80話 背中
「光流……ごめんね……ごめんね……っ」
すぐ耳元で聞こえるしずはの囁くような小さな声。
どこかその声が少しだけ震えているように聞こえた。
おぶってもらっていることではなく別のことで謝っているような、そんなごめんねだった。
でもこの意味を聞くなんてことはしない。
多分しずはもそれを望んではいないはず。
「新しいクラスはどうだ?」
「クラス……?」
友達はできたという話はしたが、クラスではうまくやれているだろうか。
「うん、うまくやれてる?」
「心配してくれるんだ」
「当たり前だろ?」
しずはも成長したとはいえ、さっきのナンパの様子を見るとわからない。
男子や女子に何か強要されていないだろうか。
無理やり連絡先とか交換されるようなことはされてないだろうか。
「うん、一応深月がいるからね」
「そっか。もし深月がいないクラスならどう?」
「それは……わからない。自分からは話しかけられないかも」
「ふふ、そこは変わってないんだな」
逆にガンガン喋りかけているしずはもなんか嫌だ。
人が変わり過ぎるのも遠くなった気がするから。
「うん。私、変わったこともあれば、変わってない所もあるよ?」
「そうだよな。でもしずは、凄く変わったよな」
「どんなところがそう思う?」
そういや今までしずはとこういう話を直接していなかっただろうか。
「なんか見た目も前より変わったし、性格も前より明るくなった気がするし。全部良いことだ」
「ありがと……私、頑張ったもん」
しずはの吐息が耳近くにかかる。
小さな息遣いですらよく聞こえた。
しずはの頑張ったという言葉は、よく理解している。
あの手紙の差出人だとわかってからも、尚更理解している。
「うん……頑張ったよな。しずはの努力は全部認めてる。すごいやつだよ」
「光流だって努力してるじゃん。この前の中間テストだって十位以内でしょ?」
俺はついに学年一桁順位まで手がかかった。
勉強を頑張った結果だった。
筋肉以外で自分に誇れるものが少ない中で、これはすごい進歩だった。
忘れてしまったが、俺は何かで一位取らなければいけない気がしていた。
「うん……なんとかね。これキープしてる人すごいよ。そいつらも頑張ってるんだなと思った」
「だよね。どんなことでも上位取ってる人ってすごい努力してるんだよね」
そうだ。
俺が出会った奴らは皆努力してきた。
「そういえば秋森奏ちゃん、俺達と同じ中学にいるんだよ。知ってた?」
「えっ、そうなの?」
知らなかったようだ。
少し前に奏ちゃんにしずはに会わせるために協力すると言っておいて、まだ会わせていなかった。
これはすぐに会わせなければ。
「じゃあ今度連れていくからさ、昼休みでも一緒にご飯食べよう」
「わかった……そっか、奏ちゃんいるんだ……」
しずははどこか嬉しいような、そんな言葉尻で話した。
◇ ◇ ◇
最寄りの駅まで到着し、電車で移動。
少し乗り継いで、自分たちの駅へと到着した。
花火が終わったのは二十時半。
そこからしずはと話してゆっくり移動。
現在の時間は二十二時近くになっていた。
さすがに中学生がこの時間まで外にいては怒られるかもしれない。
俺は電波が繋がってから親へと連絡したので、とりあえずは大丈夫。
しずはも一応は連絡したみたいだが――。
「……わざわざありがとう」
「そりゃこんな夜に一人で歩かせるわけにはいかないよ」
俺は駅を降りてからもしずはを家まで送り届けることにした。
さすがに二十二時では、とてもじゃないが女の子一人では歩かせることはできない。
結局駅を降りてからもしずはをおぶって移動した。
その方が移動も早いし、俺の罪悪感も薄まったから……。
そうして十五分ほど歩き、しずはの家まで到着した。
最初は軽いと思っていたが、長く背負っているとさすがに体力が削られた。
「光流、本当にありがとう」
「ううん、足も大事にしてね。ピアノはペダルみたいなの踏むんでしょ?」
「そうだね、でもすぐ治ると思うから」
