05 驚きです

「あれから、ずっとティエと?」

「まあ、つき合いはあった」

 タイオスは、彼女が腰を据えた〈紅鈴館〉のあるコミンの町が、彼にもまたねぐらだったのだというような説明をした。

「そういう、ことか」

「何かおかしかったか?」

「あんた、嫁さんは」

「何だ唐突に。幸か不幸か、独り身だが」

「ティエを嫁にもらおうとは、思わなかったのか」

「ああ?」

 タイオスは片目をしかめた。

「戦士業は、家庭にゃ向かない。まあ、結婚する奴もいなくはないが、そうすると自然、受ける仕事に制限がかかってな。旅暮らしをやめて街道警備に落ち着いたり……」

「落ち着く気はなかった、と」

「何だよ。俺の勝手だろうが」

「もちろん、勝手さ。逃げたあたしも勝手だったが、あんたも大概ね」

「……何だよ」

 含みのある言い方に、タイオスは顔をしかめてばかりだった。

「俺がティエを嫁にしなかったのが悪いとでも言いたい訳か」

「そんなことは言っていないさ。好き勝手にやって家庭に縛られず、気が向いたときだけ馴染みの女を買うなんて、楽で勝手でけっこうじゃないか?」

「どうにも、刺があるようにしか聞こえんのだが」

 中年戦士はあごの辺りを撫でて呟いた。

「あたしはさ」

 ラサードは肩をすくめた。

「ティエがずっと踊りを忘れなかったと知って嬉しかった反面、普通のおっかさんになっていなかったことが気の毒にも感じたのさ」

 道化師はそんなことを言い出した。

芸人トラントなんて、真っ当な商売じゃない。殊に踊り子なんてのは、旬の時間は限られる。ティエはそれでもいい店を見つけたと言えるんだろうが、教えるだけの腕がなければ遠くない将来に店を追い出されて……」

「おいおい」

 タイオスは片手を上げ、ラサードの言を制した。

「言いたいことは何となく判ったようだ。だがそれは、彼女の決めたことだぞ」

「誰かに求婚でもされれば、判らなかったじゃないか」

「されなかったと何故言えるんだ?」

 彼はそう返した。

「誰かしら捕まえて結婚しちまおうと思ったら、不可能じゃなかったはずさ。だが彼女はそうしなかった。〈紅鈴館〉のような場末でも、踊りを続けたかったからだ」

「馬鹿だねえ」

「何ぃ」

「あんたが求婚しなかったからじゃないか、と言ってるの」

「馬鹿言うな」

 今度は彼がそう返した。

「そんな話は、もっと若い奴ら相手にやるんだな」

「いまさら結婚なんて考える年じゃないとでも?……そうだねえ」

 ラサードは両腕を組んだ。

「おっさんだものねえ」

「うるさいな」

 ラサードだって彼とそう変わらないはずだ。いや、素顔の記憶を呼び起こせば、もっと上だったようにも思う。年上からおっさん呼ばわりはされたくないものだ。

「ティエにとっとと仕事をさせておいて、お前さんはここで油を売ってるのか?」

 タイオスはそこを指摘した。ラサードは笑った。

「あたしはいつも通りやるだけだもの。言ったように、問題は踊りでね」

 道化師はちらりとティエの行った方を見た。

「実はね。お偉い方ってのは、急に見にくることになったんだ。そんなこともあって、てんやわんやさ。まあ、久しぶりの緊張感でもある。今夜はいいものをれるだろうから、あんたも見ていきな」

「そうさせてもらうつもりだ」

 友人の新天地だ。見届けない訳にもいくまい。タイオスはうなずいた。

「――おや」

 道化師は彼の肩越しに彼の後ろを見た。

「噂をすれば。お偉い方の、お使いだ」

 そっと彼は厄除けの印を切った。タイオスは片眉を上げて背後を振り返り、ぎくりとした。

 すべるような足取りで歩いてきたのは、フードを目深にかぶった、黒ローブ姿だったのである。

「魔術師か」

 言わずもがなのことを呟くと、タイオスは一歩退き、魔術師に道を開けた。道化師か、座長と話でもするのだろうと思ったのだ。

 だがしかし、魔術師は足をとめた。

 タイオスの前で。

「これは、驚きです」

 魔術師は言った。

「タイオス殿ではありませんか」

「お、お前」

 聞き覚えのある声と、フードを外した見覚えのある顔に、タイオスは口を開けた。

「サング!」

 肩よりも長いまっすぐな黒茶の髪をし、より濃く深い色の瞳を持つ、三十代前半ほどの男。

 アルラドール・サング。ほんの数月前に知り合った魔術師である。

 最初はカル・ディアの魔術師協会に所属している魔術師だと思っていたが、実は隣国アル・フェイルの首都アル・フェイド協会の所属であり、宮廷魔術師の代行をすることもある、力ある導師だとやがて判明した。

「知り合いなのかい」

「まあ、顔見知りという程度だが」

 タイオスは半ば呆然としながら言った。

「『お偉いさん』てのはお前……じゃないよな、使いだと言った。まさか」

 戦士は思い切り顔をしかめた。

「お前さんの相棒じゃないだろうな」

「私に相棒などはいませんが、もしイズランのことを言っているのでしたら、否と申し上げましょう。宮廷魔術師など大して偉くない」

 さらりとサングは言って肩をすくめた。

「私がお付き添いしておりますのは、トーカリオン様です」

「トー……誰だって?」

 戦士は聞き返した。

「タイオス殿にはお会いになれなかったと聞いています。残念に思っていらしたようなので、ちょうどいい」

「だから、誰」

「王子殿下だよ」

 見かねて道化師が言う。

「アル・フェイルが国王オルディウス三世陛下のご嫡子、第一王子殿下トーカリオン様」

「へえ」

 タイオスは目をしばたたいた。

「すまんな、知らんで。俺ぁもっぱらカル・ディアル住まいなもんで」

 彼は言い訳をしたが、サングは首を振った。

「生粋のアル・フェイル国民でも、首都を離れれば、トーカリオン様のことをきちんと把握できている者は少数派です。何しろ魔術師を一匹飼っている現国王は、国のあちこちに目を光らせ、普通なら彼のもとに届かない遠くの事件や、途中でもみ消されかねない出来事まで、王の名で収めてしまうので」

 宮廷魔術師を珍しい動物か何かのように言って、サングは肩をすくめた。

「オルディウス様の印象が強すぎる。前国王の業績までオルディウス様のもののように語られています。王位を継げば、トーカリオン様は苦労なさるでしょう」

「へえ」

 タイオスとしてはそれくらいしか言うことがない。

「確かに印象的な爺さん、もとい、王陛下だったな」

 特殊な趣味はさておいて、と彼は思った。

「あんた、王様と面識が?」

 ラサードは目をぱちぱちとさせた。

「仕事でね、たまたまさ」

 タイオスはそうとだけ言った。本当のことだ。

「ま、それじゃ王子殿下に頑張れよとでも伝えてくれ」

 再会は驚きだが、にこにこといつまでも話していたい相手でもない。タイオスはとっととその場から逃れようとした。

「それは、ご自分でどうぞ」

 しかし、サングはそう返した。

「何だって?」

 タイオスは嫌な予感を覚えた。そしてそれは、当たりレグルであった。

 サングはいつもながらの無表情で、こう続けたのだ。

「ここでお会いしましたからには、今宵の演芸見物は、殿下のお隣でしていただきます」

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