61話 本気

「ぅーしぃー……んん、ん……」


 俺は目覚めた。ゆっくりと重い瞼を開く。

 お昼に飲んだ風邪薬が効いたのか、俺の全身からは汗が出ていた。パジャマにべっとり汗がついていて少し気持ち悪い。着替えたいな。


 天井を見上げると部屋は豆電球の明かりだけで薄暗かった。

 そこでふと気づいた。なぜか右手だけ少し温かい。


「……光流、起きた?」

「あ、あれ? しず、は……?」


 頭を横に向けるとベッド脇にしずはがいた。


「光流、うなされてたよ。うなされてたって感じじゃなかったけど、独り言喋ってた」

「な、なにそれ」

「おしえなーい。後で光流を脅すネタとしてとっておくんだから」

「なんだよそれ。俺の弱み握ってなにするつもりだ」

「しーらない」


 俺、何を呟いていたんだろう。というか、夢……のようなものを見ていた気がする。でもほとんど覚えていない。

 覚えているのは、誰かが俺の手を握っていてくれてて、あとは……あとは……なんだっけ?


「そういえば、みんなは?」

「まだリビングで遊んでるよ。私はトイレ行くついでに光流の様子見に来た」

「そっか、ありがとね」

「ほら……おでこ」


 するとしずはは、ベッド脇にあったタオルをとって、俺の額に手を伸ばして既に冷却効果を失っていた冷却シートをとった後に汗を拭いてくれた。


「悪い……」

「びっしょりだね。着替えないと」

「体育の時間より汗かいてるかも」

「確かにそうかもね」


 タオルで俺の額を拭いてくれたしずは。まだじっと俺のほうを見つめてくる。


「私、着替えさせてあげようか?」

「ええ!?」


 別に裸を見せることはそこまで気にしないけど、着替えをさせるってのはちょっと恥ずかしい。

 少し熱が下がったからか、それくらいは自分でできると思う。


「どうする……?」

「あ、さすがにそれは自分でやるよ。気を遣ってくれてありがと」

「そっか……」


 俺はベッドから上半身を起こし、タンスに入っているパンツと着替えのパジャマを取ろうとベッドから足を下ろした。

 そうして、タンスのほうへ足を踏み出した時だった――、


「きゃあっ!?」


 熱の影響でまだ足に力が入らなかったのか、その場で足をもつれさせてしまう。すると目の前にいたしずはを押し倒すように倒れてしまった。


「ひ、ひかる!?」


 しずはは仰向け状態で、俺はうつ伏せ状態。しずはの上に覆いかぶさるような形になっており、俺の顔はしずはの肩の上にあった。


「ちょ……さすがにこれは早いというか……」


 しずはは意味不明な言葉をつぶやき、ちょっと恥ずかしがっていた。


「ごめん、まだ体万全じゃないみたい」

「あ……そうだよね! 風邪だもんね! 仕方ないよね!」


 しずはは焦ったように慌て始める。


「っていうか、いつまでそこにいるつもり!? さすがにどいてほしい!」


 女子に覆いかぶさり密着した状態。さっきまでの態度とは違い、さすがのしずはでも怒りが湧いてきたようだ。


「悪い、まだ力入らなくて……」

「え!? まだこのままなの!? このままじゃ――」


 そんな時だった。


「よお〜光流。そろそろ俺ら帰るぜ……って、おいおい」


 ノックもなく扉が開き、冬矢たちが俺の部屋に入ってきた。そして、俺がしずはに覆いかぶさっている状況を見下ろす。


「あら〜〜〜〜」

「光流、大胆だな」