家の前でしずはに向けて手を振った。
「そしたらまたね」
「うん……またね」
そうして、しずはは玄関の鍵を開けて中に入っていった。
最後までその姿を見送って帰ろうとしたのだが――、
「光流くん!? ちょっと待って!」
花理さんが玄関を開けて出てきた。
コンクール会場で見た時よりもラフな服装だった。
それもそうだ。ここは家なんだから。
そのはずなのに、ラフな服装を着ても芸能人のようなオーラは隠せていなかった。
「あ……こんばんは。遅くまで連れ回してしまって申し訳ありません……」
なんとなく謝っておくべきだと思った。
「なーに、謝ることないわ! ほら、少しでいいの。上がっていって?」
「え……あ……。家で家族も待っていると思いますし……」
まぁ連絡はしているので、問題はないと思うけど。
「じゃあ私が電話するから! ――どうかな?」
「あ……はい」
勢いに負けてしまった。
俺はスマホで母に電話をかけた。
「あ、母さん? 遅くなってごめん。それでね……しずはのお母さんが電話したいらしくて――」
そうして俺は花理さんにスマホを渡した。
スマホを受け取った花理さんが耳にスマホをかざして話し始める。
「はじめまして。藤間しずはの母親の
電話が終わると花理さんは俺へとスマホを戻す。
少しだけ長かったので、その間しずはと雑談をしていた。
「許可もらったわよ。じゃあ家に寄って行きなさい?」
「じゃ、じゃあお邪魔します……」
「光流、良いの?」
「母さんに連絡とったならもう行くしかないというか」
花理さんに退路を断たれたような状況。
しずはの家に寄るしかなかった。
「じゃあ……いらっしゃい、光流」
しずはは俺を玄関に迎え入れた。
◇ ◇ ◇
まずは浴衣のままリビングに通された。
リビングに入ると、一斉に俺に視線が集まった。
この感覚、いつぞやの謎ダンスガールズに向けられたような視線と同じ。ちょっと恥ずかしい。
「し、失礼します……」
めちゃめちゃ居づらい。
それもそうだ。このリビングには広いとはいえ、しずはの家族全員が揃っていた。
父、母、兄、姉、しずは。兄は初対面だった。
「あれっ、ひ……光流くんだっけ! 超久しぶりじゃん!」
しずはの姉の
彼女はキャミソールにショーパンという水着の次に露出度が高いのではないかという服装をしていた。
夏だから暑いのはわかるが、さすがに目に毒だった。
「お久しぶりです」
軽く会釈をして、足を進める。
「お姉ちゃん上着着てよ」
「私いっつもこの服なんですけど〜」
「お客さん来てるじゃん」
「まぁまぁ私は気にしないから」
「こっちが気にするのっ!」
姉妹らしい会話だ。
と言ってもしずはとは十二歳離れている。初めて会った時から約四年経過した。
つまり現在は二十六歳くらいだろう。
「光流くん、とりあえず麦茶出すからソファに座ってもらえるかしら?」
「わかりました」
久しぶりのしずはの家、昔来た時に置いてあったL字型のソファがまだそこにあった。
ソファには夕花里さんが先ほどまで寝転んでいたが、今は起き上がっている。
そしてソファの横にあるビーズクッションの上にしずはの兄と思われる人物が天井を向いて寝転んでいた。
「――やぁ」
兄が寝転んだまま口だけを動かし挨拶した。
メガネをしているのだが、寝転んでいるせいかメガネがずれている。
今だけでも外せばいいのにと思ったのは俺だけではないだろう。
「始めまして……」
軽く会釈して兄へ挨拶する。
不思議な人だ。マイペースというか。
「お兄ちゃん……人が挨拶してるのに寝転んだままじゃ失礼じゃん」
「今お兄ちゃん疲れてるんだ。このままにさせてくれ」
今日は何をして疲れたのかわからないが、疲れているならしょうがない。
バイオリンをやっていると聞いていたが、もしかすると練習でもしていたのだろうか。
「さっきまでゲームしてた人が何を言ってるんだか」
「ゲームだって疲れるだろ〜」
夕花里さんが指摘。兄はゲームをしていたらしい。
