第27話 狩りの時間です

 びょう、と冷たい風が吹きすさぶ。


 この時期に吹く風は凍てつくように冷たくてさ、暖かくて快適な家のことをつい思い返してしまう。

 俺は毛皮をまとった狐や狸とは違う。早いとこそこに帰り、暖かい布団に潜りたいとつい願うのだ。


 そして再び目を開くと、煌々と輝くお月様が見える。

 遠くまで見渡せる尾根に立った俺は、いつものように猟銃を背負っている。目だけはあのお月様みたいに光っていて、もしも誰かがここにいたら獲物を狙う狼のように見えたかもしれない。


 新たな知らせはまだない。

 世間様を騒がせている恐ろしい魔物は、どこに向かっているだろう。

 簡単な相手ではないことは重々承知だが、ここに来てくれたほうがいいかもしれない。人家を襲うくらいなら、いっそ俺の山に来てしまったほうが気が楽になれる。


 一番良いのは、自衛隊が出動してくれることだろうな。あいつらは重火器を扱えるし、空からの攻撃も行える。高い税金を払っているのだから、夜間であってもどうにか動いて欲しい。


 などと少しばかり弱気になってしまう俺であったのだが、ぴろん、と鳴る電子音がきっかけだった。ググと俺のなかから殺気が溢れ出しそうになったのだ。

 猟銃の肩ひもを血管の浮いた手で握りしめてどうにかこらえたが、ぴろん、ぴろろんっ、ぴろろろんっ、と立て続けに鳴ったことで限界値を易々と超えてしまった。


 ザザと枯れ葉を散らして斜面を滑り落ちてゆく。

 頑丈なブーツは山でも川でも踏破できる優れもので、後方に真っ白い息を残しながらもどうにか冷静さを取り戻そうと考えた。

 爺さんの山に入り込んできた。ただそれだけで腹の底からグツグツと煮え立つように腹立たしい。だが、俺は猟師だ。冷静さを取り戻さなければならない。


 ふっ、と唇を開く。

 そして歌ったのは、昔からある歌だった。


「あんたがたどこさ……」


 子供が歌うような愛らしさなど微塵もない。我ながらここまで恐ろしい歌声を出せるものだと感心するが、この狂おしいほどの憎悪をどうにかコントロールしなければならなかった。


「それを猟師が鉄砲で撃ってさ、煮てさ、焼いてさ……」


 溢れ出す殺意をどうにか抑え込んでゆく。轟々と燃える炉を、ブ厚い鉄で蓋するみたいにして、どうにかこうにか俺のなかにしまい込む。

 以前のままだったら魔物のようになっていたかもしれないが、ザザと落ち葉を散らして降り立った先には一人の娘が待っていた。


「どうでしたか、あなた?」


 平然とした、そしてどこか殺気混じりの声で彼女はそう尋ねてくる。長いこと下で待っていたイヅノは、長めのダウンジャケットですっぽりと全身を覆っていた。


 彼女からいつも通りに接して欲しいと思うあまり、頭がおかしくなりそうなまでの殺気を抑え込んでしまうのだから俺という男は笑えない。ただそうしたいと願ったのだから、いつものように飄々とした態度でいよう。


