65話 Sonata
「やっぱり
若林の演奏を聴いて、冬矢が息を呑む。
「あんな凄い演奏にしーちゃんはいっつも勝ってきたんだよね……」
「あの子も前より……言葉にはできないけどうまくなってるよね」
千彩都と開渡が彼女の実力に関心する。
会場の雰囲気だけでも奏者の評価がすぐにわかってしまう。
素晴らしい演奏は体が勝手に動き、拍手をしてしまう。
前回同様に、若林は観客から大きな拍手をもらっていた。
『最後は
「きたっ」
千彩都が呟く。
二回目とはいえ、俺達は皆緊張した面持ちになっていた。
一年半前のあの日、しずはにあげてしまったチャンス。
それによって、余計なプレッシャーを与えていないかと心配になる時があった。
でも普段のしずはを見ているとそんな様子はなかった。
どこか安心する自分もいたが、絶対に努力はしているとも思った。
初めて泣いたしずはを見た時、本気で努力できる人なんだと感じた。だから今回はあの時以上に努力をしていると俺は確信している。
ちゃんと、見てるからな。
それにしても「熱情」か……。
…………
しずはが壇上に上がり、一礼をしてからピアノの椅子へと座る。
やはり、しずはの姿勢は今までの誰よりも美しく見えた。
鍵盤の上へと指先を置き、準備が完了した。
俺達は一同にゴクリと息を呑む。
――すると、しずはの細い指先が動き出し、最初に大きな音が出た。
俺達はその瞬間に鳥肌が立ったようにゾクっとして、体を硬直させられた。
力強いような優しいような大きな音の後は、指の動きがわからないくらいの速度で、鍵盤が押し引きされる。
腕の交差、両手の五指全てを使った指のダンス……どうしたらあんなに指が動くのか。
上半身の鍵盤を押し込む動きに合わせて、前よりずっと輝いて見えるしずはの髪がつやつやと煌めく。
その容姿も演奏も、会場全体の視線を一斉に集め、虜にしていく。
「は……はは……」
俺は目を見開いて、どうしようもない感情を漏らす。
わからない。ピアノの演奏はやっぱりわからない。でも、一年半前より凄いってことだけはわかる。
長く流れるような髪の隙間からしずはの横顔が見える。
あの時と同じだ。なぜか笑っているように見える。他の奏者は全員が真面目な顔をしていたのに、しずはの表情だけは違った。
ハイになっているのか。それとも好きなピアノを弾いてるからなのか。それとも他に理由があるからなのか。
後半に差し掛かると一瞬ゆっくりとした柔らかい音色にチェンジする。しかしそれも束の間、またもや指の動きが追えないほどのスピードで鍵盤が押し込まれていく。
こんなに長い時間、あんな指の動きで弾き続けられるなんて凄すぎる。
見ているだけでこちらの指がつってしまいそうだ。
そうして終盤、もうこれ以上は速くならないかと思われた指の動き……さらにスピードが上がった。
誰にも止めることのできない彼女だけのステージ。壇上を照らすあのスポットライトはしずはのためだけにあったのではないかと思ってしまうほどに、彼女を輝かせていた。
クライマックス――最後の最後に『ジャン……ジャンッ……ジャンッ!!』と力強い鍵盤の音が数回聴こえた。
しずはのこめかみから顎に向かってキラリと一雫の汗が滴る。
演奏を終えたしずはがゆっくりと立ち上がり、客席を向いて一礼した。
『ワァァァァァァァッ!!!!!』
超人気ロックバンドの大ステージかと思うくらいの拍手がホールに響き渡った。
今日最後の演奏だからか、格式の高いコンクールのはずなのに、皆立ち上がりスタンディングオベーションをしていた。
「ぁ……ぁぁ……」
前が見えない。
俺……泣いてんのか……? 泣いたのは久しぶりかもしれない。
いつぶりだろう。ルーシーが目覚めたと聞いた時以来だろうか。
俺は、拍手することさえ忘れて、ただただ、涙を流していた。
視線を横に移動させる。
「あぁ……あぁ……だめ……もう……っ」
千彩都は涙腺崩壊していた。去年以上に泣いていた。持っていたハンカチを顔全体にあてて、涙と鼻水が溢れないように必死で抑える。
冬矢、開渡……千彩都ほどではないが、目頭を手で抑えていた。
言い方は悪いが、こいつらにも心はあったんだなと思った。
なぜ俺達はこんなにも泣いたのだろう。
