06 縁あって
どうしてこうなったのか、と思いながらタイオスは、トーカリオンと向かい合っていた。
アル・フェイルの第一王子は、四十代の半ばから後半というところに見えた。穏やかそうな顔つきをしており、よい為政者になりそうだったが、いかんせんオルディウスのように強烈に印象に残る感じはなかった。
幸か不幸か、と言うことになるだろう。オルディウスはおそらく敵も作りやすい。トーカリオンにはあまり、そういうことはなさそうだ。だが逆に言えば、心酔してついてくる者もいなさそうな。
と、タイオスは王子に冷静な、或いは冷酷な評価を下していたが、判定はいささか下方からはじまったかもしれなかった。
と言うのも、護衛の任を終えた彼としては、ティエと祝杯でも上げたあと、今日はさっさと休んでしまうつもりだったのだ。それが、サングに引き止められ、これである。
もっともティエはティエで、劇団が彼女のために開く歓迎祝宴に参加するとのことだった。それにタイオスがのこのこと顔を出すのも妙な話であるし、誘いがなければひとりで休むだけだったろうが、それならそれでけっこうなことだったのに。
「よい演芸だった」
「笑いあり、涙あり。ああしたものはよいな。心が洗われるようだ」
「はあ」
タイオスは曖昧な返事と笑みを返した。
あの手のものを滅多に見ないタイオスは、劇団がどう評判なのかいまひとつぴんとこなかった。少なくとも退屈はしなかった、という程度だ。
「そうは思わぬか?」
「ああしたものは、あまりよく知りませんので」
正直に彼は答えた。
なるべく丁重に話をすることを心がけたが、すぐに、以前オルディウスに対して使ったような口調になった。即ち「無頼の戦士にしては丁寧だが、王や王子に対する態度ではない」。
時と場合によっては手討にされてもおかしくないほどの不遜さと言えたが、幸いにしてオルディウスと同じようにトーカリオンも鷹揚であり、咎める様子はなかった。
「トーカリオン様は
同席したサングが言った。
「カル・ディアルで評判の劇団がアル・フェイルにやってきていると聞いて、すぐさまおしのびで観賞なさることをお決めになった」
それは「理解がある」と言うより「興味がある」、単純に「好きだから見たい」ではないのかとタイオスは思ったが、賢明にも黙っていた。
「お前には世話になったな」
トーカリオンは魔術師に言った。
「お前が業務の調整をしてくれなければ、難しかった」
「殿下はいつも、陛下が聞き流す苦情を丁寧に処理していらっしゃいますから。たまには息抜きをしていただかないと」
サングは王宮付きではなかったはずだが、どうやら王子とは仲がよいのだな、とタイオスは判定した。
(それとももしかしたら)
(サングは宮廷魔術師の座を狙って、王子様の興を買おうってのかねえ)
彼はそんなことも考えたが、実際のところサングと現宮廷魔術師のイズランは、互いにその面倒な職業を押しつけ合っており、どちらもその座を望んでなどはいなかった。
もとより、アル・フェイル王宮の事情に興味などない。戦士は適当な相槌を打って話を聞いていた。
「何でもそちは、〈白鷲〉という称号を持っているらしいな」
出た、と思ってタイオスは引きつった笑みを浮かべた。オルディウスとも同じような話をした記憶がある。
「縁あって、そのように呼ばれております」
謙虚に彼は言った。
〈シリンディンの白鷲〉。南の小国シリンドルの、それは英雄だ。
特別な護符を手にして活躍をする〈白鷲〉は、〈峠〉の神の騎士ともされる。
一年弱ほど前になろうか。
シリンドルの王子ハルディールと偶然出会ったタイオスは、ハルディールに、それとも神に見込まれて、シリンドルで起きていた反逆事件の片づけを少しばかり手伝った。
大したことはしていない、と彼は思う。だが彼は〈白鷲〉であるらしい。どうしてか〈峠〉の神は彼をその座に据え続け、シリンドルを遠く離れた事件でも彼に力を貸した、或いは彼をこき使った。