大人になってもゲームを楽しめるのは良いことだ。
「光流、変な人ばっかでごめんね」
「ううん。個性的だよね」
「それを変な人って言うんだよ」
せっかく俺が柔らかい言い方にしたのに、それを打ち消してくる。
「これがお兄ちゃん。
「うん。紹介ありがと」
ということは夕花里さんが一番上なのか。
しずはが紹介すると、夕花里さんがピースしてくる。昔からこのテンションは変わっていないようだ。
「お父さんはいいよね」
「お父さんも紹介してよ〜」
父親の紹介をスルーしたしずはに対して父親が駄々をこねるように反応する。
昔ちらっと見た時と変わらず、ちょっとだらけたような印象の人。
髪が長く髭も生えているがよく見るとイケメン。
「……お父さんは
「うん。聞いたと思う」
「光流くんゆっくりして行ってね」
確かギターの部屋を案内された時に透柳さんと遭遇した。
優しい印象だった記憶がある。
俺はソファに座ると、花理さんが麦茶を持ってきてくれた。
「はい、こっちはしずはの分ね」
「ありがとうございます」
今回は花理さんに呼ばれたわけだけど、結局何を話せば良いのだろうか。
アウェー過ぎて話すことがない。
「お母さん、そう言えば、鼻緒切れちゃったよ」
「あら、やっぱり古かったのかしら?」
「光流がいなかったら大変だったよ」
「そうなの。光流くん助かったわ」
花理さんもソファの前にあるテーブルに座って、一緒に会話するようだった。
透柳さんはダイニングテーブル、創司さんはビーズクッション。
俺の近くには花理さん、夕花里さん、しずはがいた。
「いえ、俺が原因なところもありますから」
「何があったの?」
しずはが俺の代わりに花火大会であったことを説明した。
「なにぃ! ナンパだと!? どこのどいつだ!」
「透柳ちゃんは黙ってて」
「はなぁ〜」
しずはの両親は互いを愛称で呼んでいた。
恐らくもうすぐ五十歳手前だというのに、とても仲が良さそうだ。
「……でもこれくらいの怪我ならすぐ治るだろうし気にすることないわ」
「そうなら良いんですけど」
花理さんもしずは同様に俺に非はないと言ってくれる。
それはそうだが、そもそも一人で行かせたという点に置いてはまだ罪悪感がある。
しずはをおぶって運んだことで少しは薄れたが。
「光流くん、何か部活とかやってないのかい?」
透柳さんが遠くのテーブルから声を飛ばして聞いてくる。
「そうですね。特に部活は……」
「そうかそうか。なら
「えっ!?」
聞き捨てならない言葉が聞こえた。
付き合ってくれるという言葉ではない。『お風呂』とはどのような意味だろうか。
「お、お風呂ってなんでしょうか!?」
透柳さんにその発言の意味を聞いた。
「――今日泊まるんだろ?」
「「えぇっ!?」」
そんなこと一言も聞いていない。
隣にいたしずはも驚いていた。
「さっきはなが言ってたぞ。相手の親御さんに連絡したって」
「花理さん!?」
「お母さんどういうこと!?」
花理さんが電話している時、少し長そうだったので俺としずはは雑談していた。
その時に母と話をつけていたのか。確かに明日は日曜日で休みだけど。
「夜も遅いし良いじゃない。そうと決まれば先にお風呂行ってきなさい。お湯も溜めてあるから」
花理さんは結構強引な性格らしい。
俺はしずはの顔を見つめた。
しかし、しずはは視線を膝に落とした。
「うちの母さんが大丈夫と言ったなら……そうさせてもらいます」
「寝巻きは創司の貸すから……良いわよね?」
「あ〜」
ビーズクッションの上で返事とは言えない返事をした創司さん。
この人絶対バイオリンやってる時とギャップあるだろ。
結局俺はしずはの家に泊まることになった。
今日という日はどうにかしてる。
さすがに家族ではない五人相手のアウェー空間では、自分の意見も言えるはずもなく、流れに身を任せるしかなかった。
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