「うん、来たね。こういうとき、どう言ったらかっこいい?」

「むーん、そうですね……『奴(やっこ)さん、おいでなすったぜ』ではどうでしょう」


 う、うーん、かっこいいかなぁ。かなり古い気がするし、どんな魔物かも分かっていないけど不満そうな顔を浮かべるんじゃないかなぁ。


 とはいえ遊びじゃないので、ライフルを肩から下ろしつつ、なるべく端的に彼女へと伝える。


「左右から挟みたい。いけると思ったら手を出して構わないが、戦いに入るときはなるべく俺の視界にいてくれ。誤射したくない」


 こくんとうなづきつつ、イヅノはその上着を脱ぐ。

 おへそや太ももをむき出しにした姿に、もしも他の者がこれを見たらぎょっとするだろう。痴女かなと思われるかもしれない。

 しかし必要なことだと分かっている俺は文句など決して言わないぞ。せいぜい「腰のくびれがヤバいな」と思うくらいである。


 さっさっと指で合図すると、イヅノは獣道の向こうに消えていった。


 俺もまた別方向へと歩き始めて、液晶つきの腕時計に目をやる。

 最近は便利でさ、センサーとアプリを組み合わせると、魔物の位置が丸わかりにできてしまう。

 専用のサーバを用意したり、アンテナを設置したりと金と手間がかかって大変だが、その甲斐あって「次の獣道を右折してください」と音声ナビさせることだって可能だ。使わんけど。


 だから俺は道になど決して迷わず、木の陰にじっとしているだけで奴らと遭遇できる。

 ぞろぞろと音を立てて登ってゆくものは、熊の胴体くらい太い蛇のようだった。先端のあたりでぎゅっと細くなり、そこが紫色に輝いている。


 あれは目かなぁと考えている俺を、そいつらは気づくことなく素通りしていった。


 1、2、3、4……全部で5体か。


 こんなに固まって移動するのはなんでだろう。絡まったりぶつかったりしそうなんだけど、そうしなければいけない理由でもあるのか?

 うねっているので分かりづらいが、全長は20メートルほどだろうか。


 と、そいつらは突如として右方向に加速する。ぎゅんっと猛スピードで迫った先から「ピイ」という鳴き声がした。

 殺られたのは雌の鹿だ。他のはぴょんぴょんと跳ねて逃げたようだが……と思っていたところで、俺は目をこらす。


 そいつらは鹿の身体に顔らしきものを次々と突き刺してゆき、いや、吸っているのか。ぎゅごっぎゅごっ、という音がしそうな身体の動きをしており、見る間に鹿は干からびてゆく。


 ああ、蛇じゃなくて、ヒルみたいなもんか。

 チロチロッと揺れる小さな舌は蛇っぽい。しかし、獲物を食らうあいだ別の二体が辺りを監視している。狩猟に慣れている狼のようだと俺は思う。


 よし、だいたい


 チャッ……、ズパドオォォンッ、ッパドォォン!


 その速射によって頭部にある紫色の先端が爆ぜた。

 凄まじい悲鳴と木々をへし折る音が聞こえたけれど、様子を見ることなく俺はもう駆けだしている。


 殺れたかどうかは気にしない。すべての相手が動かなくなれば俺の勝ちなのだ。いますぐに仕留め切る必要などまったくない。


 チャッチャッと手早く弾込めしてすぐに、右手へバンとブチかます。藪から飛び出てきたばかりの奴はスラッグ弾をまともに正面から浴びて、頭らしき場所を粉々にさせながらのけ反った。おほっ、まんまゲームの世界だ、これ。


 などと思いながらも俺の目の鋭さはさらに増してゆく。

 奴らの殺意が膨れ上がってゆくのを感じるし、本格的な戦いはまだこれからだろう。自然と獣のような目つきに変わるのが自分でも分かった。


 チリッとうなじに予感が走った瞬間、背中から地面に倒れるように飛んだあと、真上に向かって轟音を放つ。狙いたがわず蛍光色の血しぶきが舞った。


――ギィィヤオオオッ! ギャオオオーーッ!


 この音声を怪獣映画とかに使えばいいのにってくらい、肌をビリビリと震わせる絶叫だ。

 とはいえ怖がっても意味がないので、ちらっと腕時計を確認しつつ俺は陰に転がり、奴らの死角に入るやすぐさま反転して、今度は一気に山を登り始める。


 狙撃の基本は、絶対的に位置を悟らせないことだ。

 鍛えに鍛えた俺の身体は、たとえマウンテンバイクであろうと追いつけないほどの速度を生み出す。山で鍛えたマタギを舐めちゃあかんよ。


 そうして俺を探しているだろう魔物どもを後方から眺めたとき、膝立ちとなり、じっくりと狙いを定めてからまた撃ち放つ。


――ず、ドパッ!