ふたつの事件に関わってきたのが、アル・フェイル宮廷魔術師イズランだ。
イズランは〈峠〉の神に興味があると見えて、タイオスの前に現れては彼を苛つかせた。
だが神の使者たる「黒髪の子供」の顕現を目撃したあとにぱたっとその気配を消し、タイオスはせいせいしている。
サングも同様だ。こちらはそれほどタイオスを苛つかせないが、イズランとほぼ同じタイミングでアル・フェイドに帰った。
(あんときゃ)
(俺がこいつらを必要としたときに、消えてくれやがったんだよな)
ルー=フィン。
事件が片づいた――完全に、とは言えなかったが――夜に、ぱたりと姿を消した銀髪の若い剣士。
その行方を探ろうと、タイオスは魔術師たちに協力を求めようとしたが、彼らは一切、反応を返さなかった。
(せっかくのお出ましだ)
(無駄かもしれんが、あとで訊いてみるか)
〈白鷲〉はこっそりそう決めた。
「シリンドルか」
トーカリオンは呟いた。
「美しいところと聞く。機会あらば、訪れてみたいものよな」
何気ない調子で王子は言ったが、タイオスはぴくりとした。
目の前の男は、大国の王子だ。いくらオルディウスのような強烈な印象がないと言っても、命令ひとつで何百人、何千人だって動かせる人物。
オルディウスと面会したとき、タイオスは王がシリンドルに興味を持つことを怖れた。あのような小さな国を狙ったところでアル・フェイルに大したうまみはないが――峠がラスカルト地方への抜け道になることは確かだが、狭すぎて貿易にも侵略にも向かない――権力者のちょっとした気まぐれが何を呼ぶか知れないと思ったのだ。
シリンドルは、端から端まで半日もかからずに歩けてしまうような、本当に小さな国なのだ。大国の前に、吹けば飛ぶような。
関わらないでほしい、そっとしておいてほしいと、それはタイオスの、まるで幼子を守るか弱い母親のような心理であった。
「殿下」
サングが、タイオスの沈黙に気づいた。
「興味を持たれると、タイオス殿が警戒します」
「警戒?」
「いや。いやいやいや」
何を言っているんだ、と中年戦士は驚いたふうを装った。
「そんなんじゃありませんとも。ただ、ありゃただの田舎ですよ。殿下がご覧になって面白いようなものなんか、何も」
ひらひらと手を振って、彼はごまかした。もっともその言いようは、サングの指摘を肯定するようなものであったかもしれないが。
「ふふ」
トーカリオンは笑った。
「案ずるな。私は、貴殿が思うほどの影響力は持たない」
「そんな馬鹿な。いえ、失礼」
「事実だ。そうだろう? ラドー」
王子はアルラドール・サングをあだ名で呼んだ。
「トーカリオン様が王子殿下でいらっしゃる間、つまりオルディウス様が王陛下でいらっしゃる間は、そうだと言えましょう」
悪びれずに魔術師は認めた。
「陛下が退位なさっても、ご存命である間は、オルディウス様が影の王ということになりそうです」
「おいおい」
思わずタイオスは呟いた。当人を前に「あなたは地位を継いだところで、父上より能力も人望もありません」と言っているようなものだ。
「ですがオルディウス様がみまかれば、誰もがこぞってトーカリオン様に尻尾を振ります。先を見越してそうする者もいるでしょう。いつも申し上げておりますが、耳に心地よいことばかり言う者にはご注意を」
「判っている」
トーカリオンは腹を立てる様子もなく、ただ笑った。
(成程ね)
(辛辣だからこそ、信頼されてるってとこか)
アル・フェイルの事情に興味がないと思うのは本当だが、多少の好奇心はある。サングが本気でトーカリオンにつくのであればこの穏やかな王子でもやっていけるだろうと、タイオスは何となくそんなことを思った。
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