どうやったら小説が売れるのか

 年10冊出せば高収入、という机上の空論を前回はいけしゃあしゃあと書いた。

 しかし気を落ち着けて現実世界を観察してみれば、年10冊書いて年収700万円の作家なんて実在せず、むしろ3万部か4万部出る本を年に3冊ほど書いて年収700万円という作家の方がちゃんと存在を何人も確認できる。

 であれば年10冊書くなんて無理難題を目標に据えるよりも、しっかり売れて増刷がかかるような小説を書くことを目指した方がいいのではないか、と思われるかもしれない。

 実のところ、僕もそう思います。他のことして遊べるし。

 しかしね。そんなのは言われるまでもなく、みんな目指してるのである。

 少なくとも出版社は、売れないと思って本を出版することは絶対にない。商行為として著者の何倍ものリソースを投じているのだから。


「確実に売れるやり方があるなら、みんなやっている。売れるかどうかは出してみるまでわからない」


 ……これは何百人何千人という先達が異口同音に言っていることだが、僕もやはり同じことを繰り返すしかない。出してみなきゃわからないのだ。

 映画や漫画や音楽など、創作系の娯楽芸術すべてに言えることだけれど、とりわけ小説は「出してみないとわからない」度が強い。内容を一見で伝える手段がなく、興味を持ってもらうまでのハードルが高いからだ。


       * * *


『売れる小説の書き方』と堂々と標榜してなにがしかの技術指南を書いている作家は少数ながら何人かいる。しかし、「面白い小説を書く」ためには大なり小なり役に立つだろうけれど、「売れる」かどうかは別問題だろう。


『売れる小説の書き方』が確立できないのには大きく二つの理由がある。


 一つ目は、小説が売れるかどうかにおいて作者がコントロールできない要素が大きすぎるのである。刺さるカバーがつくかどうか、宣伝はどこでどれくらいしてもらえるのか、書店で推してもらえるか、影響力のある人に拡散してもらえるか……。

 これを『売れるかどうかは運』とすっぱり言う人もいる。

 が、僕は『運』という言葉で片付けるのは間違いだと思う。べつに天候とか籤引きとか、人為がまったく介在しない事柄が関わってくるわけではないのだ。作者の力ではないけれど、編集、イラストレーター、デザイナー、営業、書店員、読者、といった、本に関わるだれかの力なのである。

 だから僕はこれを『運』ではなく『縁』と呼ぶべきだと思う。

 もうひとつ僕の持論として、「仕事の成果は足し算ではなく掛け算」というものがある。

 見事なカバー絵がつく。いっぱい宣伝してもらう。インフルエンサーに拡散してもらえる。書店員に気に入られてPOPまで作ってもらえる。こういった要素が、それぞれ足し合わされるのではなく掛け合わされて売り上げという計算結果になる。

 そしてこの掛け算にはもちろん「作品の面白さ」もちゃんと含まれている。

 内容がさして面白くもないのに作者の話題性とか出版社の猛プッシュでめっちゃ売れた本があるじゃないか、だって? ふむ。たしかにあります。具体名を挙げるのは憚られるが。

 しかしですね。その本にしたって、それなりの面白さがあったから、話題性や宣伝で売り上げが膨れ上がったわけです。元になる面白さがほんのちょびっとだけだったら、いくら大きな数字を掛け合わせようが大した最終計算結果にはならない。

 その証拠に、作者の話題性もあって猛プッシュもされて、さらに作品自体がちゃんとパワーがある作品、ありますね? 歴史に残るぐらい売れたでしょう?

 掛け算、というのはそういうこと。

 だから、売れるかどうかに作品の内容は無関係ではないどころか大いに関係しているのだけれど、とにかく他の係数が多くて上振れも下振れもすさまじい。これが小説の売り上げに関する僕の考えである。


『売れる小説の書き方』が確立できない、もう一つの理由。

 面白いものを書く技術って、実はだれも言語化できていないのである。

 そうは言っても小説の書き方本、ストーリーの作り方本、脚本術、いっぱい発表されてるじゃないか、って?

 たしかにそうだが、世に数多ある指南書の内容はすべて、「作者の頭の中にある面白いものをなるべく減衰させずに読者に伝える技術」であって「面白いものを生み出す技術」ではないのだ。プロット、キャラの立て方、文章術、リアリティの出し方、全部そうだ。

 作者と読者は別個の人格で、その間を言語という媒介でつないで面白いものを伝えるわけだから、様々な「電気抵抗」が発生する。まず作者の頭の中でまとまった形にするときに減衰するし、文章にしたときに減衰するし、字面を目にするときにも読解するときにも減衰する。それをなるべくなくして伝導率100%に近づけるのがありとあらゆる小説ハウツー本で説かれている技術である。

 もちろん、ものすごく大事な技術だ。どれだけ面白いことを思いつけても、この技術がないと読者に伝わる量は簡単にゼロになる。

 でも、あくまでも「減衰させないようにする技術」なので、伝導率100%という上限がある。どれだけ磨こうが、伝わる面白さは増えない。元の面白さの量が、やはり伝導技術以上に大事だ。


 現役で小説を全然書いていない人が、小説の書き方を指南しているケースがけっこうよくある。自分で書かない先生の教えだから役に立たないか、というとそうでもなく、参考にして実際にデビューする人も少なくない。

 教えているのが「減衰させないようにする技術」だからだ。

 失敗から学び、失敗しないようにする技術なので、高い再現性と普遍性がある。どの指南本でもだいたい似たような内容になるし、実際おおむね正しいのだ。

 一方で、「面白いものを生み出す技術」を教えられる人間はだれもいない。いたらこっちが教えてほしいくらいだ。色々見たり聞いたり読んだりして、考えて考えて考えて絞り出すしかない。我々はみんなそうして書いている。


       * * *


 じゃあ売れる小説を生み出すために作者ができることはもうないのか?

 あります。ものすごくシンプルな答えがあります。

 たくさん本を出すこと。これだけ。

 小説は打率がまったく考慮されない。打席に立てる回数を書けば書くだけ増やせるからだ。とにかく何度も何度も打席に立てばヒットの期待値はその分高まる。そして創るコストが創作系の中では最も低い。

 ということで結論はやはり前回と同じく「年に10冊書く」となる。


 みんなわかってるんだ、こんなことは。

 でも遊んじゃうんだ。哀しいね……。

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