 おっほっほ、いい感じで破裂しますねぇ。

 けたたましく山に響く絶叫も俺のアドレナリンを加速させる。もっといたぶってやりたくなるし、もっと冷静に、もっと冷徹にと己の脳髄に釘を刺しもした。

 実際、調子に乗っていると手痛い目に遭いやすい。


 ピー、ピー、ピー!


 一瞬だけ、腕時計のモニターに俺は目をやる。

 素早く装填しつつも、その数秒のあいだにひどく苦悩した。


「マジかよ……」


 冷や汗をドッと垂らしつつ、俺はそうつぶやく。

 どうやらあれよりもデカいやつが近づきつつあるようだ。

 しかもこちらの逃げ道をふさぐような動きだ。それが分かり、ガシャッと弾込めしつつも俺は残されている限りある時間のなかで頭をフル回転させた。


 迎え撃つには弾が圧倒的に足りない。

 逃げようにも速度で負ける。

 もしも一度でも噛まれたら、先ほどの鹿と同じ目に遭うだろう。ぢゅっと吸われて骨と皮だけになってしまう。


 いますぐイヅノの名を叫び、可能な限り安全な退却ルートに向かうことを最優先にするべきだ。


 俺の生存本能がそうしろと警鐘を鳴らしているし、実際にそのほうが賢明なのは間違いない。勝算のない戦いほど馬鹿げたことはなく、またイヅノの命まで左右してしまうのだから。


 しかし俺自身の下した判断は「皆殺しにしろ」だった。

 爺さんの山に入ってきた連中をブッ殺さないと気が済まない。

 そして生存本能が「よせ!」と叫ぶなかで、すらりと鉈を腰から抜き放ち、血を流す獰猛な魔物たちに姿をさらした。


 俺の最優先事項はこれだ。

 ギャオオと叫び、坂などお構いなしに突き進んでくる大蛇の群れ。あれをすぐに殺す。後方から迫っているデカブツが合流する前に、最悪な状況から一歩でも遠ざからなければならない。


 これまでになく俺は集中していた。だからこそ、あいつらの半壊した頭がぎゅんっと俺ではなく真横に向けられたとき、すぐさま反応することができたのだろう。


 三日月形の斧がまず見えた。

 ごチュッと叩き下ろされた斧は極めて純粋な斬撃エネルギーを含んでおり、鉄のように硬い鱗ごと分断する。

 もろに斬られた一体はでまともに動けなくなり、ぶらんと頭を垂らしたままのたうつことしかできなくなった。


 その振りぬいた遠心力を無駄にせず、開脚したイヅノはぶうんとまた宙で回転する。長い髪が尾を引いて綺麗だなと思ったときに、ずどどんッと大蛇が輪切りにされた。


 へいへい、イヅノちゃんは接近戦がしたいのね。

 俺も大の得意だよ。がつんがつん叩き切ると楽しいもんね。おぎゃあああっとか鳴いちゃってさ。あはは。


 すこんっ、とスイカを割ったようないい音が響く。

 俺の鉈をモロ脳天に喰らった奴は、耳をつんざくような悲鳴、そして紫色の血肉をブチ撒けながらもジャッと杭のような舌を飛ばしてくる。だから刺さったままの鉈は手放さざるを得なかった。


「誠一郎!」


 すんでのところでかわした俺に、女の声が飛んでくる。心配そうな視線も。

 しかし俺になど構っている暇はないぞ。そう伝えるように、我ながら気持ち悪いと思えるほど目をぎらつかせた。


「皆殺しだ、イヅノ。生きて帰すな」


 俺たちが絶対的な強者であると示すように、銃を素早く構えて、ドン、ドン、と容赦なく撃つ。突進という勢いを失った蛇どもは、三体目が絶命したときにようやく窮地だと悟ったのだろう。