一つだけあるとしたら、少なからず、しずはが努力していたということを知っていたからだろうか。
「うぅ……うぅ……このっ……あいつ……っ」
どこからかすすり泣く声が聞こえてきた。後ろを振り返ると若林がいた。
客席で聴いていたらしい。
彼女はしずはの演奏に感動したのか、もしくは悔しくてなのか、ともかく号泣していた。
そして、長く一礼をしたしずは。
一年半前、やりきったはずの表情をしているかと思ったのに、悔しそうな表情をしていた。
俺は願う。俺の望む表情をしていてほしいと。
俺はしずはの表情に注目する。そして――、
――顔を上げたしずはは、やりきった表情をしていた。
◇ ◇ ◇
俺達は、審査が終わるまでの時間、その半分くらいは余韻で泣き続けていた。
「あ〜、やばい。わけわかんねぇ」
「わかる。わけわかんないんだけど、泣いちゃうんだよな」
冬矢と開渡が、意味不明な意見で通じ合う。
まぁ俺もだけど。
「はぁ〜〜。しーちゃんあんなに頑張ってたもんね。凄いよ。どんどん遠くに行っちゃう」
やっぱり千彩都はしずはが頑張ってたことを知っているようだ。
恐らくこの中で一番詳しく知っているんだろう。
「というか、あれ小学生レベルなのか……?」
冬矢が呟いた。それは俺も思っていた。
ピアノについて何もわからない俺達だけど、あんなとんでもない演奏を小学生が弾けるものなのだろうか。
正直、小学生の域を先の先まで超えているような気がする。
「そうだよね。あんなの小学生が弾けるなんて思えないよね」
「君たち……しーちゃんのこと全然わかってないですね。彼女は君たちが思うよりずっと凄いのだ」
俺のつぶやきに、千彩都がいつもとは違う喋り方で答える。
「そっか、そうだよな……」
人の感情をこうやって動かすことのできる演奏って凄いよな。
人の感情を動かす……感情を……。俺は何か引っ掛かった。悪い方向ではなく、良い方向にだ。
でも今は、それが何かわからない。
◇ ◇ ◇
全ての演奏が終わり、そして審査の時間も終了。
授賞式が始まった。
前回同様に審査員賞や五位から名前が呼ばれていった。
ここまでしずはの名前は呼ばれなかった。
そして三位。
『第三位は…………
会場は壇上の奏者に拍手を送る。
前回もそうだったが、この瞬間が一番緊張する。
千彩都はまたもや両手を握り合わせて祈るようなポーズをしていた。
俺も膝の上に手を置いて、スーツの裾をクシャッと握る。
『第二位は……
「――――ッ!!」
俺達は全員歯を食いしばるような表情をしていた。
心臓の音が大きく聞こえる。
バクバクと心臓が暴れまわり、痛いくらいに鼓動が早まる。
「二位は深月ちゃんか……」
この時点で、若林の名前が呼ばれたことに少しは安堵する。
でも、しずはが最後に呼ばれるとは決まっていない。
頼む。
そしてついに司会から最後の名前が呼ばれる。
『全日本ジュニアピアノコンクール……第一位は――』
頼む、頼む、頼む。
あいつを笑顔にしてやってくれ。
『――
「…………」
「はぅ…………っ」
息が詰まる。
「藤間……しずは……」
「やったやった!!! やった!!! しーちゃん!!!!」
『パチパチパチパチパチ!!!!』
静寂の後、ホール全体から惜しみない、そして観客全員が彼女の演奏が一番だと認める、最高の拍手を送った。
「やっ、た……」
俺は体全体の力が抜け、背もたれにガクッと背中を預けた。
「はは……とんでもないぜ、あいつ」
本当に心臓に悪い。もしかして毎回こうやって聴きにくる度にこんな思いしなきゃいけないのか?
それはそれで辛いような気もする。
そして、前回と同じようにしずははトロフィーと賞状、小さな封筒を二つもらっていた。
一つは賞金だろう。
しずはは壇上では良い表情をしていた。
あとは、あとは……しずは自身が満足した演奏ができていたかだ。
それを確認する必要がある。
全てのプログラムが終了。
俺達はホールを出た。
ー☆ー☆ー☆ー
この度は本小説をお読みいただきありがとうございます!
もしよろしければ小説トップの★レビューやブックマーク登録などの応援をしていただけると嬉しいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます