モノ書くカラダ

水奈川葵

ch.1 姉のノート

 きっかけはおそらく小学六年生ぐらいのとき。

 姉の本棚の隅に、ビニールカバーのついたノートを見つけた。

 サ○リオのキャラクターの可愛らしいノートだ。大きさはA5くらいであったろうか。普通に学校で使うノートよりもやや小さめの、私の感覚で言うとお母さんが家計簿に使ってるノートと同じ大きさ。

 姉は中学生であったので、その頃流行はやりの交換日記か何かだろうかと、ちょっとばかり悪戯心もあって、私はノートを手に取った。で、読んでみた。


 そこに書いてあったのは、交換日記ではなく、何かの『小説』のようだった。どういう話であったのかは、さっぱり覚えていない。姉も書いて早々に興味をなくしたのか、物語は1ページ半ほどで途絶していた。


 私は驚いた。

 それは身近な人間が『小説』を書いているということよりも、自分と同じ暮らしを送ってきた姉という人、同じ世界に住んでいると思っていた人間が『小説』というものを、『書いてもいい』のだということに、だ。


 この奇妙さについては、普段から小説を書くことに慣れている人ならば「??」となるだろう。

 つまり私にとって『小説』を書くということは、甚だ非凡なことで、自分の歩いて行く線上にあるものと考えていなかった。


 私はわりと本を読むのが好きだった。

 その世界に浸って、その世界を旅することが、大好きだった。

 だから私にとって『小説』というものは、あくまでものであって、その物語を書いた作者などは遙か彼方の銀河系……とまではいかないまでも、遠い世界にいる、なんであればこの世にいるかいないかわからぬ、特異な存在であった。


 それなのに今、私は中途で止まったにしろ、一つの『物語』を書く作者と同じ家に住み、同じ飯を食っている。

 こんな奇妙なことはなかった。


「お姉ちゃん、○○ちゃんのノートになんかお話書いとったな?」

 私が聞くと、姉はあっさりと頷いた。

「うん。ちょっと小説書いてみようかと思ってんけど、書けへんかったわ」

「ふーん」

 姉と姉の書いた話についての会話は以上だった。

 だが私にとって、一番身近な存在である姉が『小説』を書いたのだということは、かなりの衝撃であった。


『お姉ちゃんでも書いていいんだ……』


 これは姉を馬鹿にしているのではない。

 何度も言うが、私にとって小説を書くというのは、現実的ではなかった。

 そういうことのできる人達がいて、そういう人達にだけ許された特権のような、そういうものだと思っていたのだ。


 だから私は読者から書き手の垣根をあっさりと越えた姉にちょっと感心していた。

 私はずっと受け手としての自分しか想像できなかった。姉のこのノートがなければ、一生、私は読者として生きていただろう。

 たとえ途中で投げ出したとしても、姉は『小説』を書いたのだ。たった一ページ半であったとしても、書いた。書こうとした。


 さて。

 本を読むのが大好きな、それよりも空想するのが大好きな少女が、その後にたどり着いた結論については言うまでもないだろう。


『あれ、私にも書けるんじゃね?』


 そんな安易な感じで、私もまた近所のファンシー雑貨の店で買ってきた不思議の国のアリスのノートに書き始めた。

 一文字一文字書くごとに世界が出来ていく、人が動き出す、話し出す……この楽しさを知ったらもう、どうしてやめることなどできるだろうか。

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