3話 家族

「お嬢様っ!! 光流お坊っちゃんっ!!」

「今救急車を呼びましたからねっ!!! 後少し、少しだけ辛抱してくださいっ!」


 氷室と運転手の須崎の叫び声が聞こえる。


 ここはどこだ? 何があった? 体が冷たい、痛い……なんで?


 真っ暗な視界を必死にこじ開ける。少しだけ目に差し込んできた光。

 薄目の状態から目だけを動かして周囲を確認してみる。


 すると動かした目の右の方を見てみると道路の上のようだと判明した。

 グシャグシャになった黒い車とトラックが見え、一部炎上しているようだった。

 さっきまで車に乗っていたはずなのに、ずいぶんと遠くに車が見えた。つまり、俺は結構な距離を吹っ飛ばされたということだ。


「絶対助かります!! 絶対です!! あなた方は幸せになる為に生まれてきたんです!!」

「神様……いるなら、二人を助けてくれっ! お願いだっ……!!」


 氷室と須崎が近くにいて、必死に呼びかけている。


 すると、俺の体のどこからか血が出ているのが確認できた。地面が真っ赤に染まっていたからだ。

 でもどの部分から血が出ているのかわからなかった。なぜなら俺は体を動かせなかったからだ。


 あれ、俺、何してたんだっけ? 車の中でルーシーと抱きしめ合って、ルーシーが最後に何かを俺に伝えようとしてきて。

 …………ルーシーだっ!! ルーシーはどこだ? ルーシーは? 俺がこんな状態だ。ルーシーは、ルーシーは……!


 俺は、右側を見ていた瞳を左側に動かした。



 ――ルーシーが俺の腕の中にいた。



 正確に言えばルーシーは俺の左腕の上にいた、

 俺は仰向けに転がっていて、天井を向いていた。だから抱きしめていた形ではない。しかしルーシーを離さないと必死に庇った結果がこうなったのではないかと予想できた。


 ルーシーの様子がわからない。でもルーシーはピクリとも動かない。

 ルーシー、生きてるのか? だめだ……死んじゃだめだ。ルーシーは絶対幸せにならなくちゃいけない人なんだ。


 やっと前向きになれて、初めての友達ができて、幸せの一歩を踏み出したばかりなのに……。もし病気が治ったらメイクしたいって言ってたじゃないか。将来の夢はお嫁さんだって言ってたじゃないか。

 ルーシーは幸せになるんだろ……おい、ルーシー、動けよ! ルーシー!!