 色々勘違いしている二人は放っておいて、俺はとにかく助け出してほしかった。

 気力がないために、弁明することすら面倒くさい。


「力、入らないんだってば……持ち上げてくれ……」


 俺はしずはに全体重をかけながら、まだ痛い喉を動かし声を絞り出した。




 ◇ ◇ ◇




 その後、冬矢と開渡が倒れた俺を起こしてくれた。


「しずは、ごめん」

「こ、このくらい気にしない! 早く着替えなさいよ」

「うん。ありがとね」


 玄関まで行くのがまだつらいので、俺は部屋の扉の前でみんなを見送ることにした。


「今日はお見舞いと鞠也ちゃんと遊んでくれてありがと」

「いいってことよ」

「元気でいい子だったね」


 鞠也ちゃんは楽しく冬矢たちと遊べたようだ。

 まぁ女の子の扱いなら冬矢がいればなんとかなるとは思ってたけど。


「じゃあ治ったらまた学校でな〜」


 そうして、俺が着替える前にみんなが俺の家を後にした。




 ◇ ◇ ◇




 冬矢たちが四人並んで帰っている途中のこと――、


「しずは、押し倒されてどうだった?」

「はぁ!?」


 冬矢がしずはに対して、光流に押し倒されたことを聞く。冬矢自身も事故だったとはわかっているが、茶化して聞いた。しずははキレ気味で冬弥に顔を向ける。


「だってなぁ?」

「しーちゃん、私も聞きたい」


 冬矢はともかく、いつも味方である千彩都までもしずはの感情を知りたいようだった。


「そんなの、いきなりでわからないよ」


 しずはは下を向きながら少し顔を赤くして答えた。

 この場にいる誰もがしずはの気持ちに気づいている。気づいているからこそ、微妙な気持ちにもなる。光流は既にずっと忘れられない女の子がいることは共有されているからだ。


 このしずはの恋心が成就するのか、勝算は今のところ低い。だからといって諦めたほうが良いなんて言えるわけがないし、どちらかと言えば冬矢を除いた二人はしずはの気持ちを応援したい姿勢だった。

 冬矢の場合は、いつどんな時でも光流の味方だ。だから光流を応援してるし、一時的に別の人に味方しても最後には必ず光流の味方になる。


「でも嬉しかっただろ?」

「それは……わからない。だって……」


 しずはも光流の中に別の女の子がいるのは十分に知っている。

 さっきだって、一人で寝ている光流の側にいた時も『ルーシー』と何度も寝言を呟いていた。夢の中までに出てくるなんて、尚更勝ち目が薄い。


 だから少しでも夢に対抗しようと、寝ている光流の右手を起きるまでずっと握っていた。


「みんなだってわかってるでしょ? 光流の中には別の……」


 三人が顔を見合わせる。いつもは千彩都にだけ心中を明かしていたが、男子が目の前にいる状況でこうして恋愛相談をすることは初めてだ。

 最初は冬矢が茶化した話から始まったが、それが逆に前よりも吐き出せる場所を増やせたのかもしれない。 


「まぁ、なぁ……」

「でもウジウジしてもしょうがないでしょ?」

「詳しいことはわかんないけどさ、難しい問題だよなぁ……」


 これが三角関係というものなのだろうか。小学生の彼らにとっては、まだまだ理解が追いついていない。


「冬矢はどうなの。いっつも色んな女の子と遊んで」


 恋愛先駆者である冬矢に意見を聞くしずは。冬矢はこの歳にして、何人かの女子と付き合ったことがあるという噂がある。それが良いことだとは思っている人はこの場にはいないが。


