未来とサインボール

比呂

未来とサインボール


 私は市立図書館の前にあるバス停で、次のバスを待っていた。


 高校三年生の冬は、とても寒い。

 冷たい手をこすり合わせて、白い息を吹きかける。


 肩から吊り下げられた勉強道具の重さに辟易するけども、これが未来への重さなどだと言い聞かせている。


「……はぁ。寒いなぁ、重いなぁ」


 だからと言って、不満がないこともない。


 お正月は、とっくに過ぎた。

 夕焼けが街を照らして、演劇の舞台のよう。


 日々終わっていく日常が、悲しくて仕方がない。

 そして、寒くて鼻を啜る。


「あれ、何やってんの?」


「うえ?」


 声を掛けられて、振り向いた先には中学時代の同級生がいた。

 自転車に跨って、前カゴにグローブを突っ込んでいる。


 それにしても、丸坊主だった野球少年が、今では立派なフサフサ頭だ。


「あー、久しぶり。髪生えたね」


「え? まあ、そりゃそうだろ……」


 男子高校生が、自分の頭を撫でて苦笑いしていた。


 入学した高校は別なので、特に大した話題はない。

 間を持て余した彼が、私の勉強道具を見つける。


「勉強か?」

「そ。図書館でね。受験生でしょ」


「そっか。真面目だな」

「自分の未来のことだからねー」


 そう言ってみても、私は何一つとして確信を持ってなんかない。


 大学に行けば、何が変わるのか。

 行ったことがないのに、わかるものか。


 自分の将来を聞かれたくなくて、質問する。


「そっちこそ、まだ野球やってんの?」


「まあまあ、かな」


 この照れて笑ったときの癖が、中学の頃から印象的だった。

 特に好きという感情は持ち合わせていないけど、心に残っている。


「俺な、県外に出るんだ。野球の強いとこなんだけど」

「ふぅん」


 野球に興味のない私が、何を言えるというのだ。

 早くバスよ来い。


「まあ、怪我しても推薦取り消さずにいてくれて有難かったからさ。ちょっと恩返しに頑張るつもりなんだ」


「え?」


 怪我、と言われても、見た目は元気で能天気な、髪の生えた男子高校生だった。


 恩返しって、君、そんな良い子だったっけ?

 そんなに早く、大人ぶらないで欲しい。


 相対的に、私が幼く見えてしまうじゃないか。

 自然と口先が尖ってしまう。


「凄いんだね」

「その割には、納得してない顔してないか?」


 失礼な!

 女子の顔を批評できる立場にあるのかね君は!


 元丸坊主だった野球少年が、見たことの無い顔を見せた。


「別に、凄くないんだわ。やってもないこと評価されても困る」


「……ほーん」


 ムカッと来た。


 頑張るって、凄い事でしょう?

 誰かに宣言するって、格好いいことじゃないの?


 やっぱりこいつは、成長していないイガグリ君だ。


「誰だってね、毎日スタートラインに立ってんの! 今日が駄目でも、明日もスタートすんの! 未来の事なんて、誰もわかんないの!」


「……あー、わり」


 目を丸くした彼が、空を向いて何か考え事をしていた。


「ペン貸して。名前書くやつ」

「別に良いけど、何なの急に」


「うん、お礼」


 勉強道具からペンを取り出して渡すと、彼が自転車の前カゴから野球のボールを取り出した。


 漢字で名前を書いている。

 そして、ペンとボールを渡された。


「やる。未来の野球選手のサインボールだ」


「うわ、邪魔」


 素直な感想が出てしまった。


 花の乙女が、何が悲しくて、使い古された硬式ボール(しかも名前入り)を渡されなければならないのか。


「捨ててもいいけど、未来はわかんねーだろ。じゃあな」


 元丸坊主の野球少年が、高笑いしながら自転車で全力疾走していった。

 返却する暇もなかった。


 すぐにバスが来る。


 彼とは反対方向のバスに乗り、座席に腰を下ろした。

 勉強道具と一緒にした野球ボールの事を考える。


 その間だけ、肩の重さに気付かないでいられた。




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未来とサインボール 比呂 @tennpura

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