「……か、ぅ……」


 小さな、本当に小さな声が聞こえた。


「……ぅーぃぃっ!!」


 俺はそれに気づくと、必死に声にならない声を絞り出す。


「ぅーぃぃぃっ!!!! ぅーぃぃぃっ!!!!」


 恐らく誰も俺が"ルーシー"と言っているとはわからないだろう。唸り声にしか聞こえないといってもおかしくはない。

 そんな声を俺は出していた。


「ぃ……か、ぅ……ぃか、る……だい……す……」


 それ以上ルーシーの声は聞こえなかった。




 ――俺の意識はそこで、再度暗転していた。





 ◇ ◇ ◇





 次に意識を取り戻した時は、病室にいて、体にチューブが繋がれていた。

 体は包帯だらけで、少しずつ痛みを感じていった。


「ルー……シーと、一緒だ……」


 俺は自分の包帯だらけの姿を見て、ルーシーと一緒になれたんだと、なぜか喜んでしまった。


「光流っ!!! 光流っ!!!!」


 病室には父親と母親と姉がいたようで、俺の意識が回復したとわかるとすぐさまナースコールを呼び、医者もやってきた。


 医者の話によれば、打撲や裂傷からの流血は多いが、幸い臓器が傷ついた部分もなく、頭部も損傷はないとのことだった。

 ただ血も失っていたそうなので輸血が行われ、腕が少し骨折しているらしかった。体は動くようにはなるけど、しばらくは安静にしてほしいとのことだった。


 その後、俺は意識が回復したことで、ある程度喋れるようになっていた。

 あの事故から既に五時間が経過しており、もう病室の窓の外は暗くなっていた。


「心配かけてごめん……」

「いいのよ、いいのよっ!! 生きてるんだからっ!!」


 母親は大粒の涙を流し、俺の指を優しく握り締めていた。俺の両手には包帯が巻かれていて、指だけが露出していた。だから母親はそこを握りしめていた。


「ルーシー……ルーシーは?」

「ルーシー、さん? 誰のことかしら……」


 そんな時、病室に三人の人物が入ってきた。一人は見覚えがある人物、氷室だった。


「いきなり失礼します。私は宝条勇務ほうじょういさむという者です」


 三人の内の氷室ではないスーツ姿の男性が、俺の父親に名刺を渡して自己紹介をしてきた。

 宝条という名前だけでルーシーの父親だと俺は理解した。


 少し大柄の黒髪オールバックでメガネをしていた。ということは隣の女性は奥さんか。ハーフと言っていただけにルーシーと同じくブロンドの金髪でルーシーに似ていて凄く美人だった。そしてなぜか着物を着ていた。


「そして、妻のオリヴィアと執事の氷室です」


 ルーシーの母と氷室が一礼する。


「丁寧にありがとうございます。こちらはちょっと名刺はないのですが、私はこの九藤光流の父親の九藤正臣くどうまさおみと申します。こちらが妻の希沙良きさら。娘の灯莉ともりです」


 父と母と姉が一緒にペコリとお辞儀をする。


「それで、どのような用事でしょうか?」


 俺の父はルーシーの父に質問をする。


「はい。話によれば、私共の車にうちの娘とそちらの光流くんが一緒にいたところ、トラックに衝突されてしまったということです。ですので、まずは謝罪に参りました」


 ルーシーの父はこちらに対して深く、深く頭を下げる。

 なんで? ルーシーのお父さんが謝ることなんてないのに。


「そうでしたか……それは……」

「遊ばせる場所をもっと考えていればこのようなことには……」

「謝ることないです!! ルーシーのお父さんですよね!? ルーシーは! ルーシーはどうなったんですか!?」


 俺は父同士の会話の中、邪魔しちゃいけないと思っていたので、我慢していた。しかし結局我慢できずにルーシーのことを聞いてしまった。


「光流くん……こんな形で初対面をすることになるとは……もっと別の形で会いたかった……」

「いいんです! 謝ることなんてないです! それよりルーシーのことをっ!!」


 もう俺はルーシーのことしか頭にない。


「ルーシーは……生きては、いる……。同じ病院の別室で治療を受けている。ただ……」

「ただ……?」

「未だに目覚めていない……医者が言うには、事故の衝撃で両方の腎臓にダメージがあったようで、一部摘出、さらに移植も考えないといけないと言われた」


 何を言っているのか、全くわからなかった。


「それは、どういうことなんですか!? ルーシーはちゃんと目覚めるんですかっ!?」

「目覚めてほしい……だが、かなりの困難を極める手術のようだ。さらに健康な腎臓が必要だと言われた。しかもこの小さな体に適合する腎臓が必要らしい。そして今十歳のルーシーに適合するような腎臓は近くにはないそうだ」