「俺はな、光流とは違ってあんなに重い感じには付き合ったことないからな」

「じゃあ適当に付き合ってるの?」

「まさか。色んな女の子とはやりとりはしてるけどな。彼女はいつだって一人だぜ? そこはちゃんと線引きしてんの」


 冬矢は冬矢なりのルールがあるらしい。それで相手の女の子が不幸せにならなければいいけど。


「俺が言えるのは、光流以外の男子とも遊んでみてもいいかもってことだな。まぁお勧めはできないが」

「お勧めできないなら言わないでよ」

「俺の目から見るとな、他の男子と遊んでもそう簡単に気持ちは変わらないと思うけどな。結局光流の良さをその相手を比較してより良く見えちゃうのがオチだな」


 小学生とは思えない恋愛理論。どこからこういうことを学んでいるのか全くわからない。

 ただ、姉妹がいる男子は女子の扱いがうまいというのはよくある話だ。冬矢には二人の妹がいるために、そこで何かを学んでいるのかもしれないとしずはは思った。

 ただ、自分にも兄がいるが、冬矢ほど恋愛については学べていないと感じている。それは歳が離れすぎているからかもしれないが。


「まぁ、これは光流には悪いけどさ、今がチャンスってことだけは確かだ」

「チャンス? なんで?」

「光流の想い人はアメリカなんだろ? いつ戻って来るかもわからないし、相手が光流をどう思ってるかもわからない。ならその間に近くにいてやれるのは、光流の友達くらいじゃん」

「そっか……」


 これもよくある話かもしれない。お互い想い合っているのにもかかわらず、遠距離でいることが理由でその間に他の異性に取られるという話が。


「でも、なんか……ね……」

「しーちゃんにはそういうがっついたの似合わなそうだよね」


 しずはの微妙な反応に、千彩都がしずはの性格からの意見を言う。


「ちょっといいか?」

「うん」


 そこで開渡が珍しく自分の意見を述べようとする。


「俺が言える立場じゃないけど、後悔するのが一番良くないと思うんだ。相手の気持ちを大切にすることも大事だけどさ、そのために自分の気持ちを抑えてたってしょうがないと思う。相手が嫌って言うまでは……良いんじゃないか?」

「そう、なのかな……」


 開渡の主張は筋の通ったものかもしれない。例え叶わなくても、気持ちを伝えることは止めなくてもいい。そう言っている。


「俺らはさ、みんなスポーツやらピアノしてるだろ? 多分みんな本気でやってるじゃん。それってそれが好きだったり、後悔しないためだったり、勝ちたいからとかだよね。なら恋愛も同じなんじゃないかな」


 しずはは、開渡の言葉を聞いて、心の奥底から何かがブワッと吹き出そうになり、熱くなるのを感じた。

 恋愛もその相手が好きなら、本気で取り組む。好きになってもらう為に自分が変わったりチャレンジする。


「スポーツもそうだけど、努力しても結果に繋がらないこともたくさんある。恋愛も同じはず。いくら努力してもうまくいかない時もある。けど、努力しないよりはしたほうが、後で心の整理がつくでしょ。本気で取り組まなかったら絶対後悔するよ」

「お前……たまにめちゃめちゃ良いこと言うな……やっぱ千彩都と付き合ってから変わった?」

「付き合ってないって、な?」

「そうだね。いっつも一緒にいるだけだよ」


 冬矢が開渡を褒めて、そのついでに千彩都との交際を聞いたが付き合っていないという。

 ただ、付き合っていてもおかしくない距離感、普段の付き合い。付き合うまで秒読みだろうと冬矢は思っていた。


「しーちゃん、どう? 開渡の話聞いて」

「うん……なんか、変わってやろうって、思ったかも」

「よしっ、ならさ、色々やることあるじゃん! 見た目努力してもっと可愛くお洒落にするとか、ピアノもっと頑張るとか、他にも色々!」

「うん……そうかも!」


 しずはの少し暗くなっていた表情も、今では明るく、そして力強い表情をしていた。


「じゃあ、しーちゃん改造計画だね!」

「俺はあくまで光流の味方だからな。でも、しずはの気持ちもわかる。頑張れよとしか言えないけど」

「良いよ。私が勝手に頑張るだけだから」

「まぁ、もしダメだったら良さそうな男紹介するから、いつでも言ってくれ」

「冬矢の友達だけはなんかイヤ……」

「俺には光流と開渡っていう最高の友達がいるだろ」

「この二人だけでしょ。マトモなの」

「もう〜信頼ないなぁ」


 冬矢の男子紹介は、しずはにとっては、今全く必要のないもの。いつかは必要になるかもしれないけど、今は違う。しずはの目には光流しか映っていなかった。


 心の内で明日からまた頑張ろうと意気込むしずは。あの、ピアノコンクールの時のように、また何かがしずはの中で燃え上がっていた。





 ー☆ー☆ー☆ー


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