 残り二体が逆方向にぐるんっと反転したようだが、そいつらを俺は追わない。それよりもと倒れていた大蛇から鉈を抜いたとき、遠くでイヅノの両断するバツンッという音が響く。うまくとどめを刺したらしい。


 だが、足早に戻ってきたイヅノは、己の武芸自慢などしなかった。

 近づくごとに足取りは重くなり、顔色を青ざめさせて、たどり着いたときには「はあ」と漏らしてうずくまる。

 気持ちが悪くなったのか、地面にビシャビシャと吐しゃしてしまう様子だが俺は声をかけない。


 うん、気持ちは分かるよ。

 逃げずにここまで戻ったんだ。弱虫だなんて俺は思わない。俺たちの退路をふさぐほど、巨大な魔物がすぐ後ろにいるんだもんな。


 そいつの目みたいなものがブブブンッと一斉に光り、辺りは真紫色に染められる。立ち込める匂いは生臭くて、なんだか泥たまりのなかにいるようだった。


 そっか、さっきのはただの子供だったのか。

 竜のようなデカブツから発せられる圧迫感だけで、俺でさえも吐きそうになる。ほら、だから言っただろう。馬鹿だなぁと俺の生存本能から囁かれた気がした。


 イヅノもきっと同じ気持ちだったのだろう。

 吐しゃで濡れた頬をぬぐいもせず、唖然とした表情で見つめてくる。すっかり恐怖に呑み込まれた絶望的な表情で。


「は、はやく、逃げましょう。ここを、離れましょう……」


 瞳孔を細かく揺らしながら、言い終えるまでに幾度も息を吸う。そんな様子のイヅノに、俺はなるべく優しく笑いかけることにした。いますぐ逃げ出したくてたまらないだろうに、俺を誘ってくれる優しい子に向けて。


「いや、殺す。爺さんの山に入った連中は、一匹残らず全員殺す。だって、そうしないと気持ちが悪いだろう?」


 どうしてかな。なぜイヅノの顔はさらに絶望さを増してしまい、たっぷりの脂汗がしたたり落ちてゆくのだろう。分からないが、彼女がもう戦えないことだけは分かった。


「お前は逃げろ、イヅノ。俺もすぐに後を追う」


 安心して欲しかったから、ゆっくりとした口調で嘘を言う。そして、一緒に戦ってくれないかなという未練を断ち切るべく、俺はあの化けものに目を向けた。


 分かっている。ちゃんと分かっていたさ。

 タッと足音を残して彼女が遠ざかり、戦線離脱したときも俺はがっかりなどしなかった。

 そりゃあね、多少は寂しいと思ったけどさ、一人きりで殺すのは慣れている。なにも変わらない。これからもずっと。


 大事なのは、逃げてゆく妻を追うことじゃない。リラックスすることだ。

 庭仕事するときみたいに肩の力を抜き、そして一瞬たりとも気は抜かない。どうすれば楽に殺せるのかということだけをちゃんと考えよう。


 ああ、だからだ。

 だからイヅノは逃げ出したのだ。

 俺はこんな風に魔物を殺すことばかりいつも考えてしまう。雑魚だろうと強敵だろうと必ず殺そうとする。


 そんなのどう考えてもおかしいし、異常だし、だから彼女から見捨てられてしまうのだ。


 それが分かってしまったのは寂しいけれど、ズズズと空気が震えるなか、俺はポーチから予備の薬きょうを取り出す。


 そして、あいつにちょうどいい罠、誘導すべきルート、己の体力配分に適したタイムスケジュールをゆっくりと埋め始める。これまでとなんら変わらない、いつも通りの荒仕事だと自分に言い聞かせながら。


「まったく、ずいぶん一か所に群れてやがるなと思ったら、よちよち歩きのガキどもだったとはな。おい、なにジロジロ見てんだ。ガキを殺られてお怒りかぁ?」


 ごきんと首を鳴らして、俺はそう言った。

 もちろんただの強がりだ。

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