 似たようなことを聞かされたような気がする。結局俺には理解できなかった。当たり前だ。この時の俺は十歳だからな。

 でも最後の『ない』という言葉に俺はどこか悲しさを感じた。


「ルーシーが助かるにはどうすればいいんですか!? 俺、何でもします!! だから! だからぁ……ルーシーを……ルーシーを……助けてやってくださいぃぃ……」

「光流……あなた……」


 俺はベッドで動けない体のまま叫ぶ。最後の方はもう涙が出てきて、声を震わせながら叫んでいた。

 その様子を見て、母がまた涙を見せる。姉は母の背中を擦っていた。


「それは……光流くんの腎臓をルーシーに移植するということか……? 光流くんも十歳だったな……それなら……いやしかし、こんな傷だらけで……」

「ご、ごめんなさい……俺にはルーシーのお父さんの言ってることがわかりません……」

「そうだな……すまん。私もまだ心の整理ができていなくてな……」


 ルーシーの父は頭を抱えながら、かなり迷っていた。


「光流……お前はその、ルーシーさんという人とはどういう関係なんだ?」


 父が俺に質問してきた。俺はこの一週間のことを一切家族に話していなかったのだ。いつか話そうとは考えていたが、結局話さずにいた。


「会って一週間くらいなんだけど、こんな短い時間で信じられないかもしれないけど……みんな、家族くらい俺の大切な人……」

「そこまでなのか……でもお前のその言葉だけでも伝わってくるものはあったぞ」

「父さん……」


 父もルーシーの父と同じように少し考え込む。そして一つの提案をした。


「宝条さん、まずはうちの息子の腎臓が、ルーシーさんに適合しそうなのか、お医者さんに聞いてみませんか?」

「お父さん、本当に言ってるの!? それ、腎臓が一つなくなるってことだよ? わかってる?」


 姉が父の提案に少し反論する。姉は現在、中学一年生だ。正直頭はかなり良い。


「あぁ。でもルーシーさんが助かるには、恐らくそれしかないんだろう。光流の話からも光流自身、それを望んでいる」

「はい……これは、私だけでは決断ができないことです。九藤さんの家全体でも話し合うべき内容でしょう」


 父も頭は回る人物だ。この少ない会話の中で両者が望んでいることを話す。

 そしてルーシーの父も同じような印象だ。


「父さん、母さん、姉ちゃん。俺、ルーシーが助からなかったら絶対一生後悔する。だから、やれることは全部やりたい。俺の命は俺だけのものではないのはわかってる。だけど、だけど……俺はルーシーを救いたいんだ」

「光流……あんたってやつは……」


 姉が頭に手をやって、涙を零す。うちの家族はみんな本当に良い人たちだ。


「わかりました。それでは、こちらの方で医者に話してみます。その後またお知らせにきます」


 そうして、三人は俺の病室を出ていった。

 しかし、三人が出てから、一人だけ病室に戻ってきた。氷室だ。


「少し、失礼します……」

「はい……」


 氷室は父に一礼し、俺の元まで近づいてきた。そして、母が触れたように指の部分を掴んで話し出す。


「まずは謝罪を。あの時、もっと私達が警戒していれば、あの場所に駐車していなければと思う次第です。でもまずは光流坊っちゃんが生きておられてとても嬉しく思います。お嬢様が最近変わられたのは、光流坊っちゃんのおかげです。本当に感謝しています」


 最初は"九藤坊っちゃん"だった氷室もこの一週間の中で"光流坊っちゃん"と呼び名を変えていた。


「いえ……氷室さんも謝ることないです。僕はただルーシーと仲良くなりたくて一緒にいただけですし」


 事故なんていつどこで起こるかなんて予想できるわけがない。聞いた話によれば、パーキングメーターという合法的に路上駐車できるエリアに黒い車を駐車していたらしい。そこにトラックが対向車線を飛び越えてきて、さらには運転手がなんとかしようと急ハンドルを切ったお陰で一気にカーブしてきたそう。

 普通なら絶対に車の横から当たるわけがない進入角度で、俺とルーシーがいた車の横にトラックがぶつかってきたということだった。


 ちなみに運転手は座席が高い位置にあったお陰で無事だったんだとか。正直トラック運転手には恨みなど最初からなかった。ただ俺はルーシーが助かればいいという想いでいっぱいだった。


「はい……はい……。私はお嬢様と光流坊っちゃんがまた一緒に笑い合っているのを見たいです。こんな老齢になって、また新しい喜びができるとは思ってもみませんでした。光流坊っちゃんはお嬢様だけでなく、私の人生も輝かせてくれました。ただ、腎臓の件に関しては十分にお考えください。宝条家からそれをお願いする、ということはできないでしょう」

「氷室さん。俺はもう決めてるよ。正直家族が反対しても、ルーシーを助けたい。じゃなきゃ、俺、生きてる意味ないよ」


 氷室は涙が落ちないように目を擦る。


「そんなこと、まだこんなにお若い少年が言うべき言葉ではありません。私のような死にぞこないが言うべきものです。私はあなたの六、七倍は生きてきています。私より先に死ぬことは、絶対に許しません」

「うん。ありがとう……。じゃあ尚更だね。ルーシーだってここで絶対に死ぬべきじゃない」

「…………クッ……うっ……」


 『はい』とは答えられない氷室。そう言えば俺に腎臓を提供してくれと言っているようなものだからだ。

 必死に氷室は言葉を抑えていた。


「では、私はこれで失礼します」


 そうして、氷室が病室から出ていった。





 ー☆ー☆ー☆ー



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