎えた。



「あら、今日は大勢ね。さ、上がって上がって…………ふぅむ」



 すると母は俺に視線を向けたようで、何か感じ取ったのか最後に深く息を吐いた。

 ただ、何も言うつもりはなかったようだった。



 冬矢の先導で二階の俺の部屋へと向かった。




 …………




 今、この部屋には七人がいる。

 明らかにキャパオーバーだった。


 俺は正方形のローテーブル前の地べたに座らされ、テーブル前に三人、ベッドに二人、机の椅子に一人という配置だ。


「これが男の部屋かーっ」

「結構綺麗にしてんだね」


 朱利と理沙がキョロキョロしながら、俺の部屋を見渡す。


「二人共そんなにジロジロ見ちゃだめだよ」


 理帆の性格はしっかりしているので、二人を止めようとする。



「――さて、ゲームでもすっか!」


「……え?」


 意表を突かれた冬矢の言葉に、声を漏らしてしまった。


「いいじゃんっ、やろうっ!」


 しずはが乗り気になり、賛成した。


「光流は何ゲーム持ってんだよ〜。俺サマブラなら強いぞ」


 陸は普段からゲームはしているのか、同じく乗り気だった。


「よーし、じゃあサマブラやろうぜっ」


 冬矢が、部屋にあるテレビの下の棚を漁りはじめ、ゲーム機とコントローラーを出していく。



「――お前はこれなっ」



 冬矢がコントローラーを一つ渡してくれた。


 そうして、ゲームを起動させると流れるようにキャラを選ぶ画面まで進んだ。


 俺は少しだけ視線を上げ、テレビ画面を見た。

 適当にカーソルを動かしキャラを選ぶと、戦闘が始まった。




 …………




 それから一時間半ほどソフトも変えながら交代交代にゲームをしていった。


 落ち込んでいた俺はとりあえずゲームの操作はしたものの、ほぼ全ての対戦で最下位。敗北を喫した。


 途中、母が飲み物だけ運んできてくれたりしたが、その時も俺に声をかけることはなかった。

 今では、その気持ちもわかる気がする。友達に任せたんだろう。



「――もう暗いし帰るか!」



 ゲームで十分に遊び終えると冬矢がそう切り出した。


「もう七時か〜」


 高校生ならまだしも、中学生なら心配する親も多いだろう。

 さすがにこれ以上は遊ぼうとする人はいなかった。


 そうして、それぞれが帰り支度をし始めた。

 だから俺は――、



「――ねぇっ!! なんで怒らないのっ!?」



 俺は立ち上がり、帰ろうとしている皆をその場で呼び止めた。







 ―▽―▽―▽―


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