08 消息を知らないか
「そうは言っても四六時中あなたの気配を探っている訳でもない。彼にも仕事がありますし、何もない平穏なときを眺めていたって彼は面白くも何ともないですから」
「平穏の何が悪いってんだ」
戦士は顔をしかめた。
「悪くなどありませんとも。ただ、面白みはないでしょう。中年夫妻のご旅行を見物していたところで」
「夫婦じゃないがね」
口の端を上げて言ってから、タイオスは待てと続けた。
「じゃあお前、知ってたんじゃないか」
「何がです」
「俺とティエが旅をしてたことだ」
「イズランは知っていました。こちらに向かっているようだと判ったあとは、ほとんど気にしていないようでしたが」
「だから、お前も知ってたんだろう。知らないふりで質問なんかしてきやがって」
「誤解です。私は彼ほどあなたを気にしていませんから、忘れていただけのこと。イズランの話になって思い出したということです」
「……よく言うぜ」
魔術師なんざ信頼しない、特にこいつらは、と何度も思ったことを彼はまた思った。警戒して考えてみれば、知っていることを質問したのは「タイオスが本当のことを言うか試した」とも取れる。
「少なくともいまは、彼の目は付近にありません。私の周囲を見る意味はないと考えているのかもしれない」
「お前から聞けばいい訳だからな」
「イズランの目から逃れたければ、魔除けでも用意するとよろしい」
サングはタイオスの言葉を無視した。
「魔除けだって?」
「既にタイオス殿は、特別なものをお持ちですが」
「まあな」
〈白鷲〉の護符。大理石でできた、菱型の。
「イズランがタイオス殿の動向を見ることができているということは、タイオス殿はいまだ護符を使いこなせていない、ということになりそうです」
「年がら年中、護符にお祈りしてろってのか?」
「――祈りで発動するのですか」
「知らんよ」
タイオスは手を振った。
(そう言えば)
(イズランは〈峠〉の神に興味を持ってるが、こいつは護符に興味津々だったな)
彼はふたりの魔術師の、似ているようで違う興味の対象のことを思い出した。
「とにかく、首都には行かない」
下手に話を振ってまた興味を持たれてもことだ。タイオスはそれ以上、護符のことには触れなかった。
「クソ魔術師野郎にうっかり近づくなんざ、ご免なんだからな」
魔術師を前にしながら戦士は堂々と言い放った。もっとも、いまの発言は個人を指してのものであり、それはサングではないということ、サングの方でもよく知っている。
「もちろん、〈白鷲〉業が優先されることでしょう」
サングは肩をすくめて言った。
「そう言われるのも、なあ」
タイオスは苦笑いを浮かべた。
〈シリンディンの白鷲〉。そのご大層な呼び名が示すのは、彼ヴォース・タイオスのことだ。少なくとも、現状では。
「幸いにしていま、〈白鷲〉には何の仕事もないぜ」
シリンドルの英雄、神の騎士の仕事は、シリンドル国を守ること。或いは、シリンドル王家の人間を守ること。〈白鷲〉に仕事があるということは、シリンドルやシリンドル王族に危機が迫るということでもある。
そんな仕事は、ない方がいい。
「そうかもしれません」
サングはうなずいた。
「シリンドルと言えば、ちょっと訊きたいことがある」
はたとタイオスは思い出した。
「あのあとだ。あの、満月の日のあとのことなんだが」
奇妙で理解し難い出来事が続いた、ふた月ほど前の夜。
そのとどめに起きた、ルー=フィン・シリンドラスの失踪。
「お前、ルー=フィンを知らないか」
「は?」
「だから、ルー=フィンだよ」
「知っていますが」
「ああ、いや、そうじゃなくて」
戦士は手を振った。
「ルー=フィン・シリンドラスという人物を知っているかと尋ねたんじゃない。あのとき、いきなりどっか行っちまったあいつの消息を知らないかと」
「ですから」
サングは片眉を上げた。
「知っていますと」
「だよな。……何?」
てっきり「知りません」「いなくなったのですか」等の返事がやってくるものと思っていたタイオスは、目をぱちくりとさせた。
「ご存知なかったのですか?」
「な、な、何でお前が知ってるんだ。いや、それはあとでいい。あいつ、いまどこで」
「シリンドルです、当然」
さらりと魔術師は言った。
「な……」
「タイオス殿たちをイズランがアル・フェイドの王城に連れたときのことを覚えていますか。我らが宮廷魔術師は、もちろん魔術で、それを成した訳ですが」
「あ、ああ」
更に過去の話に飛ばされて、タイオスは目をしばたたきながら相槌を打った。
「それが、どう」
「そこまでのあなた方の足は、何でした?」
「何って……馬車だ」
「馬の一頭は、ルー=フィン殿の〈銀白〉号。そうでしたね」
「そう言えば、そうだったな」
薄情にもタイオスは忘れていたが、ルー=フィンは愛馬のことを覚えていて、王城で馬の消息を尋ねていたと言う。
「ルー=フィン殿のもとにお返ししようと彼の居場所を探ったのですが、最初は判りませんでした」
「判らなかった?」
「ええ。リダール殿をお探しするときに申し上げたと思いますが、よく知らない人物の波動を探るのは、優秀な魔術師でも難しいことなのです」
自らを優秀と言って、サングは肩をすくめた。
「馬はアル・フェイドで預かっておくことも考えましたが、シリンドルに帰してやる方がよかろうと、術をかけて南に放ってやりました」
「術だって?」
「目的地を明確にする術と、不逞の輩の目につきにくくする守りの術です。前者はシリンドルにたどり着けば、後者は主人、つまりルー=フィン殿が〈銀白〉号に触れれば解けるように編んでおきました。それが」
「解けた、のか」
「
サングはうなずいた。
「両方とも、ほとんど変わらぬ時間で解けました。つまり、ルー=フィン殿がシリンドルの地で愛馬を迎えたことになる」
「……シリンドル」
タイオスは口を開けた。
「そりゃ……いいことだ、が……」
(どういうことだ?)
(ハルからは、戻ってきていないと返事が)
もしルー=フィンが戻ってきているようなら連絡をくれと、彼はいまや王となったハルディール少年に書を綴ったのだ。
確実に届けてもらいたかったため、魔術師協会を利用した。返書も、協会を通してやってきた。
ルー=フィンは戻っていない、〈白鷲〉が必要な事態も起きていない、そうした内容の簡潔な文面だった。
それまでの書にはいつもタイオスにきてくれきてくれと要請していたハルディールらしくないようで少し引っかかったが、いつまでも訪問の気配がないものだから、もう書くのをやめたのかもしれないと、そんなふうに思っていた。
(本当は、戻っている? ハルが俺に嘘を?)
(だが……嘘を書く、どんな意味がある)
ではサングが嘘をついているのか、とも思った。しかしそこにも、意味はないように感じる。
「どういうことだ」
彼は声を出して呟いた。
「どうも何も。故郷に帰っただけのことでしょう」
「それは、そうなんだが」
何故、タイオスに何も言わずに消えたのか。一緒に帰ろうという約束を反故にしたのは、いったいどうして。
(自分ひとりでも帰れると、そう思った? もう、わだかまりはないと)
(だが、なら俺にそう言えばいいだけのことだ)
「何か不審なのですか」
「いや……」
タイオスは、何と言っていいものか判らなかった。
「不審という訳じゃない。ただ、驚いただけだ」
「連絡がなかったことに?」
「まあ、そうだな。そういうことになるかもしれん」
当のルー=フィンはもとより、タイオスがルー=フィンの消息を気にしていると判っているはずのハルディールからすら。
(……いや、俺はコミンを出たんだし)
(行き違いになった、ということも有り得るか)
ルー=フィンが帰るまでにいくらかは迷っていたのであれば、この状況もうなずける。冷静に考え直して、タイオスはそう思った。
「おい、ルー=フィンがシリンドルにいると判ったのはいつだ?」
「おおよそ、ひと月からひと月半前でしょうか」
「だよな。そうでなきゃおかしい」
思った通りだと、彼は納得した。
「元の鞘に収まったなら、それでよし、と……」
「訪れないのですか?」
「うん?」
「ここからなら、カル・ディアやコミンからよりも、だいぶシリンドルに近いですから」
「そうか? まあ、そうだな。けっこう、南下したからな」
うーむと戦士は両腕を組んだ。
「そうだな。急いでコミンに戻らなきゃならんこともない。ここはアル・フェイル見物がてら更に南下して、ルー=フィンの奴の言い訳でも聞きに行ってやることにするか」
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